作品紹介『白水仙』
月の輝く夜のことです。
今が盛りと言わんばかりに咲き乱れる白い水仙たち。その花々が、にわかにざわめきはじめました。
白い水仙は死者の魂の化身。死んでいった子どもたちの仮の姿であって、永遠に浮かばれることのない、日の光からは忘れられた存在。
かれらに祈りを捧げるものは、ただ月のみ。
今日もまた、月はやさしく目を閉じ、祈りを捧げます。
******
『白水仙』の冒頭です。
『白水仙』は、一連の童話シリーズ「ダークメルヘンのための連作」の中で、もっとも短いお話です。
字数にして1,000字余り。
小学校などでもお馴染みの400字詰原稿用紙の枚数に換算すれば、5枚しかありません。
いつも書いているブログの記事でさえ、3,000字前後(今回のこの記事は特別に長くて6,000字超)はありますから、いかに『白水仙』が短いかが、おわかりいただけるかと思います。
ちなみにシリーズ第1作目の『灰色の虹』は、総字数13,000字、原稿用紙にして40枚。
3作目の『時の記憶』になると一気に増えて、30,000字、91枚もあります。
新宿御苑奥の水仙群生地(2011年3月2日)
なぜ短いのか。
理由をあげればキリがないことなのですが、
もっとも大きな理由は、やはり直前に起こった東日本大震災ではないかと思います。
それは、ぼくにとっても、価値観が大きく揺らぐ出来事であったことは間違いありません。
とはいえ、東日本大震災については、ぼく自身、いまだ整理をつけられていない部分もある問題ですので、後に載せた『白水仙』の「あとがき」の中で触れたこと以上に言及するのは、ここでは控えさせていただきたいと思います。
ただ、ぼくは、
非常にポジティブに考えています。
そして、さらに理由をあげるとするなら、
『白水仙』を書く直前まで、ぼくは目の前にあるひとつの壁と向かいあっていた、ということがあります。
まあ、ようするに、今後の創作の見通しに対して、行き詰まりを感じてしまっていたということです。
3作目の『時の記憶』を書き終えたあと、ぼくは、すぐに旧作『フローラの不思議な本』の改訂作業に入ります。
これは『時の記憶』を書いている最中から決めていたことでした。
そもそも『時の記憶』自体が、かつてぼくが『フローラの不思議な本』を書いたときに、うまく表現できなかったと感じていたセクションへの再挑戦でもあったのです。
延々と続き、このまま終わりが永遠に来ないのではないかと錯覚させるような、そんな、ふたりだけの日常。
そのシーンの連続。
それがぼくの理想。
『時の記憶』を書き終え、
満を持して、ぼくは、『フローラの不思議な本』に取り組みます。
改訂後はシリーズの第4作目にと考え、贈る相手にまでそれを伝えて、そうして、取り組みはじめたのです。
ところが、そうやって取り組んではみたものの、改訂作業は思ったようには、はかどりません。
それは今なお終わりを見せぬまま、いまだに続いているような状況なのです。
『フローラの不思議な本』は長いお話しです。
字数にして65,000字弱。
400字詰の原稿用紙に換算して180枚以上あります。
とはいえ、それでも、本にしてしまえば薄っぺらいものになってしまいます。
第4作目は現時点では欠番です。
『白水仙』はシリーズの第5作目なのです。
白水仙イメージ画(左:水仙 中央:月 右:水仙 )
もし、本を書いていこうと決めたとするなら、
長いお話しをきちんと書けるということは、とても重要なことです。
ただ、一方で、人に気軽にお話しを読んでもらうとするなら、ぼくは『時の記憶』どころか『灰色の虹』でさえ長すぎると思っていました。
そのひとつの答えが、この『白水仙』になります。
この短さの中に、ぼくは、これまで取り組んできた技法を簡素にまとめ、この先の作品でも試みることになる、いくつかの技法も、同時に埋め込みました。
ぼくは技法と呼んでいますが、それはテクニックというよりは、むしろスタイルなのかもしれません。
ただ『灰色の虹』の「あとがき」の中にも技法やスタイルについて言及した箇所がありますが、そこにも書いてあるように、ぼく自身まだ、そうしたものを、まとめきれていませんので、ここでは、ひとつだけ、取り上げることにします。
