第二百四十四話 「猫見師」に関する調査報告 | ねこバナ。

第二百四十四話 「猫見師」に関する調査報告

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はじめに

本稿は、昭和初期まで日本各地に実在したとされる「猫見師」についての調査報告である。
猫見師とは、その名が示すとおり、猫を見て良い猫とそうでない猫を峻別したり、その猫に合った遇し方を飼主に教えるという生業(なりわい)である。ここでいう「良い猫」とは、ネズミを多く獲る猫である。他にもいたずらをしない、大食漢でないなどの条件を付する場合もあるが、ネズミの捕獲数の多さが第一条件として挙げられていた事は、猫が養蚕や酒造等の産業において重要な労働力であったことを裏付けるものであろう。
しかし、養蚕その他の産業が近代化し、また産業自体が衰退したこともあって、猫見師の性格は次第に変化し、ついにはその痕跡すら辿ることが困難になってしまった。本稿においては、日本各地に散財する猫見師の痕跡を記録し、業態の性格とその変遷を追い、後の経済学的・社会学的・民俗学的考察の助けとすることを目的とするものである。

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一 猫見師の定義

本稿にて扱う猫見師とは、概ね次のような仕事をする生業及びその人を指す。

(一)猫を飼っている家々を巡り、その家の猫を「見定め」る
(二)猫を飼いたい人の求めに応じ、良い猫を斡旋する
(三)良くないと判断された猫を良い猫にする方法を教え、それが難しい場合には猫を「引き取る」
(四)猫を飼わなくなった、あるいは飼わない家々に、猫が描かれたお札を配る

猫を見定める基準としては、毛皮の色柄、手足と尾の長さ、目の色、体毛の質など、さまざまなものが存在したらしい。しかしこの基準はひととおりのものでなく、類型化するのは困難である。「尾の短い三毛猫(メス)」を勧める例が比較的多かったが、これは猫見師による見立ての基準によるものか、それとも当時のステレオタイプに倣ったものなのか、判然としない。
この四つの仕事については、それぞれ報酬が発生する。報酬の額や内容はさまざまであり、これもまた類型化することは困難である。しかし「鰹節」が必ず含まれたという事例が特に多い。また、F県とG県においては、マタタビを禁忌とする事例も多くみられる。いずれも家々を回って用を聞き、仕事をしてから報酬を受け取るという、所謂「門付」に類似した方式が主のようである。
猫見師の多くは男性であり、服装には特に共通点はない。明治後期までは羽織に股引、脚絆に草履、菅笠といった出で立ちが多かったようであるが、昭和初期になるとスーツ姿や軍服姿の猫見師も現れたとされる。なお女性の事例では、全て久留米絣の着物姿であったと報告されている。
猫見師を特徴付ける持ち物としては、背負った行李に指した棒と、そこにぶら下がる猫の絵が挙げられる。実物が現存しないが、大正時代の写真に写っていた事例(G県M市)がひとつだけ報告されており、それによれば、N県のハッカイサン神社で配られる猫のお札と絵柄が酷似している。他に「ニッタの殿様」の猫絵だったとの証言もあるため、複数の絵柄が存在したと推測される。
猫見師が家々を巡る時期は、主に秋祭の前後とされる。秋の収穫を終えた祭のさ中、人々の気分が鷹揚になったところを狙って訪れるところは、先に述べた「門付」的な商売方法との類似が見られる。しかし太平洋側の一部地域では、春先の養蚕を始める時期に訪れたという事例も報告されている。

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二 猫見師の由来と衰微

猫見師の由来については諸説あり、どれも文献に依るものではないため、俄に判断し難い。
彼等が自称するところの、出自を示す時最も多く引き合いに出されるのが、仏教の経典と共に大陸からやって来た「渡来人」だというものである。経典を運ぶ船には、鼠害防止のため猫が乗せられており、その世話が先祖の役割であったという。その後仏教の布教に寄与したが、渡来人の勢力伸長に危機感を持った朝廷から迫害を受け、山に潜んで修験の道に入ったとされる。その間の彼等と猫との関わりについて、多く語られることはない。
猫見師が史資料に散見されるようになるのは江戸時代後期である。「猫見師ト云フ者有、飼猫ノ吉相ヲ見ル、又ハ札ヲ売リテ鼠除ニセントス、武蔵国二多シト云ヘリ」という加筆が『武江年表』の天保二年の項に見られるほか、一勇斎国芳の《鼠よけの猫》は猫見師の助言を得て描かれたものであるという研究結果が、近年の摺物学会にて報告されている。これは我が国の江戸後期における養蚕の隆盛と時を同じくしており、養蚕と猫、そして猫見師との関わりの強さを示すものであろう。
明治から昭和初期にかけて、猫見師と地域住民との関係を述べた記事が、地域の雑誌や新聞に僅かながらみられる。しかしあまり肯定的なものはなく、詐欺事件や喧嘩などトラブルの元凶として記されることが多い。政治的にも経済的にも、そして文化史的にも、彼等の活動は注目に値しなかったようである。
太平洋戦争を境にして、猫見師はぱったりと姿を消す。昭和二十年以降の猫見師に関する証言はほとんど無いといっていい。文献にも官公庁の記録にも、文学作品にも現れない。この断絶については不可解な点が多く、現在調査中である。

