回復の一過程としての依存の再発:コルトレーン、ヘロインを断つ その8 | ジョン・コルトレーン John Coltrane

回復の一過程としての依存の再発:コルトレーン、ヘロインを断つ その8


目次 index(ここからすべての記事に行けます) (うそ)

コルトレーン、ヘロインを断つ 目次

ジョン・コルトレーンのプロフィール(take1)




ジョン・コルトレーンは1948年(推定)から1957年まで約10年間に渡りヘロイン常用者だった。次々にそのスタイルを変転させながら目覚しい演奏活動を展開した、依存克服からその死までの約10年間の疾走にほぼ匹敵する長さだ。クリーンになって多くの者を納得させる素晴らしい成果を残せたのだから、さっさと素通りして来るべきヴィンテージ・イヤーズに取り掛かったほうがより生産的なのかもしれない。


しかしどういうわけかヘロインにしろ薬物依存にしろ妙に面白くて人を夢中にさせるものがあって、足止めを食っているような状態で「コルトレーン、ヘロインを断つ」と題してあれやこれやのオカマをせっせと掘っている。おれはヘロインについてほんのちょっとだけだけど勉強したから、そのリスクを考えるととてもじゃないがやってみようなどとは思わないが(ただ、医師の管理のもとに合法的に試せるのなら絶対やってみたい)、明らかにトピックとしてのヘロインには中毒しちゃってるみたいだ。だからふと気付くと、ジョン・コルトレーンがヘロインを常用した泥沼の10年が無意味だったなんて到底考えられなくなっている。きっと何がしかの意義がそこにはあったに違いない、ってなもんだ。しかし別にちゃんとした根拠があってそう考えるんじゃないんだから、全くもって中毒としか言いようがない。


さて、その過ぎ去った10年と来るべき10年の分水嶺ともいえる1957年5月のコールド・ターキーについて、漸く事実確認が終わり、ほぼ材料が出揃ったので、今度は新たな視点を導入して出来事の捉え方をやや変えつつ、ヘロイン依存克服を可能にしたもの、その助けとなり強く推進したものについて考え、ひいては出来事のトータルな意味について吟味・穿鑿=妄想してみようと思う。


近藤恒夫著『薬物依存』
近藤恒夫著『薬物依存』(大海社)はヘロインについて調べるうちに行き当たった本で、自身覚醒剤常用者だった著者がその依存からの回復を中心に自らの過去を振り返った自伝的な部分と、“ダルク” という薬物依存者のためのリハビリ施設を設立し軌道に載せるまでのレポートから構成されている。薬物依存への理解を広く社会に求めることを旨として書かれたもので、いわゆる薬物依存の解説書ではない。また対象が国内の状況であるため主に言及されるのは覚醒剤やシンナーの依存者で、ヘロインについての言及はほとんどないようだから、最初手に取った時は読もうかどうかちょっと迷った。しかし参考にならないようなら途中で投げ出すことにしてとりあえず読み始めてみると、これがなかなかに(誤解を恐れずに言えば)楽しい読み物であっという間に読了してしまった。ヴァイタリティ―に溢れ、無類の女好き=女性依存症でもあった「走って考えるタイプ」の著者近藤恒夫の個性に読む者は必ずや魅了されるに違いない。きっとテレビ・ドラマか映画にしたらいいものができるだろう(或いはもうドラマ化されているのかもしれないが)。良い本だと思う。


しかし単に面白いだけではない。コルトレーンのヘロイン依存とその克服を考える上でも参考に出来そうな見解がいくつか紹介されているからだ。それらはあくまで薬物依存の現場での経験に裏付けられた実践的(かつ倫理的)な知であって、決して依存に関する医学的・理論的な見解ではないのだが、とても示唆に富んでいる。まずは先に改めて確認した目下のトピック、繰り返されたコルトレーンの依存克服の試みに適用できそうなものを取り上げてみよう。


