作品紹介『オイディプスとスフィンクス』
「きさま、いったい、どういうつもりだ? なにがしたいのだ。いや、いい、なにもしなくていい。たのむから、もうなにもしないでくれ。おれさまの、じゃまをするなと言ったろう? いいから早く、うちへ帰れ、ぼうず。どこなんだ? おまえのうちは。ひとりで帰れないなんて言わないでくれよ?」 オイディプスは言いました。 すると男の子が答えます。 「ぼくのうちはここだ。さっさと帰るのは、おまえのほうだ」 「おい、おい、おい、おれさまは、この洞くつにスフィンクスがいると聞いて、わざわざ、やってきたんだ。なにしろ、いいか? テーバイの町をおさめる王さまがだ、スフィンクスを退治したものにはテーバイの町と自分の妻をあたえると言っているという話しだ。おれさまがスフィンクスをたおせば、つぎのテーバイの王は、そう、おれさまってわけさ。これがスフィンクスに会わずに帰れるか。ちがうか?」 「なら、安心しろ。ぼくが、そのスフィンクスだ」 | ああ、まただ。また、また。 おかしなかっこうをした、おかしな男の子が、たいそうまじめな顔をしてオイディプスを見あげていました。 オイディプスは、もう、なにを言うのも、めんどうになっていました。腕を組んだまま男の子をにらみつけ、心のうちでは、さてどうしたものかと考えをめぐらせていました。 |
『オイディプスとスフィンクス』より |
『オイディプスとスフィンクス』は2011年7月から8月にかけてこのブログに連載された書き下ろしのお話しです。
スフィンクスや運命の女神にまつわるギリシア神話だけでなく、ソポクレスのギリシア悲劇からも題材を得ています。
それを今回、前作『アネモネになったアドニス』に続く「ギリシア神話物語 その2」として、ひとつの本にまとめ、形に残すことにしました。
その際、加筆と修正が加えられています。
執筆時間の都合上、ブログに連載しているものは、どうしても早書きにならざるを得ず、それは、ぼくの基準で言えば草稿といったところです。
ぼくは通常、草稿を書きあげた後、第1稿を作り、さらに手を加えて第2稿、最終の印刷原稿で誤字脱字のチェックを行っています。
草稿から第1稿のプロセスの大半は、論理的整合性をチェックしながら話しの流れを整理していき、分かりやすくなるようにイメージを補完する言葉を随時補っていくといった作業に終始します。
草稿ではアラがずいぶんと多いため、言葉が足りないことが多いのです。
そして第1稿から第2稿へのプロセスは主に「てにをは」「です・ます」の調整です。
リズムとテンポをぼくのイメージに近づけるために何度も何度も読み返して言葉を白紙に定着させていきます。
よく「校正は終わらないのでは?」と聞かれることがありますが、そんなことはありません。
ぼくの場合、それは必ず収束していきます。
その状態を、ぼくは「枯れた」と表現しています。
百年の耐久力を持つ古典を書こうとしているわけです。
ですから腐りの元となる水分を十分に絞り出し、あらかじめ物語を徹底的に枯らしておく必要があるというわけです。
『オイディプスとスフィンクス』の着想は19世紀の巨匠アングルが描いた『スフィンクスの謎を解くオイディプス』を見ているときに得られました。
彼の描いたオイディプスには傲慢さがうかがえます。
そこから大人の男のエゴをテーマにし、運命に翻弄される男の姿を書いてみようと思い立ったのです。
ただこのとき必要とされるのは我の内面を見据える他者の目であり、そのためスフィンクスは、どうしても男の子でなければなりませんでした。
一般的にスフィンクスは女性とされていますので、ずいぶん悩み、ずいぶん調べましたが、先に上げたルドンの『神秘主義的な騎士』など、それっぽい先例もありましたので、もともとの着想通りスフィンクスは男の子で強行することにしました。
もちろん幼い女の子でも良かったのですが、どのような形であれ傲慢なオイディプスと対峙させる以上、女性の使用を極力避けたい気持ちがあったのは事実です。
ぼくはフェミニストではありませんが、現代の童話、児童小説書きとして、直喩、隠喩を含め、性や猥褻表現には神経質なくらい注意を払っています。