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三 猫見師の主な事例

 ※本項にて記す事例は、猫見師の性格を特に強く示すもの、地域特性をよく示すもの、伝承として特殊なもの等から選抜したものである。全ての調査結果については別冊の資料集を参照のこと。なお各項目の見出しは(番号、採集地域、話者年齢、性別、職業(元の場合含む))の順に記す。

(一)F県A市(八十六歳/男性/農業)
 昭和八年までは、毎年秋に猫見師が来ていたそうだ。勧められたのは三毛猫で、尻尾の無い、あるいは短い猫だった。トラ猫のオスは怠け癖があるが、餌をあまり与えないでいるとよくネズミを獲ると言った。良くない猫がネズミをよく獲るようにと願を掛けてくれ、お札と首輪を置いていくことがあった。お礼は鰹節ひとつと酒一升、その他金を包んで渡していたが、金額はわからない。秋祭の前に来ていたようだ。

(二)I県O市(九十六歳/女/酒造業)
 米蔵や酒蔵にネズミが出るので、知り合いに頼んで猫見師に来てもらった。譲られたのは黒に赤い斑のある猫で、よくネズミを獲った。大食漢だったがいたずらはしなかった。お礼は酒だった。その後毎年来て様子を見ていったが、ある年に猫が行方不明になると、それきり来なくなった。他の家には来ていたようだったが、戦争が激しくなると全く来なくなったようだ。菅笠に「猫相見」と書いてあった。怖ろしい顔の猫の絵が行李に貼ってあるのを見たことがある。

(三)G県K市(七十八歳/男性/農業)
 猫見師が置いていったお札が今でも神棚の横に貼ってある。ハッカイサンのお札だそうだと聞いていたが、最近調べてもらったら別の神社のものだった。家に来ていたのは女の猫見師で、黒猫を盛んに勧めていたそうだ。お礼は鰹節と米とお菓子だった。戦後一度だけ来たことがあるが、もう世話になることはなかった。

(四)T県S郡(八十二歳/男性/農業)
 猫見師は絵を描くのがうまく、お札代わりにといって幾つか猫の絵を描いて置いていった。うちは猫を飼うほどの余裕がなかったのだが、それでも効き目があったと父母は言っていた。他の人々は猫見師に対してあまりいい顔をしなかったらしい。隣村では猫見師に猫を掠われたといって警察が出る騒ぎになったこともあったようだ。

(五)C県K郡(六十八歳/女性/主婦)
 猫が死に目を家人に見せないのは、猫見師が迎えに来るからだと、聞いたことがある。戦時中は軍服姿の猫見師がやって来て、猫を無理矢理連れて行ったという話もある。軍の食糧や毛皮にしたとか、実験動物にしたとか、いろいろ噂がたったが、本当のところは判らない。

(六)N県S市(八十五歳/男性/僧侶)
 猫見師が宿を求めて来ることが度々あった。持ち物の多くには梵字が書かれており、邪気避けだと彼等は言っていた。酒は飲むが肉や魚は食べなかった。先祖についての長い話を聞かせてもらうのが常で、朝廷に虐げられてきた先祖の霊を慰めるために仕事をしているのだと言った。終戦直後に一度だけ街で見かけたが、泊まってはいかなかった。

(七)T都O市(九十八歳/男/不詳)
 猫見師は猫掠いの盗賊集団で、関わり合いになると厄介だと聞かされた。中には村人から石を投げられて追われる者もあったようだが、猫見師から貰った薬は人間にも良く効くという評判もあった。

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おわりに
 
猫を見定めるという、一見怪しげな生業のこの人々は、江戸時代後期から昭和の初めにかけて日本各地に現れ、そして戦争を境にしてあっという間に消えてしまった。
事の真偽はともかく、仏教と猫と共に大陸からやって来て、日本の礎を築いたという自負がありながら迫害される立場に周り、長い隠遁生活を余儀なくされた、という彼等のアイデンティティは、折口信夫のいう「マレビト」の構造に類似しているように思われる。事実、芸能集団や宗教集団と似た生活形態をもつ人々であった彼等は、まさに外界から「おとずれる」ものたちであって、共同体の中に入って何かしらをなし得るものではなかった。
奇妙なことに、猫見師がその後どうなったのか、なぜ現れなくなったのか、ほんとうに廃れてしまったのか。詳しいことが全く判らない。「元猫見師」という人々すら記録に出て来ないのはどうしたことであろう。まるで死期を悟った猫のように、彼等は社会から忽然と姿を消したのである。
現在、猫たちは主に愛玩用として、また家族の一員として、人間社会に溶け込みつつある。しかし「良い猫」「悪い猫」という猫見師の概念は、ほとんど通用しなくなってしまった。もし彼等が生き延びていたとしても、現代は非常に生きづらい社会に違いない。それとも、より新しい概念を生み出して、まったく別の顔をして、まんまと現代に溶け込んでしまっているのだろうか。
今後の多方面からの研究が待たれるところである。



おしまい




※くどいようですが、このおはなしはフィクションです。


いつも読んでくだすって、ありがとうございます

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