最初にお詫びです。
ひとつ前の記事 ( TULIP 2018 “ is There ” LIVE音源ダウンロード販売開始!!) で
あたかも、各々(おのおの)自分の好きな曲がダウンロードできるかのように書いてしまいました。
自分で選ぶことは出来ません。
「 今日の1曲、これしかない!」は販売側指定の1曲でした。
自分の読解力の無さを 恥じ入るばかりであります。
誠に申し訳ございませんでした。
※ 2018/ 10 / 05 東京国際フォーラム公演のセットリストは
本記事の最後に記してあります。どうぞご覧ください。
東京国際フォーラム行って来ました!
・三本目の 神戸公演は台風で延期となりましたので
・今日が3公演目となりました。
東京国際フォーラム ホールA
収容人数は5000人を超えます。
1階やや後方、
でも、財津さんがギターでセンターに立つ際には
一直線上・真っ正面の座席でした。
開演を知らせるブザー、
会場が暗くなり、、、
女性の場内アナウンスが終わり、、、
しばしの静寂。
メンバー登場の際の波打つ拍手
演奏開始前の再びの静寂。
5000人。
静粛に
厳かに
期待に胸膨らませ
その瞬間を待っている。
音の雫・破片が会場に響き渡る。
アルバム・ヴァージョン。。。
この曲が今ツアーで披露されたことにより
チューリップⅠ期のシングルA面は
97年再結成後
すべて演奏されたことになりました。
靴音、
咳払い、
ノック、
♪♪♪♪♪ !
照明も呼吸を合わせて
活気を帯び
さあ、スタート
♪ WELCOME TO MY HOUSE <1977年>
3本目の公演にして
ぼくの視界からは
一番の会場総立ち状態でした。
姫野さん・上田さんの コーラス、
サイド・ヴォーカルがゾクゾクさせてくれます。
今日も財津さんの
ウェルカムっ トゥー マイ HOUSE !
… の HOUSE の シャウトに痺れました。
財津さん最初のMC
第一声は
「 WAOOO ( ワオ ) !」
姫野さんのカウントに
上田さんのドラムが力強く
お腹にズシンと伝わってくる。
♪ 夏色のおもいで <1973年>
今日は前2公演に比べて
上田さん・宮城さんのリズム隊が一際・色濃かったです。
これは1曲目から強く感じました。
ちなみに作詞は巨匠・松本隆。
松本隆にとっても駆け出しの頃の作品です。
♪ 見すごしていた愛 <1974年>
姫野さんヴォーカル曲が続きます。
リアルタイムでは、ぼくは未就学児でしたが、
いわゆるタッチー時代・黄色い声援浴びまくりの頃。
財津さんの後のソロ大作 ♪ I need you and YOU の一節
“ 明るいメロディには悲しい歌詩を ” …
その言葉の意味を
理解できるような気にさせてくれる佳曲。
詩は上田さん、曲は財津さん、ヴォーカルは姫野さんの素晴らしい分業曲。
この曲の聴きどころは
その心情を伝えてあまりある
ちょっと舌足らずな感じの姫野さんにかぶせる
財津さんの低音コーラス。
宮城さんのMC・紹介で
♪ セプテンバー <1974年>
レコードでは ( コンサートでも ) 演奏時間3分にも満たない。
にもかかわらず、深く 染み渡る。
… なんかですね、、ぼくは、、
たとえば、
打ちのめされて・へばってしまって・ずっと座り込んでいた態勢・気持ちから
ようやく立ち上がれそうな感じになってきたよ… みたいな