それは、ぼくが「フレーミング」と呼んでいるものです。
「フレーミング」とは、お話しの枠組みを、あらかじめ読者に提示する技法です。
お話しの中に、あえて、そういった構造を埋め込むことにより、何回も聞かされている昔話しを聞かされたときと同じような効果を、初見のお話しにも持たせられるのです。
なにも新しい技法でも何でもありません。
そういった特別な構造がなくても、たとえば、何度も何度も見ていたり、内容をあらかじめ聞かされているような映画や演劇を見るときなどは、心理的に「フレーミング」されていると言えるのではないかと思います。
『白水仙』は、目に見える形でわかりやすく「フレーミング」されています。
『白水仙』は冒頭に示したようにしてはじまり、次のように終わります。
******
それはまだ肌寒い早春の出来事です。色とりどりの花咲き乱れる春本番の暖かい季節には、もう白い水仙は消えてしまっているのです。
「フレーミング」された枠の中は、外部とは隔絶された世界です。
では、そういった世界の外とは、いったい何なのかと言えば、
中に暮らしているお話しの世界の住人たちにしてみれば、そこは、まさに、神の領域なのです。
『白水仙』
2011年3月25日 初版発行
著者・発行者 中野苔桃(なかのたいとう)
印刷・製本 FedEx Kinko's
制作部数全5部
B5版縦書き5ページ[35字×15行]
1,100字/400字詰原稿用紙換算5枚
(C)2011 NAKANO TAITO
2011年3月25日 初版発行
著者・発行者 中野苔桃(なかのたいとう)
印刷・製本 FedEx Kinko's
制作部数全5部
B5版縦書き5ページ[35字×15行]
1,100字/400字詰原稿用紙換算5枚
(C)2011 NAKANO TAITO
このお話しは、秋葉原にあるコンセプトカフェ&バー『声優のたまご』に勤めているキャストのひとり、蓮花へのバースデープレゼントとして書かれたものです。
「あとがき」にも書きましたが、彼女はとある劇団に所属し、舞台にも出ています。
彼女が演劇をやっていると聞いたぼくは、今年の1月、池袋にある東京芸術劇場に彼女の出演する舞台を見に行っています。
その舞台は昭和初期に書かれた小説を舞台化したもので、コメディだったのですが、じつはコメディのほうが、人間臭さが、なんとも、まあ、にじみ出るものだと、ぼくは最近になって気づいたようなところがあります。
誰もが目を背けたくなるような、ひどい現実。
そこから容易に抜け出せない者たちは、妄想や空想を使って、自由勝手気ままに、目の前の現実とは違う、別の現実を見ようと試みます。
冷静な者からしてみれば、そういった者たちは往々にして滑稽であり、苦笑するしかない者たちだったりするわけなのですが、
ぼくは、
それこそが、まさに人間であり、
また、人間の強さの一旦を垣間見せているものではないかと思っています。
笑いはすべてを超越します。
おそらく笑いだけが、
シリアスきわまりない、このシビアな現実を、打ち崩すことができるのではないでしょうか。
たとえそれが一瞬だったとしても。
小さな小さな微笑みだったとしても。
以下は、あとがき全文です。
あとがき
二〇一一年三月十一日、過去一〇〇年を見渡しても類を見ないほどの超巨大地震が起こったその日、ぼくはこのお話しのイメージを最終的に固めて、いざ書かんと気持ちを張り詰め、テンションを上げようとしていたまさにその時でした。いた場所はぼくの大好きな公園、新宿御苑。その中にあるいつも決まって訪れる中央休憩所の大きな切妻屋根の下、雲行きが怪しく、空気がどことなくひんやりしていたためか、入園者はまばらで、そうしてひとり、いつも眺める景色を前に音楽を聴きながら水仙のイメージをただただ見つめていたところでした。幸いにして新宿御苑は都心にある公園としては広すぎるくらいに広く、結果、揺れは大きかったものの、何かが倒れることも、何かが落ちてくることも一切なく、その体験はまるで目眩のようで、どちらかといえば現実感が希薄なものでした。ただ、当然のこととして、このお話しを書きはじめるタイミングはずれ込みます。
