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息子の大事故
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意識が戻った直後のまだ、自分が何故病院にいるのか息子がわかっていなかった頃、
 
トイレには当然行けない息子のために、
 
私が息子のオムツを替えていた頃がありました
当然息子はよく理解もしていない頃のことです
 
まさかこの歳になった息子のオムツを今更替える事になるとは思わなかったわ
 
と、わざと明るく笑って娘に言った事がありました
 
娘も自分の大学の卒業試験の大切な時期に
自分の弟の大事故で、自分の人生までもがかわってしまうかもしれない瀬戸際にいました
 
こんな大変な日々の中で、優しく明るく気丈に振る舞ってくれている娘でしたが、間違いなく娘も疲労困憊の日々でした
 
そんな私の言葉を聞いた娘は、
 
ママはいいじゃない
もう赤ちゃんの時に一度オムツを替える日々を送ってきたんだから
 
私なんて、自分の子供だってまだいないのに、
人生初のオムツ替えが、弟だよ
 
と言いました
 
顔を見合わせ、二人で病室で大笑いとなりましたが、あの大変だった日々をずっと支えてくれた娘にはとても感謝しています
 
 
 
私は、元夫も息子が生後6ヶ月の時に生死を彷徨う大事故にあい、彼も脳挫傷で意識不明状態が続いたため、その時の経験や知識をどうしても重ねてしまっていたのですが、
 
息子の場合は元夫のときより明らかに回復が遅かったのです
 
事故で入院してから三ヶ月経っても
一人で立つことができない息子、
 
リハビリは立つことからではなく、介助して立たせて、車椅子で病室を出てリハビリルームに移動
 
そこでの訓練になりました
 
 
問題は大きな身体の大学生の息子を、車椅子に移動させることでした
 
最初の頃はナースが何時も手伝ってくれたのですが、次第にそれは私たち家族がやるように言われました
 
これは大変な作業でした
 
コツがあり、タイミングを逸すると息子と共に私も床に倒れそうになってしまいます
 
やっとの思いで息子を車椅子に座らさせて、
リハビリルームで一緒に歩く練習をしたり、小さなブロックを指でつまんで移動させる訓練などが始まりました
 
命が助かったのだから、意識も戻ったのだからそれだけで感謝しなくてはいけません
 
それでも、一人で立つことも出来ず、ブロックも指で摘めない息子
 
誰より息子本人が一番辛くて悲しいはずですが、文句も言わず、黙々とリハビリに取り組む息子を見ていると
 
私がかわってあげたい
 
何でこんなことになってしまったのかな…
 
と思う毎日、私も息子の前では必ず笑顔で楽しい話しだけをしていましたが、内心は葛藤の日々だった、
 
今振り返るとそう感じます
 
 
 
 
 
 
to be continue …
 
Have a good weekend