… 希望と勇気の歌なんです。
あと、思い出すのは、TULIP Ⅱ期 8.11 PAGODA のライブ・レコード です。
当時すっごく ( 凄く ) 新鮮で、かつ円熟味をさらっと醸し出していて
かっけー ( カッコイイ ) なあ、 と 舌を巻きました。
原曲は ビートルズ を彷彿させるメロディ・ラインに、ぼくは感じます。
そして後年、Ⅲ期 に リメイクされています。David Foster 風なアレンジです。
ああ、そうか。
Ⅱ期Ⅲ期と…
だからですね、馴染みがあって
思い出深いわけです。
あと、
原曲では
“そっと 口づけした ” の歌詞が
いつの頃からか LIVE では
“ちょっと 口づけした ” に 変わっています。
続けて
レコード収録時にはなかった
赤ちゃんをあやすようなメロディ・前奏・プロローグを挿入しての
♪ 木馬 <1975年>
絵本のような
幼い子へ読み聞かせしたくなる優しさに溢れた詩。
詩は安部さん、曲は姫野さん。
今ツアーまさかの再演で、再評価に至った曲。
演奏中は会場が暗くてよかった。。。
自分で あら ? とか思ったんですが
感極まって
涙が頬から伝ってて… まいった…
安部さんが綴る、そして財津さんが歌う
“ いつも淋しい目をして 下を向くのは やめろよ ”
“ 誰でも 淋しさに耐えて生きてる ”
“ 木馬よ お前も 早く気がつけよ ”
早く気がつけよ のとき、
今日、
財津さんは人差し指を立てて気持ちを伝えた。
チューリップ
TULIP
Tulip
に限らず他の歌い手でもありますが、
生唄・生演奏を聴いたり
歳を重ねたりして、ある経験を経て
とても好きになった曲があります。
この ♪ 木馬 もそんな曲です。
そして
♪ 丘に吹く風 <1983年 >
上田さんのパワフルな地響きから曲が疾走していく。
宮城さんのベースも身体の芯に振動していく。
サポートメンバー尾上サトシさんのギターが会場を席巻する!
ぼくにとっては、見事なセットリスト!
突如として突き付け、届けてくれた
・前半ハイライト その1
いやあ、この、
木馬~丘に吹く風 の流れ、身震いします。沸き立ちます。猛ります。
“ 僕は一人で歩いている ”
って歌詞がありますが、そこを除けば
自動車のCM にどうですか? 関係者の皆さん、って思いました。
財津さんが
「 安部くんに届くように 」 と言った
♪ もしも僕が <1975年>
・イントロのギター、
・ドン・どどん ! ドン・どどん ! の ドラム
・合いの手の ハーモニカ が、
まいっちゃうよな・どうすればいい?
…な心情をよく表していて、なんかニンマリしてしまいます。
応援したくなります。応援してほしくなります。
作詞・作曲・唄 すべて安部さんの曲を
宮城さん、財津さん、上田さん、姫野さんで
それぞれパートを担当して、
最後は四人全員で歌う。
バンドっていいな、と思いました。
ベースをギターに持ち替えて
♪ VOLUME・10 <1982年>
Ⅱ期最初の頃、
宮城さんは音楽雑誌GB-ギターブック 誌上で
「 僕の曲はTULIP っぽくないですから 」
みたいなことを語っていたのを覚えていますが
いやいや、どうして・どうして
アルバムの中における宮城さん曲のアクセント・色合いは
当時から、そして、今も、秀逸。
そして今!
ギターも、お見事です!
