第二百三十五話 <随筆>猫舌 | ねこバナ。

第二百三十五話 <随筆>猫舌

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あれは確か、貧乏学生をしていた頃のことだ。
夜中の二時過ぎ、賄い飯を食っていたら、同じ飲み屋で働いていたフィリピン人の女の子が、私が汁物を食うのを見て、ふふふ、と笑った。
「なに? どうしたの?」
と聞いたら、
「ケイちゃん、cat tongue ね」
と言われた。
一瞬何のことだか判らなかったが、彼女は私のするように、汁をスプーンですくって、ふうふうと吹いた。
ああ、なるほど猫舌か。そう私は得心したのだが、ふと気が付いて、
「英語でも、そうやって言うの?」
と、間抜けな質問をした。
「ううん、日本に来て覚えたの」
そりゃそうだ。こんな比喩的表現は日本人に似合いだろう、と思っていた。

ところが最近、猫舌=cat tongeを使う英語圏の人がいるという話をウェブ上で散見する。他の欧州語や中国語等アジアの言葉にも見受けられないようだから、日本が発祥で、アメリカ等に伝わって一部で定着したのだろうか。一度きちんと「猫舌」の由来を調べてみたいものだが、なかなか重い腰を上げられない私は、もうしばらく悶々とせざるを得ないようだ。

  *   *   *   *   *

「猫舌」という喩えは、些か不適当なもののように思う。何故といえば、基本的に、人間以外の動物で煮え立ったり焼け焦げていたりするものを食う動物はいないのだから、熱い食べ物に弱いのは動物として普通のことなのだ。となれば、殊更猫を引き合いに出すのはおかしいではないか。
人間に近しい動物を挙げるなら「犬舌」でも良いし、「牛舌」でも良い。いや牛舌では別のものになってしまうから、これはいけないか。
すると、ある面白いことを言っている人がいた。「外に飼われている動物は、あつあつの食べ物にありつくことはまずない。犬は基本的に外で飼う動物だったから、家で飼われる猫のように、熱い食べ物に悪戯して飛び上がる、というようなことをせずに済んだ」というのである。
なるほどと思うが、私には何故か、この説を全面的に首肯する気にはなれない。いま少し具体的で、説得力のある言説を、私は無謀にも求めているのだ。

  *   *   *   *   *

私の父方の祖父は、自他共に認める極度の猫舌だった。そのわりにひどくせっかちだった。
そんな祖父とラーメンを食べに出かけた時のこと。あのせっかちな祖父が、湯気の立ったラーメンの丼を目の前にして、じっと佇んでいるのである。
どうして食べないの、と聞いてみると、
「俺は熱いのが嫌いだから、冷めるのを待ってるんだ。冷めたら一気に食べられるからな」
という、なんとも横着な答えが返ってきた。子供心に呆れたものだが、すっかり冷めてすっかりのびてしまったラーメンを、うまそうに啜る祖父の顔を、私は今でも鮮明に思い出すことが出来る。
味覚の記憶とは、まことに個人的なものあるらしい。私はわざわざ冷めてしまったラーメンを食おうとは全く思わないけれど、祖父と出かけたあの湖畔のドライブインの、あのラーメンなら、すっかりのびてしまったやつを、いちど勢いよく啜ってみたいものだと、身勝手にも考えているのだから。

  *   *   *   *   *

ところで、動物の多くは、まったく冷えてしまった食べ物よりも、ほんのり暖かいもののほうを好むらしい。特に肉食動物は、仕留めた直後の新鮮な獲物の肉、つまりまだ体温が残っている肉に、食欲をそそられるもののようだ。
我が家の先代猫ゴン先生は、ほんのり温められたドライフードが好きだった。少々湿気ってしまったやつを、電子レンジで少しばかりあたためてやると、それまで見向きもしなかったのが嘘のようにがっつき始めたものだ。水も少しぬるめのほうが好きだったようだし、魚の刺身も冷たいままでは食べず、口の中で少し温めてから手に乗せてやると、さもうまそうに食べていた。やはり猫はかくあるべし、と思ったものである。

ところが。
二代目猫マルコは、どういうわけか、冷えたごはんが好物だ。
買ったばかりのドライフードを皿にあけても、さほど興味をそそられないらしい。しかし冷蔵庫でほどよく冷えたフードは喜んで食べる。そしてヨーグルトも、出来たてほやほやのやつにはいい顔をしないが、冷蔵庫で冷えたのには興味を示す(我が家はヨーグルトを自作しているので、温かいのも冷たいのも食べられるのだ)。もちろん熱々の焼き魚などには目もくれない。
もしマルコに北欧の高貴な猫の血がほんとうに流れていて、祖先が味わった極寒の地での艱難辛苦を遺伝子レヴェルで思い起こしつつ、ノスタルジイを感じながら冷えた食べ物を欲するのだとするならば、それはそれでなかなかドラマティックではないか。
そんな時空間のロマンを、私達下僕は勝手に思い描きながら、雪の降り積もる森の中を颯爽と駆けてゆくマルコを想像し...すぐに止める。じっさい、マルコにはそんな姿は似合わない。木の根もとでふるふると震えながら情けない声をあげるのがオチだ。だいいち、そんな過酷な世界で彼が生き延びられるとは思えない。
ビビリでへなちょこなマルコは、私達下僕のもとで、冷蔵庫から出して貰った冷えたごはんを食べてのんびり暮らすよう、運命づけられた猫なのだ。きっとそうに違いない。それは彼にとって今のところ、そう不幸せなことでもなさそうだと、私は身勝手にもそう思うのである。

  *   *   *   *   *

私は祖父譲りの猫舌である。
ふうふう、とシチューを吹いて上がる蒸気に、マルコは何故かよく反応する。
掴み取れるはずのない靄に向かって手を伸ばす。
そんな彼を毎日目にする季節が、もうすぐ、やって来る。



おしまい




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