その後、何日かの眠れない夜を過ごし、このお話しをようやく書きはじめられたのは二〇一一年三月十六日のことです。お話しが短いのは制作期間が短かったからではありません。このお話しのイメージは二〇一一年一月二十一日に新宿御苑を散歩しているときに見た群生する白水仙の透きとおるような白に惹かれて単純に「それを月明かりのもとで見たらどうなるだろう」という想像から生まれたものです。それ以後、それなりの時間をかけてイメージを醸成しているはずです。短いのは、俳句とは違ったやり方で一瞬のイメージをお話しとして表現してみようと思い立ったからにすぎません。
ただ、当初イメージしていたものと比べると、ずいぶんメルヘンチックなものに仕上がっています。ぼくとしては、もっと鋭利に、もっと冷たく、もっと儚くて、もっともっと写実的に仕上げるつもりでいたのですが、どちらかといえば表層にすぎない、そうしたぼくのイメージは、震災によって穏やかに押し流されてしまったようです。
三月十六日の創作ノートには次の記述があります。
『明らかに地震はぼくの中の何かをトリガーした。少し毛色は違うかもしれないが、このお話しはレクイエム。浮かばれることのない死者たちへの鎮魂歌。今、ぼくにできること、それは祈ること。安らかであれ、安寧であれと祈ること。悲しみに包まれたこの世界を救うことができるのは、そう、唯一ただ祈りのみ。祈りが悲しみを超越する』
この日のノートは次の記述で締めくくられています。
『今までになくやさしい気持ち。これは新しいステージかも……』
そして後日になりますが、この記述を見たある女の子と次のような対話をしています。
「祈ったとしても、その望みが叶わないとしたら、それが、叶う見込みのないものだとしたら、そうやって祈ることに、どんな意味があると思いますか?」
「そうだね、確かにそうあって欲しいと思って人は祈るわけだけど、どうだろう、どれほど状況が緊迫していようと、祈っている間だけは、人は安らかになれるんじゃないかな」
「でもそれって、ただの自己満足じゃないですか?」
「ぼくはそうは思わないなあ。ぼくは祈っているときの、そうしたやさしい、安らかな気持ちは、祈りを捧げる人のまわりにも、すうっと広がっていくと思っているからね。ちょうど穏やかに静まり返った泉に、ぽんとひとつ石を投げ入れたときのようにね」
そうして『偽善』に関する議論などを経た後で話しは『やさしさ』に。
「あたしは今までのなかのさんがどうだったかは、まったく知らないですけど、今のなかのさんでも十分やさしいと思うんですが『今までになくやさしい気持ち』って、今以上にもっとやさしくなるってことですか?」
「いやまあ、一概にそうとも言えなくて、既にあるやさしさを自覚するようになったということかな。ぼく自身、ある意味いろんなことに必死すぎて、自分がやさしい人間であるとは全然思えていなかったんだけど、それでも『やさしい人間はこうあるべき』といったイメージをつねに意識しながら生活してきたとは思ってる。ぼくにとってのやさしい人はまだまだ遥か高みにいるけど、それでもここ最近のぼくの生活を見返してみたとき、そこにあるやさしさをもっと前面に出してもいいんじゃないかなと、少しは思えるようになったんだよね。そしてそう思ったとたん、ぼくが何のために物語を書こうとしているのかがはっきり見えた気がする。まあ、もっともそれは、五年くらい前にはじめて子ども向けのお話しを書いてみようと思い立ったときの動機そのものだったのかもしれないけどね」
「なかのさんにとって、やさしい人って、どういった人です?」
「すべてを捧げられる人でいられるか、その覚悟はおまえにあるのか、ということだよね。それは献身。そしてそれが、おそらく、愛を支えているものなんだと思うよ」
そう、ぼくはこうした対話を学生時代、みなに煙たがられながらもよく行っていました。そしてその後はずっとひとりで。でも最近になってまた、誰かとやってみる機会が増えているように思います。ただ、かつては、答えの得られない問題に対して議論を大きく空想で盛っていたのですが、今ではさすがに経験に基いて議論するようになっています。