実は宮城さんは
ARB、あのARB、
そう、石橋凌のARBの初期に参加していました。
その前には
財津さんのファースト・ソロアルバム 『 宇宙塵 』 で
「 土砂降りの日 」 のベースを弾いてました。
♪ 走れ!ムーン号 <1974年>
ドラム叩きながら歌う人はたくさん居るけど… …
上田さんのパワフルで濃紺な歌唱、
哀愁溢れる歌唱、
そして、コーラスワーク・ハーモニー は、
圧巻・感嘆・白眉・出色と
いくらでも称賛したくなります。
凄いです。ほんとスゴイ。
ここから
~ 生ギター・コーナー ~
「 姫野くんが ( 僕のMCに ) 飽きてきたみたいなので 」
みたいな感じで始まった
♪ 仔牛のロー・カウジー <1974年>
・公演初日は 「 好きな鳥 」 アンケート
・次の公演では「 好きな魚 」 アンケート
そして、今日は、どう来るのか?と予想をしていたら
想像・予想の斜め天井を突き破る
・ 「 東京に初めて出て来た時の印象 」 アンケートでした。
これで、どうやって、次の曲へ行くんだ?と思っていたら、
財津さん、
「 今日は僕もこたえようかな、君(宮城さん)、【トリ】になるけどいい?」
で、
お~~~ なるほどぉ…と感心しました。
が、
財津さんは
「 今までの話に全然関係ない曲ですが… 」
と前置き&説明して
♪ ムトウス <1979年>
幻想的な世界観とアレンジ。チューリップⅠ期の円熟の極み。
( 収録アルバム 『 Someday Somewhere 』。円熟感は♪Silent Love からも感じます )
鳥の曲と言えばもう一曲
唱歌のような美しさを纏っている ♪ アルバトロス があります。
2曲ともいずれも
財津さんの着眼点の奥深さと、咀嚼する感性の異才ぶりが発揮されています。
安部さんの優しさが、
横に居てくれて、多くは語らず、にっこり微笑みかけてくれる・あたたかさであるなら…
財津さんのそれは、
後ろから・遠くから見つめ、それと(を)気づかせぬ対象への理解の努力と畏敬と慈愛か。。。
上田さんの曲紹介のMC で
『 Upside - down 』 のアルバム名に、
「 お~ 」との微かなどよめき声が…
♪ 逆回転 <1978年>
財津さんが歌詞に用いた
Upside - down は 1978年
Someday Somewhere は 1979年
Shooting Star は 1981年
( たったひとりの ) オーディエンス は 1983年
… これらの言葉は
みんな財津さんから聞き、意味を調べ知ることとなってました。
※ Someday Somewhere は、いま、とあるアイドルグループの名前になっていて、
正直ううううううう~ん、、、ううううむ、です。
アイドルだから( ダメ・いやなの) ではなく、
この言葉は他では使われて欲しくなかったです。
・前半 = 第1部 ハイライト その2
♪ 街は黄昏がれに抱かれ <1981年> ※【黄昏がれ】 の表記は発表当時に準じました。
歓喜の一曲!
♪ 丘に吹く風 同様に
再結成して はや(早) 20年を過ぎ、、← この事実に改めて驚愕!!!!!
ようやくこの曲に辿り着いてくれました。感謝です。
財津さんは著書 『 私のいらない 「心の旅」のいま 』 ( 廣済堂新書 2013年 )
P107 で、財津さん自身が好きな曲として紹介しています。
( 執筆当時の好きな曲として「ロック地獄」「一人がいいさ」「わがままお嬢さん」もあげています )
たそが れに だか れ と韻を踏んでいる点を
財津さんは好きな理由の一つにあげてます。
ここだけではありません。
歌詞中に
生意気 言うのは いつも君
ため息つくのは いつも僕
… ともあります。
なぁまぁいきぃ
たぁめぇいきぃ
ここでも韻を踏んでいて、さらに対句(ついく)も用いていて、
ぼくは、こういうのがたまらなく好きです。
単なる音の遊びに終わらず、
意味のある・情景の浮かぶ創作として成功していると思うのです。
明るい未来を予感させてくれるメロディ &
男女のさまが
活き活き、瑞々しく(みずみずしく) 描かれている傑作。
セットリストから
それていきますが、お付き合いくださいましたら嬉しいです。
財津さんの言葉のパズルが、ピタっとはまっている作品には
♪ さよなら道化者 もあります。
二番の
チーズケーキ と モーツアルトが 好きで
嘘つき と 戦争が 大嫌い
