2013年01月23日(水) 06時06分06秒

神田・連雀町と三鷹・下連雀...

テーマ:歴史

☆三鷹市役所 目の前にある そば屋【増田屋】☆
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三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】

商売繁盛の神様を祭る東京・神田の神田明神


三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】
家庭円満、縁結び、商売繁盛、事業繁栄の守護神


三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】
日本一大きな石造りの大国様


三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】
1846年創業

神田明神鳥居際の甘味処「天野屋」


神田須田町...

かつては、連雀町と言われていました

神田まつやの裏手、神田藪蕎麦や、神田郵便局などのある界隈は、

かつて連雀町といわれた一帯で、

奇跡的に第二次世界大戦の東京空襲で焼け残りました。

その為、いくつかの老舗が残ったのです。

かんだやぶそば、いせ源本館、神田まつや、ぼたん、竹むらなどの

歴史的建造物が軒を連ねる地域として知らています。


三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】
1880年(明治13年)創業

「かんだやぶそば」


三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】
1884年(明治17年)創業

「神田まつや」


当店がある町名は三鷹市下連雀ですが、


これは明暦3年(1657)に起きた明暦の大火(振袖大火)


機縁となっています。大火の後、


神田連雀町(現:神田須田町・淡路町付近)の一部の住民が


替え地として当地を与えられ、新田を開発することになります。


そして、この地を連雀新田と名付けます。


これが現在の下連雀の起こりです



なお、下連雀の西に隣接して上連雀がありますが、

これは連雀新田が上下に分かれたものではないそうです。

連雀新田(現:下連雀)の西に連雀前新田が開かれ、

京都に近いことから連雀前新田を上連雀

連雀新田を下連雀と呼ばれるようになったそうです。

当時はやはり京都(天皇)の方が偉かったんですかね。


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2013年01月08日(火) 06時06分06秒

うどん・そばの発祥は...??

テーマ:歴史
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とんこつラーメンもつ鍋水炊き明太子と...


まいう~なものが揃っている博多は、全国屈指のグルメの町!


そんな中、福岡名物の一つに、


「うどん」があるのをご存知ですか?


なぜなら...【うどん】の発祥地は博多だからです。


三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】

日本の麺文化のルーツは博多の名刹・承天寺にアリ!!


JR博多駅から徒歩15分ほどの場所にある名刹・承天寺


承天寺の立派な山門をくぐると、


「饂飩蕎麦発祥の地」という石碑があります。

三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】

□ 饂飩蕎麦発祥之地碑

宋から帰国した弁円は「水磨」と言う水車による製粉技術を持ち帰り、

うどん・そばの作り方を日本に広めたことから

承天寺はうどん・そば発祥の地とされています。

また、謝国明が大晦日、貧しい人々にそばをふるまったことが、

年越しそばの始まりと言われています。


鎌倉時代に、承天寺を開山した《聖一国師》
《聖一国師》は、中国・宋から、仏教の教えとともに、
日本へ最初に製粉技術を伝えた人物なのです。
《聖一国師》が中国・宋から持ち帰った製麺・製茶の図面『水磨の図』
その図面には、水車や挽き臼を使った製粉技術が

詳しく紹介されています。


当時は、ものすごく画期的なことで、実際に、挽き臼の登場で
小麦を大量に粉にすることができ、麺を食する文化が、
博多から全国へと普及したと考えられています。
実際に、江戸時代には、博多の町でたくさんのそうめんが作られていて、

博多の名物だったとか...


しかし、そうめんは、麺を切ったり、

長時間天日に干したりと、熟練の技と時間がかかるため、

庶民はなかなか口にできない高級品でした。
その反面、作ってすぐに茹でて食べることができるうどんは、

庶民の間で普及したようです。


現在、博多には、そうめんを作る製麺所はありませんが、
「聖一国師」が伝えた製粉・製麺技術が、

鎌倉時代から現在まで、大切に受け継がれたからこそ、
現在の博多が、「博多ラーメン」や、「博多うどん」など、

麺のおいしい街とし知られるようになったのかもしれませんね...


三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】

博多でうどんといえば・・・

牧のうどん


三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】
ごぼ天うどん

三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】

博多名物 荷物にやならぬ 食べてお帰り・・・


かろのうろん


三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】
丸天うどん

今も、「聖一国師」が伝えた「水磨の図」は、
京都の東福寺に国宝として大切に納められています。
京都・東福寺は、「聖一国師」が承天寺を開いたあとに、

開山したお寺です。
日本におけるうどん・そば・饅頭などの粉食文化や博多織の発祥地。

また、博多祇園山笠の発祥地でもあります。

鎌倉時代(1242年)、弁円(円爾)が、

太宰少弐藤資頼や宋人貿易商で

巨万の富を有していた謝国明の助力を得て開いたお寺です。

臨済宗東福寺派。

弁円は没後日本初の国師号を与えられ、聖一国師と呼ばれています。


三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】
■御饅頭所碑

弁円は托鉢の途中で親切に

もてなしてくれた茶店の店主栗波吉右衛門に

酒饅頭の作り方を伝授し「御饅頭所」の看板を与えます。

栗波吉右衛門は「虎屋」の屋号で酒饅頭を売り出しました。

弁円の「御饅頭所」の看板は現在東京の虎屋に保存されています。


三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】

■満田弥三右衛門の碑

博多織は弁円と共に宋から帰国した満田弥三右衛門が

持ち帰った唐織の技術が博多織の始まりとされています。

江戸時代、幕府への献上品となった博多織の献上柄

言われる独鈷と華皿の模様は

弁円の発案によるものと言われています。


三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】


三鷹市役所前  挽きたて“石臼挽自家製粉”そば  【増田屋】

■博多祇園山笠発祥之地の碑

1241年に博多の町に疫病が流行した際、

弁円が木製の施餓鬼棚に乗り担がれて、

疫病退散を祈祷して聖水を撒いて町中を回ったことが

博多祇園山笠の起源とされており、

7月の博多祇園山笠の際には承天寺前に清道が設けられます。


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