この『白水仙』は一連の童話シリーズ「ダークメルヘンのための連作」の『灰色の虹』『雪だるまのアルフレッド』『時の記憶』『フローラの不思議な本』(これを執筆している時点ではまだ未完)に続く、シリーズ第五作目として書かれたお話しです。
そしてこの『白水仙』も前四作同様、秋葉原にあるメイド喫茶『声優のたまご』で知りあった女の子への誕生日プレゼントとして書かれたものです。彼女は、とある劇団の劇団員をしていて、ぼくは彼女の出演する演劇を見に行ったことがあります。舞台の上の彼女はイメージを覆すくらい華があって驚いた記憶が今でも鮮やかに残っています。
ああ、死者よ、安らかであれ
そして生き残った者たちにどうか希望の光をもたらしたまえ
二〇一一年三月 秋葉原某所にて
べつにお話しが短くて時間が余ったからというわけでも、また短すぎて申しわけないと思ったからでもないのですが、今回、ぼくは、『白水仙』に特製ケースをつけて渡しています。
上に載せた、蓮花と声優のたまごで撮った写真。
ぼくが着ているTシャツのキャラクターと、この特製ケースについている白い人形のキャラクターは、同じもので、名前をウアモウ(UAMOU)といいます。
秋葉原駅と、上野よりの隣駅、御徒町駅のほぼ中間にあたる JR山手線高架下に、2k540 という施設があります。
ものづくりを担う職人やアーティストたちが集まってギャラリーやショップを開いたりもしている、他に類を見ないような、ちょっとこじゃれた、モールのようなところなのですが、そこに、STUDIO UAMOU というギャラリーがあります。
ウアモウたちは、その生みの親の高木綾子さんとともに、そこにいます。
また表紙は、今回も、つばさに描いてもらっています。ただし、絵を描いてもらえることになったのがバースデーイベントの直前でしたので、間に合わないことも考慮して製本するときにトレーシングペーパーを使った暫定表紙をつけて製本してみました。結果的に絵はギリギリ間に合い、ぼくの拙い絵をコピーしただけの暫定表紙は破棄されることになったのですが、つばさの努力には本当に、感謝です。ちなみに絵を描いた順番は、この『白水仙』が3枚目で、前作の『時の記憶』の表紙は4枚目になります。
『白水仙』は限定5部の完全非売品です。はっきり言ってしまえば「あとがき」のほうが倍以上も長いので、ここに全文を掲載することは、まったくもって可能なわけなのですが、ぼく自身、やはり縦書きにこだわりがありますし、個人的に誕生日プレゼントとして捧げたものですので、このブログ上に全文を載せることは差し控えさせていただきたいと思います。Web公開版を作りましたので、もし可能でしたら、そちらをご覧いただければと考えています。
最後に、どのような形であれ、ぼくの書いたお話しを読んでいただいた方々には、心よりの、感謝、感謝、感謝です。
ありがとうございました (⌒▽⌒)
『白水仙』のWeb公開版を作りました。
閲覧のみに制限されたPDF文書で、ファイルサイズは530ほどあります。また公開期間を一定の期間に限定させていただいています。ただし設定した期間内であっても公開を中止する場合がありますのでご了承ください。
お使いの環境によってはダウンロードしてから閲覧する形になる場合もあるかと思いますが、二次配布は原則禁止とさせていただきたいと思います。閲覧希望者にはこのページのURL http://ameblo.jp/nakanotaito/entry-10966248765.htmlをお伝えくださるようお願いします。また、公開期限が過ぎている等の理由により公開が中止されている場合は、コメント、メッセージ、ツイートなどでリクエストいただければ、再公開するよう善処します。
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『白水仙』 Web版
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