… この表現・内容への評価は
好みが分かれるかなとも思いますが …ぼくは好きなのです。
ちなみに・参考に
一番は
二番目に好きなのは この僕で
一番目は 幸せだなんて
いつも僕を笑わせてくれた
君は素敵な 道化者だった
魂を固定させる厳かな旋律に
不似合いなような・ぴったりのような歌詞。
心の中を浮遊し
見えないものに気付かせるような
揺さぶるような歌詞なのです。
動揺と安堵と幸福感 … と後悔…
アルバム・ヴァージョンがいいですよね。。
また別の作品では
笑った顔は 少女のようで
すました顔は 大人の女だった
( 「 Sweet Memory 」 より )
この頃の財津さんが描いた
♪ さよなら道化者
♪ Sweet Memory
♪ 愛は戻れない
♪ ふたりがつくった風景
そして
♪ 街は黄昏がれに抱かれ
の歌詞、そして、音作り・アレンジに魅了されて
中学生当時、夢中になって聴いていました。
今回、聴けて、とても・とても嬉しかったです。
♪ 街は黄昏がれに抱かれ は
主人公の「僕」と「君」が、
色鮮やかに活き活きと、明るい未来を歌っているところが好きです。
丘に吹く風 は 自動車の CM に使用推薦、
街は黄昏がれに抱かれ は ドラマの主題歌ではなく挿入歌に推薦です。
メドレーの形をとり
♪ 愛は不思議なもの <1974年 >
で、第1部フィナーレへ。
街は黄昏がれに抱かれ は 「僕」の視点で
それを引き継ぐ俯瞰した・抱擁するメッセージで
この
愛は不思議なもの に続けられていきました。
発表時期がまったく異なる2作品ですが、
素晴らしい継投でした。
休憩中に
「 知っている曲がほとんどなかった~」と
呟いている声が聞こえてきました。
いろんなファンが居て、
好きになった時期も
夢中だった頃も
趣味も異なりますもんね。
ぼくは、is There ツアー 第1部 の セットリストは
忘れられない位好きになっていますが、
ああ、なるほどなあ… とも思いました。
そして
「 第2部 は 大丈夫ですよ 」 と胸の中で思っていました。
第2部 オープニングは
♪ ブルースカイ <1977年>
“ この空の明るさよ なぜ僕の この悲しみ 映してはくれない ”
“ この空の明るさに まぎれながら生きてゆこう 悲しみが来る前に ”
おそらく財津さんは
キョクセン = 曲先 = メロディが先に生まれて後から言葉をのせている
… と思うのですが、
… いや・そうだ、そうに違いない! と思いたいのですが、
このメロディに、この歌詞、財津さんの美学・真骨頂だと思う次第です。
再結成後
結構歌われている曲ですが、ぼくの中では、何度でも聴きたい曲です。
♪ 娘が嫁ぐ朝 <1976年>
ぼく自身が歳をとって、好きな曲の中でも上位に位置するくらいに染み込み昇格した曲。
財津さんは、若くして老成していたよなあ、と思う曲。
70年代デビューの人たちの共通点だと思います。
♪ ふたつの鍵 <1976年>
もうひとつの ♪ サボテンの花 。
同棲物語。
描かれた男女の間柄やアレンジから
大正時代の文豪を思い出してしまうのです、聴くたびにいつも。
♪ 悲しきレイン・トレイン <1975年>
シングル「ブルースカイ」のB面 ♪ 恋人への手紙 の 前日譚 とぼくは思ってしまっています。
… 曲調優先ならば 後日譚 が ドラマティックです。
この曲は、
第1部で聴くよりも、コンサート後半~終盤で聴きたい曲だと改めて思いました。
♪ ここはどこ <1974年>
ギターのフレーズ、
照明の演出、
会場の一体感
すべては
“ きみはどこ ⤴ ”
“ ぼくはどこ ⤴ ”
“ ここはどこ →。 ”
に向かって行く曲。
♪ 風のメロディ <1976年>
ジグソー の スカイ・ハイ ( プロレス・ファンなら ミル・マスカラスですね ) のようなメロディ・ライン。
レコードではフェイドアウトしていくけれども、
LIVE では
切迫したようなギリギリの感じの疾走感と微かな圧迫感、
さまざまな出来事を経て
こびりついた感情を振り落としていく
ハッピーエンドだけではない
映画のラストシーンを叩きつけるかのような後奏とエンディングがたまらない曲構成。
♪ 虹とスニーカーの頃 <1979年>
もともとはアルバム『 Someday Somewhere 』の中の1曲から
シングルへと昇格した曲。そして見事ヒットしました!