今は大正時代でも昭和初期、昭和中期でもないのです。
大人の男性の象徴であるのオイディプスの傲慢さは不信とともに崩壊していきます。
その傲慢さを見つめる第三者が神であればなおさらです。
神はすべてを語ることはありません。
その圧倒的な力の差ゆえに、こちらからそれを要求することさえできないのです。
さらにもうひとつ。
ギリシア神話の中にはモイラと呼ばれる運命の女神が登場します。
通常は「運命の三女神」としてモイライと複数形で呼ばれる彼女たちは、運命の糸を紡ぐ長姉クロート、運命の糸の長さを測る次姉ラケシス、そしてその糸を断ち切る末妹アトロポスで構成されます。
人間の運命は、こうしたモイラたちが紡いだ糸車の中にあるというわけです。
そして恐ろしいことに、このモイラたち、じつは人間だけでなく、ゼウスをはじめ、名だたるオリュンポスの神々の運命さえ握っていると言います。
ぼくのお話しでは、オイディプスは自分の運命が紡がれた糸車をスフィンクスの手から強奪し、思うがままに自分の行く末を見ていきます。
ただしそれは、これから始まっていく未来への旅ではなく、自らの終末から過去へとさかのぼっていく回帰旅行です。
しかもその結末は、古代ギリシア中を震撼させた悲劇的結末です。
やがてオイディプスは、自分の犯した過ちを理解してしまいます。
すでに起こってしまった出来事と、すでに見てしまった自分の未来の姿。
その両者が論理性を伴って、ひとつに結びつけられたとき、人はいったい、どういった行動をとるのでしょうか。
ぼくはあえて結末は書かずに物語を閉じています。
以下に続くものは『オイディプスとスフィンクス』に載せた、あとがきです。
あとがき
『オイディプスとスフィンクス』は、ぼくのブログ、なかのたいとうの『童話的私生活』に二〇一一年七月から同八月にかけて連載されたお話しです。今回それに加筆修正を加えた上で本という形にして残すことにしました。
このお話しは、多くの方がご存じのギリシア神話の逸話、スフィンクスの謎なぞに関するエピソードをアレンジしたものです。伝説によれば、古代ギリシアの古都テーバイを悩ませていたスフィンクスの謎なぞを解いたのが、本作に登場するオイディプスです。オイディプスは数奇な人生を歩んだギリシア神話の登場人物で、実在したかどうかはわかりませんが、紀元前五世紀にソポクレスの手によって書かれたギリシア悲劇『オイディプス王によって今もその名が知れ渡っています。父を殺し、母と契りを結ぶ。『オイディプス王のクライマックスでは非情なまでにドラマチックにそれが表現されています。二千五百年近く経った今読んでみても古くささは感じられません。普遍性のあるテーマを選んでいるということもあるのでしょうが、やはり実際には、そうはないにしても、ありそうな話しとして多くの人の心を捉えているからではないでしょうか。
さらにこのお話しでは『オイディプス王』の続編となる『コロノスのオイディプス』からも逸話を取り入れています。『コロノスのオイディプス』にはオイディプスの最期が描かれています。『オイディプス王』のラストで自ら目を潰し、娘アンティゴネと共に放浪の旅に出たオイディプスは、アテナイの近くの森の中で永遠に安住できる場所を見出すことになります。『オイディプス王』の後日談と言えると思いますが、ぼくはそこにソポクレスのオイディプスへの愛情を感じます。『オイディプス王』が夏の夜の嵐だとすれば、『コロノスのオイディプス』には、どこか春の日射しの中でまぶたを閉じて眠りにつくような趣があります。ある意味退屈なのですが、ぼくは好きです。
スフィンクスをどう表現するか正直迷いました。ですがぼくは男対女という状況のままこのお話しを書きたくなかったので、あえてスフィンクスを男の子としました。大人の男対男の子という構図にしたことで、オイディプスの、ひいては大人の狡さに焦点を当てることができたと思っています。結論をあえて告げずに切っているのは、そうした理由もあります。選択肢はいくつもあります。さてさて、あなたなら、どう決断しますか?
