真面目で良心的/少年時代の生活環境
ジョン・コルトレーンの性格、その強迫的側面〈2〉
喪の作業、そして強迫的儀礼としての?〈12〉
コルトレーン、ヘロインを断つ その44
※またまた 針小棒大な作文になっております。ご了承ください。
良心的・真面目・正義感/平穏を好む
学校で喧嘩があると知ると、いつでも校長のウィッテッドに告げ、仲裁してもらった(*)。
(*)Simpkins, p.8.
C・O・シンプキンスはこれをポジティヴなエピソードとして取り上げているのだが、今の日本人の多くはこういった生真面目さが嫌われることを知っているから、自分がイヤだとは思はないまでも、こういう人間をイヤな奴だと思う者がいるだろうとは想像するだろうと思う。まあ、ちくりだからな。場合によっちゃいじめの対象になってしまうこともあるだろう、今の日本じゃ。でもこれは1930年代のアフリカン・アメリカンの子供の話。
要約するとたったこれだけのことだが、立ち止まって考えるといくつかの傾向を引き出すことができる。良心的で生真面目、という強迫的傾向は明白。コルトレーンはちびっこ同士の決闘を面白がって観戦する、というようなタイプの子供ではまったくなかった。
校長を巻き込んでいることからは組織及びその規範への従順さも読み取れる。さらに自分で仲裁するのではなく大人に頼るところには気の弱さが窺われるし、争いごとを嫌い平穏を好む傾向も想定可能。後者はうつの病前性格にあった非攻撃的な対他配慮性に相当する。つまり、このエピソードはどの要素も強迫スペクトルの内部に収まっている、と考えることができる。平穏を好む傾向については他にもう一つ項目を設け、そこで以後その傾向がどうなったかを辿ることにする。
ここでは先の几帳面さと合わせてこれらの傾向に影響したであろうしつけと生活環境について穿鑿してみよう。
メソジスト
既に何度も触れているように、コルトレーンと一緒に暮らしていた母方の祖父ウィリアム・ウィルソン・ブレア(1859-1938)はメソジストの牧師だった。オーガスト・ブルーム August Blume によるインタヴュー(*)で宗派を問われ、メソジスト、とコルトレーンが答えると、厳しい宗教的生活を送ったのか、とブルームは即座に追って質している。メソジスト=厳格、というのはステレオタイプな認識なのではないのかと警戒していたが、当のアメリカ人がそう解しているのだから杞憂だったのかもしれない。黒人自身もエピスコパルなんてハイ・トーンだよ、と言って敬遠する人たちがいるようだし(**)。
(*)Porter, p.11-13。58年6月15日に行なわれ、59年1月、Jazz Review 誌に発表。
(**)北村崇郎『ニグロ・スピリチュアル』(みすず書房)p.299-300。エピスコパル(監督派)はこの場合、African Methodist Episcopal (or + "Zion") Church の Episcopal。ハイ・トーン high-toned は上品ぶった、格式ばった、の意。コルトレーンのお祖父さんは Zion の方。 もっとも、ずっと時代が下ると、牧師がシャウトし、それに信徒たちが応えて派手にコール・アンド・レスポンスを展開するようなメソジストの教会も現れているみたい。ホーリネス・チャーチの系統じゃなくて、歴としたアフリカン・メソジスト・エピスコパル系の教会。バプテストの影響だろうか。森孝一『宗教からよむ「アメリカ」』(講談社選書メチエ)p.236 で紹介されているのは1980年代の一こま。或いは特殊なケースなのか?
ブルームの問いに対してコルトレーンは、それほど厳格でもなかった、と答え、しかし確かにある種の厳格さはあった、と付け加えてから祖父のアクティヴな政治的傾向について言及している。したがって、その厳格さは必ずしも宗教的なものではなかったのかもしれない。極端に厳格なメソジストの場合、絶対禁酒は当然で、観劇やトランプ、ダンスといった娯楽も禁止されるが(*)、ブレア家及びコルトレーン家の場合、多分そこまでのことはなかった、ような気がする。ハイ・スクール時代に飲酒を経験したり、喫煙の習慣が始まっても母親に禁じられることなく以後ずっと維持されたし。
(*)八木谷涼子『キリスト教大研究』p.131-132。ルーシー・M・ボストン『メモリー―ルーシー・M・ボストン自伝』(評論社)p.64。その他礼拝堂やノアの箱舟しか作れない(応用が利かない)積み木といった日曜日用のおもちゃなんかが用意されていた(p.29)。ただしメソジストは音楽には結構寛容で、禁じられていない。この辺はブレア家、コルトレーン家と一緒。イングランドの白人で上流階級のメソジストと比較してどれほどの意味があるのかわからぬが、一応参考までに。
祖父ブレア牧師
宗教家といっても、祖父ブレア牧師は教会運営や財政組織の結成等、実際面でその能力を発揮し、リーダー・シップを執った。そして65歳を過ぎてからは長老 elder に任命され、州内の教会を巡回指導するようになる。また小学校の設立や、クエーカー教徒が運営していたハイ・スクールの市への売却等に尽力し、何らかの表彰も受けたらしい(*)。祖父ブレアは若い頃、ギルフォード郡委員長の地位(**)に就いていたことがあったというから、もともと政治的な手段で黒人の地位を向上させようというような野心の持ち主だったのかもしれない。黒人が官職から次々と追われていった1890年代以降の反動期に、その野心を保つことが可能な、残されていた選択肢が聖職者だったとも考えられる(***)。
(*)Porter, p.5-6。小学校とハイ・スクール、どちらも後にコルトレーンが通うことになった。
(**)藤岡靖洋「ノース・キャロライナにコルトレーンのルーツを探る」、スイング・ジャーナル2006年12月号、ジョン・コルトレーン生誕80周年特集。ギルフォード郡はノースカロライナ州の中央北部位置し、コルトレーンが暮らしたハイ・ポイント市はその南西の隅にあった。