2000年発売の レア・トラック集 『 TULIP Anthology 1 Rare Tracks 』で
アルバム収録されるはずだったヴァージョンを聴くことが出来ます。
こ・こ・こんなに! 違うのか~ と驚きました。
世に出てヒットしたシングルカット・ヴァージョンは
洗練されているなあ、といった印象を受けました。
あ・でも、、もともとのヴァージョンは
アルバム『 Someday Somewhere 』 全体に漂う
胸を締め付けられるような気持ちを刺激するような出来栄えで、
こっちの方が好きです。
♪ ぼくがつくった愛のうた <1974年>
確かこの曲前のMC の時に
財津さんが2階席・3階席に呼びかけて
オーディエンスは拍手で応えたのですが、
雨が降り注ぐような音・インパクトでした。
これはよかったなあ。
曲の前の財津さんのMCに、ハッさせられました。
「 … 1974年にアルバムとシングルを同時に発売しました。それが10月5日だったんですよね 」
うお! 今日だったのかあ!! …と、ちょっと得した気分に。
♪ 青春の影 <1974年>
コンサート本編も大詰めを迎えました。
重厚な調べに続いての
財津さんのピアノで
披露されています。
感謝と敬意の拍手が国際フォーラムでは起きました。
確か、
川口や府中の森では、じっくり皆聞き入っていたような気がします。
… どちらも「 あり 」かな、とぼくは思います。
もともとはアルバム『 TAKE OFF 離陸 』の中の1曲。
アルバム発表から2ヶ月後に
アレンジを大々的に洗練させて
周囲の反対を押し切ってシングルとして発表。
。。。TULIP史では、語り草ですよね。
… ぼくは、ぼくはなんですが、、、
ソロ・シングル「Dream With You 」(作詞:松本隆 ) の
カップリングに収録したフェイドアウト・ヴァージョンが好きです。
( ソロ・アルバム『 Z氏の悪い趣味(くせ) 』収録のものとは異なります )
( TRIADレーベル時代のベスト盤の再発盤の『ゴールデンベスト』に収録されています )
LIVE音源なら 『 TULIP 40 』 ( 全シングルA面集 ) の
ボーナストラックの 1984年 I dream ツアー時の アレンジが好きです。
財津さんの声量の透明感は TULIP LIVE THE 1000th が輝いています。
♪ Shooting Star <1981年>
“ 落とした心を探しに出かけたら あなたの心の扉を開けていた ”
“ 心の残り火は 少し くすぶるでしょう でも灰になったら 風に消えるでしょう ”
吉田さん、上田さんが脱退し
伊藤さん、宮城さんが正式加入した
鈴蘭2 で初披露されました。( 歌詞は未完成 )
安部さん、姫野さん、伊藤さんが脱退した後も
演奏され続けました。
97年再結成後も
全てのツアーで皆勤演奏されている
特別な曲。
思い出深い曲。
LIVE映えしまくる曲。
歌詞が秀逸な曲。
♪ 心の旅 <1973年>
川口のときもだったけど、
今日の国際フォーラムでも
姫野さん、こみあげてた。
。。。と思う。 唄声が絶妙に震えてた。
本編終了。
アンコールの掛け声、音頭を、
力の限り・声の限りふり絞り
会場に響かせる男性。
それが全体に波紋を広げていく。
いつも・いつもだ。
ありがとうございます。
♪ 銀の指環 <1974年>
会場の広さもあり
間奏での姫野さんの両翼へのご挨拶移動は
いつもより全力20%増しでした(笑)
♪ 私のアイドル <1974年>
バイバイバイ♪ のときの 両腕をあげての振りの呼応
ファンの一体感は気持ちのいいものです。
♪銀の指環のときの 銀の!→ ちゃっちゃ ( とんとん ) とか
♪ブルースカイのときの Oh!ブルースカイ → パンパン とかもですね♪
大ラス
♪ 魔法の黄色い靴 <1972年>
財津さんはステージから身を乗り出して
最前列の人を手招きして
マイクを差し出したり・渡したりする。
これは幸せですね。
■ 参考 ■■
・拓郎と小田さんが対談した時の小田(和正) さんの発言
( 1993年 ぴあBOOK 「吉田拓郎ヒストリー 1970-1993 」 より )