それは依存における意志と再発に関する見解で、いくつかの異なる位相が孕まれており、なかなかに微妙な問題でもあるのだが、ここでとりあえず必要なのはそのうちの比較的簡明なものだ。それは薬物依存に対する司法と医療の現場での考え方の違いを対照させるコンテクストで記されている(p.224-225)。依存者の意志の弱さを責め、反省を迫る司法に対し、医療においては薬物依存は意志の力ではどうにもならない “病気” であると見なされる。それゆえ、依存の再発を司法では意志の弱さ、反省のなさと判断するが、医療においては回復の一過程と捉える。この見解は、リハビリ施設において一度も再発を経験せずにクリーンな状態を続けている者が極めて少なく、薬物の如何にかかわらず、依存者は概ね一度やめても依存を再発し、その繰り返しの末に克服できるのが常態である、という事実によっている(p.155)。


つまり、以上の見解をヒントに、コルトレーンの約一年の間に繰り返されたコールド・ターキーを一連の過程として捉え、57年の5月をその最終的な帰結と考えてみることがもしかしたらできるかもしれない、ということ。さらにヘロインの場合、その禁断症状がハードなため、例えやめるに至らずともその失敗も「回復への一過程」としてカウントできるかもしれないし、その反復に何がしかの意義が存するかもしれない。但し医学的な根拠は全くないが。素人考えだが、些かなりとも慣れる、という程度のことはあるかもしれない。禁断症状の暴風の真只中で、少なくともこの先にどのような苦痛が待ち構えているか、というような不安は直近の経験がものをいって起こらない、或いは緩衝されるのではないだろうか。これはあまり説得力ないか。ただ、少なくともその反復に、その都度失敗はしても、やめようとする意向は持続していたことの証しを読み取り、トータルとしては回復の過程にあった、と考えることはできるのではないだろうか。


コルトレーン、ヘロインを断つ その1:Well You Needn't? 」で既に述べた通り、ジョン・コルトレーンのバイオグラフィー "Ascension" で、著者のエリック・ニセンソンはマイルス・デイヴィスの例に基づき、コルトレーンも一遍にヘロインをやめたのではなく、断続的に使用を続け、最終的に克服したのは57年の終わり頃だったのではないかと推測しているのだが(p.43-44)、以上の捉え方からすると、57年5月は既にそのような過程の最終局面にあったと見なすことができるのだから、ニセンソンの推測はそのままその時期を遡らせる必要があるだろう。


マイルス・デイヴィスの場合、父親の農場でのコールド・ターキー後、依存の再発を見込んで純度の低いヘロインしか手に入らぬデトロイトを滞在先に選び、それがヘロインの投与量の漸減を結果し、最終的な依存の克服にこぎつけることができた(『マイルス・デイビス自叙伝Ⅰ』p.278-288)。コルトレーンの場合にも同様のことはあったのだろうか。残念ながら、投与量の漸減に関する話は一つも伝えらてはいない。ただ、ツアーの直後には同様の状況が起こりうる可能性はある。例えば、ジミー・ヒースはガレスピーのビッグ・バンドでツアー中、ニューヨーク以外の都市でのヘロインの純度の低さと値段の高さを理由にその投与法を鼻孔吸入から静脈注射に変えた。無論後者の方が前者よりも作用レベルが強いからだ(Porter, p.85)。また、ニューヨークではフィラデルフィアでは得られないような純度が高いヘロインが入手できたため、コルトレーンはその依存を昂じさせたともいう(『マイルス・デイビス自叙伝Ⅰ』p.346)。とすれば、ニューヨークを離れるツアー中は自然と投薬量を漸減させる機会となり、その直後であれば依存の克服はより容易になるはずだろう。57年の4月と5月の場合、直前の3月いっぱいまでツアーだったのだから、丁度そのような状況になるし、或いは56年の6月に一時やめていたというのも、4月のカナダやボストンでの公演が直前にあった為なのかもしれない。しかし豚野郎のコルトレーンに漸減投薬というようなそんな気の効いた真似ができただろうか。薄いやつしか手に入らなければ、倍の量やっちゃったんじゃないだろうか。そう勘繰ってはあまりにコルトレーンに失礼だろうか。 (つづく)





ジョン・コルトレーンのプロフィール(take1)


コルトレーン、ヘロインを断つ 目次

目次 index(ここからすべての記事に行けます) (うそ)






--------| ・人気blogランキング | ・ブログセンター | ・音楽ブログ ジャズ・フュージョン |-------

-----------| ・くつろぐ ブログランキング | ・ブログの 殿堂 | ・音楽広場:ジャズ |------------