(***)或いは再建期の終わり(1877年)から、ジムクロウ法が制定されていく80-90年代にかけての反動の流れの中で。1890年代の反動については、J. Edgar Hoover and the American Civil Rights Movement 参照。
そんな黒人コミュニティーにおけるブレア牧師の功績が、どの程度まで評価され広まっていたかは定かではないが、近所には当の小学校の先生も何人か住んでいたというから、名士とは言わぬまでも、近隣にその働きは知られていただろう、と想像できる。コルトレーンが住んでいた祖父の持ち家は、教師の他、医師や聖職者等の知的専門職に就く、経済的に恵まれた人々が住むエリアにあった(*)。1930年代の調査によると、黒人居住区の81%が借家住まいで、2階建て住宅は10%以下だったという。で、ブレア牧師宅は2階建てだった。
(*)Porter, p.14
(**)『コルトレーンの生涯』p.19。コルトレーンの幼馴染フランクリン・ブラウアーの証言。
つまりコルトレーンはそこそこ、いやかなり恵まれた生活環境で少年時代を送っていたわけだ。隣近所は賤しからぬ身分の人たちばかりで、お祖父さんはなかなかに偉い人だったとすると、母アリスは周囲も慮って、そんな祖父に恥ずかしくない孫たるべくコルトレーンをしつけたのではないかと容易に想像される。そしてコルトレーンも自分の置かれた位置をちゃんと察してそのしつけに応え、几帳面で生真面目な傾向を育んだのではないかと思われる。当然小学校の校長はコルトレーンが誰の孫か知っていただろうし、コルトレーンとしてはちょっと悪ガキは演じにくい。
しっかし自分で言うのもなんだがかなり針小棒大な作文になっちまった。そうならぬよう警戒しつつ、次回以降は凝り性、内気で物静か・穏やかさ、そして青年期以降に顕著になった傾向に目を向けていきます。 (つづく)
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◆ジョン・コルトレーンのレコーディング、アルバム
・A Blowin' Session / Johnny Griffin
('57, 4/6)
・Thelonious Himself / Thelonious Monk
('57, 4/16)
・The Cats / Tommy Flanagan [The Prestige All Stars]
('57, 4/18)
・Mal-2 / Mal Waldron
('57, 4/19)
・Dakar / John Coltrane [The Prestige All Stars]
('57, 4/20)
◆ジョン・コルトレーン・エピソード集
二つの疑問 : A Blowin' Session の背景について
コルトレーンとヘロイン その2 : ヘロインとアルコールの関係1
コルトレーンとヘロイン その3 : ヘロインとアルコールの関係2
コルトレーン、ヘロインを断つ その1 : Well You Needn't?
フィラデルフィアでコールド・ターキー : コルトレーン、ヘロインを断つ その2
コルトレーン、アルコールを断つ : コルトレーン、ヘロインを断つ その3
ヘロインの禁断症状 : コルトレーン、ヘロインを断つ その4
とんだ豚野郎 : コルトレーン、ヘロインを断つ その5
麻薬規制法?1956年 : コルトレーン、ヘロインを断つ その6
"Coltrane: a biography" の補足:コルトレーン、ヘロインを断つ その7
回復の一過程としての依存の再発:コルトレーン、ヘロインを断つ その8
ファースト・リーダー・アルバムの意義:コルトレーン、ヘロインを断つ その9
神の恩寵による霊的覚醒?:コルトレーン、ヘロインを断つ その10
12ステップ・プログラムと信仰:コルトレーン、ヘロインを断つ その12
ウィリアム・バロウズ、ジャンキーの倫理〈1〉:コルトレーン、ヘロインを断つ その13
ウィリアム・バロウズ、ジャンキーの倫理〈2〉:コルトレーン、ヘロインを断つ その14
ジャンキーの倫理と信仰の質:コルトレーン、ヘロインを断つ その15
報酬系・ドーパミン・渇望:コルトレーン、ヘロインを断つ その16
ジャイアント・ステップスの萌芽:コルトレーン、ヘロインを断つ その17
信仰と渇望のモニタリング<1>導入:コルトレーン、ヘロインを断つ その18
ど忘れ:信仰と渇望のモニタリング〈2〉:コルトレーン、ヘロインを断つ その19
――意志の行使を差し控えることの効用<1>
発見・発明・創造的思考・問題解決:信仰と渇望のモニタリング〈3〉
:コルトレーン、ヘロインを断つ その20
――意志の行使を差し控えることの効用<2>
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――意志の行使を差し控えることの効用<3>
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:信仰と渇望のモニタリング〈6〉:コルトレーン、ヘロインを断つ その23
:信仰と渇望のモニタリング〈7〉:コルトレーン、ヘロインを断つ その24
:信仰と渇望のモニタリング〈8〉:コルトレーン、ヘロインを断つ その26
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几帳面だった少年時代 : コルトレーン、ヘロインを断つ その43
真面目で良心的/少年時代の生活環境: コルトレーン、ヘロインを断つ その44
◆ジョン・コルトレーンに関連してその他
『ジョン・コルトレーン 『至上の愛』の真実』 / 『コルトレーンを聴け!』
◆ジョン・コルトレーン・サイト
Trane's Works 55, 56 / ジョン・コルトレーン年譜