表紙は相田木目氏に描いてもらっています。彼とは秋葉原の北にあるSTUDIO UAMOUで知り合いました。漫画を描いていたというので、じゃあということで頼んでいたのですが、絵が出来たタイミングがちょうどTHE TOKYO ART BOOK FAIR 2012への出展を検討していた時期と重なったこともあり、フェア出展作のラインナップに加えさせていただきました。その出来に、ぼくはとても満足しています。
二〇一二年九月 秋葉原某所にて
漫画、イラスト、立体と、人知れずこっそり、ひっそりと活動しております。挑戦と猛省を繰り返す日々を送っております。 |
『オイディプスとスフィンクス』の表紙は相田木目氏に描いてもらいしました。
彼はフィギュアマニアで、ぼくがよく行く秋葉原2k540のSTUDIO UAMOUにもよく来ていて、それで知り合いました。
彼の絵はちょこちょこ見ていたのですが、そのどれもが相当緻密で几帳面なペン画です。
テイストはファンタジック。
じつは漫画を描いていましたと言うので作品を見せてもらったところ、それはまさにアメリカンコミックでした。
ぼくは『オイディプスとスフィンクス』に関しては、かわいらしさは必要ないと思っていましたし、ギリシア彫刻的なテイストも欲しいと思っていましたので、彼に絵をお願いすることにしました。
一般にアメリカンコミックに登場する男性は、四角四面で筋肉隆々、どちらかといえば野暮ったいゴリラ的な何かなのですが、そこに相田木目の日本のエッセンスが加わると古代ギリシア時代の彫刻然とした端正な美に変わるのです。
『オイディプスとスフィンクス』表紙原画 |
©2012 Mocme All Right Reserved. |
完成した彼の絵を見たとき、一目で表紙のイメージが浮かびました。
けれども、それを実現するまでがたいへんでした。
ぼくは黒基調で、しかも表紙を額に見立てた本らしくない本を作ろうと思い立ったのですが、なかなか思い通りにはいきませんでした。
通常印刷が不可能な黒い紙や布を使って貼り合わせ、シルクスクリーンを使って印刷すればイメージ通りにできたのかもしれませんが、そこまでのコストも時間もかけていられません。
結局最終的に取った方法は、2mm厚のボール紙の上に全面黒印刷をほどこした表紙を貼り、写真用のマットカッターで窓を切り裂いて切断面を墨で着色し、乾燥後、既に原画を貼り付け済みの本の上に貼るというものでした。
相当難しく、面倒で、時間も手間も体力も必要な表紙です。
『オイディプスとスフィンクス』が完成したのはTHE TOKYO ART BOOK FAIR 2012初日の朝です。
10部作るのがやっとでした。
『オイディプスとスフィンクス』は、9月21日(金)、22日(土)、23日(日)の3日間に渡って開催されたTHE TOKYO ART BOOK FAIR 2012に出展する作品のひとつとして制作されました。
『オイディプスとスフィンクス』をはじめTHE TOKYO ART BOOK FAIR 2012に向けて制作した本は、価格を改定した上で、在庫があるうちは販売を継続しています。
現在、以下の本がAmazon Kindleストアで販売中です。
るどるふ Kindle版 | こうもりおばさん Kindle版 | ねずみのらんす Kindle版 |
はりねずみのふぃりっぽ kindle版 | くじらのましゅう Kindle版 | 雪だるまのアルフレッド Kindle版 |
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また、2012年9月に開催されたTHE TOKYO ART BOOK FAIR 2012に向けて制作した本は、価格を改定した上で、在庫があるうちは販売を継続しています。
下記のお問い合わせ先にご連絡いただければ、折り返しご連絡いたします。
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なかのたいとう童話の森は、童話作家なかのたいとうの個人出版レーベルです。自作の出版の他、絵本、童話、児童小説を電子書籍で自費出版したいという方たちのための窓口として2013年に設けられました。初期コストをかけずに出版することは可能ですので、自作の電子書籍化をお考えの方はぜひご相談ください。
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