小田さん「 (前略) 俺、拓郎の DJ で チューリップの「魔法の黄色い靴」聴いたよ。首都高走ってるときに、それでは話題の……、話題のチューリップ……じゃない、話題の「魔法の黄色い靴」、だったと思うんだけど、ああ、よくできてる曲だなと思って、首都高走ってたの。 ( 後略 ) 」
■■■参考ここまで■■■■
すべての曲目が終わり
退場のとき
タオルを 振りかぶり投げ入れ最後の挨拶をしてくれる。
今日は、上田さんだった。
上田さんは♪魔法の黄色い靴 の演奏を閉じたまさにその瞬間、
最高の笑顔で
コンサートの成功・盛況を祝うかのように
スティックを両の手から解き放つ。
終演のアナウンス。
そのとき流れる
魔法の黄色い靴のストリングス。
今日は最後まで聴いてから席を立った。
財津さん
「 12月29日に、またここに戻って来ます!」
ぼくもその日
平成最後のTULIP に逢いにまた行きます。
■ それが次の参戦予定です。
■ TULIP CONCERT TOUR 2018 is There
2018/10/05 東京国際フォーラム ホールA ■■
【セットリスト】
第1部
01. WELCOME TO MY HOUSE ( 1977年 アルバム および シングル・カット )
02. 夏色のおもいで ( 1973年 同 シングル )
03. 見すごしていた愛 ( 1974年 アルバム 『 TAKE OFF 離陸 』 より )
04. セプテンバー ( 1974年 シングル 「 銀の指環 」B面 のちアルバム『TAKE OFF 離陸』収録 )
05. 木馬 ( 1975年 アルバム 『 日本 』 より )
06. 丘に吹く風 ( 1983年 アルバム 『 Halo 』 より )
07. もしも僕が ( 1975年 アルバム 『 無限軌道 』 より )
08. VOLUME・10 ( 1982年 アルバム 『 2222 Picnic 』 より )
09. 走れ!ムーン号 ( 1974年 アルバム 『 ぼくがつくった愛のうた 』 より )
生ギター・コーナー
10. 仔牛のロー・カウジー ( 1974年 アルバム 『 ぼくがつくった愛のうた 』 より )
11. ムトウス ( 1979年 アルバム 『 Someday Somewhere 』 より )
12. 逆回転 ( 1978年 アルバム 『 Upside - down 』 より )
13. 街は黄昏がれに抱かれ ( 1981年 アルバム 『 THE 10th ODYSSEY 』 より ) ~
14. ~ 愛は不思議なもの ( 1974年 アルバム 『 TAKE OFF 離陸 』 より )
第2部
15. ブルースカイ ( 1977年 シングル )
16. 娘が嫁ぐ朝 ( 1976年 シングル )
17. ふたつの鍵 ( 1976年 アルバム 『 MELODY 』 より )
18. 悲しきレイン・トレイン ( 1975年 シングル )
19. ここはどこ ( 1974年 アルバム 『 ぼくがつくった愛のうた 』 より )
20. 風のメロディ ( 1976年 シングル )
21. 虹とスニーカーの頃 ( 1979年 シングル )
22. ぼくがつくった愛のうた ( 1974年 シングル および アルバム )
23. 青春の影 ( 1974年 アルバム 『 TAKE OFF 離陸 』 より アレンジしてシングル・カット )
24. Shooting Star ( 1981年 アルバム 『 THE LOVE MAP SHOP 』 より )
25. 心の旅 ( 1973年 シングル )
アンコール 1
26. 銀の指環 ( 1974年 シングル )
27. 私のアイドル ( 1974年 シングル「ぼくがつくった愛のうた」B面 および 同アルバム 収録 )
アンコール 2
28. 魔法の黄色い靴 ( 1972年 デビュー曲 および デビューアルバム )
※ 府中の森 公演と同様に
初日 川口リリアでは演奏された
♪ ハーモニー ♪ 心を開いて
は、またしてもお預けでした。。(涙)
ご訪問および
ここまで
お付き合いくださいまして
誠にありがとうございました!
心より感謝申し上げます。
ありがとうございます。
おまけ
・11/5、12/3 ASKA
・11/30 甲斐よしひろ
で、国際フォーラムに行きます。
@和光は轟沈したので
・11/13 or 14 松山千春 参戦したいと目論んでます。