強迫性を診断してみる | ジョン・コルトレーン John Coltrane

強迫性を診断してみる

喪の作業、そして強迫的儀礼としての?〈10〉


コルトレーン、ヘロインを断つ その42



注意 注意! これはあくまでお医者さんごっこにおける診断です。ホントの精神医学や病跡学では全然ありません。悪しからず。



お勉強の甲斐あって、今や様々な強迫性を見分けるいくつかの基準が得られており、「強迫症状を抱えた著名人」 で取り上げた人たちはみな強迫性障害である、とはっきり分かる。


そのうち岸田秀のみ、強迫性人格障害とまではゆかぬが、強迫的な性格傾向を併せ持っていたことが明らかになっている(*)。


(*)町沢静夫&岸田秀『自己分析と他者分析』参照。



ただ、たった一人で(!)『英語辞典』を編纂してしまったサミュエル・ジョンソンをはじめ、みなそれなりに高度な業績を残している人たちだから、多かれ少なかれ、強迫的な性格傾向も持っていたのではないかと推測はされる(鏡花なんか突っ込んでみたい気もするが、残念ながら暇がない。最近読んでねーな)。



次に、ピアニスト青柳いづみこさんのエッセー『6本指のゴルトベルク 第8回 強迫性障害』 で名前が挙げられていた人達を振り返ってみましょう。



ミケランジェリさん


ミケランジェリ

まず、ミケランジェリさんにはいわゆる強迫症状はなく、強迫性障害ではない、と見なすことができます。念のために言うと、例えば、彼の常軌を逸したような猛練習には強迫症状に特有の自我異和性は認められず、むしろそれは自我親和的なもののように窺えます。つまり強迫症状とは言えない、ということです。


となると、はっきりと彼に認められる非常に強い強迫的傾向について、今度は強迫性人格障害の疑いが頭をもたげます。強迫性人格障害には逸脱の自覚がなく、自我親和的であるからです。しかし、その猛練習が、練習しないでいるとすぐに腕がナマる、という自分の傾向を自覚してのことだと分かれば、だいぶ疑惑は薄まります。


さらに、ピアノの調律と整調に対する厳格な要求にしても、コンサート・ホールのピアノが気に入らなければ自分で代わりのピアノを探す努力をしたり、時には妥協して不本意な調律で演奏に臨むということもあったわけですから、必ずしも融通のきかない、コチコチなものではなかったことがわかります。


むしろミケランジェリさんの場合、強迫性は「障害」ではなく紛れもない能力として、自らの芸術を創造しそのクオリティを保持するという目的に些かもブレることなく振り向けられていた、と考えた方が良さそうです(しかし他方で、ミケランジェリさんに SSRI を投与したらどうなっていたんだろうか、というような、よこしまな好奇心がふと心をよぎらないでもありませんが)。


但し、以上は音楽にまつわる限られたエピソードに基づく判断であり、日常の生活ではどうだったのかは全く考慮されていませんので、かなりいい加減なものです。しかし、仮にミケランジェリさんが普段の生活においてもその強迫性を発揮し、「障害」と見なされるとしても、その音楽・演奏活動には支障を来さなかった、とは言えると思います。



エレーヌ・グリモーさん ドキドキ


エレーヌ・グリモー

エレーヌさんの場合、その強迫性は、病理としての強迫性障害であることは明らかです。かかとに負った傷を麻酔なしで縫合した際の経験をきっかけに、すべての障害が始まったそうですから、エンドルフィンによる陶酔と心配する両親への罪責感、という両義的な精神状態が防衛としての強迫症状もたらした、と一応は考えることができます。しかし、詳しい成育歴が明らかにされているわけではないので、そのことだけに強迫性障害の原因を帰すことができるかどうかは分かりかねます。ただ原因の一つとして、小さくない意義を持っていた、とは言えるかもしれません。


性格の方はどうでしょうか。エレーヌさん自身が、自分は強迫的な性格だったので音楽家に向いていたのだ、と述懐しています。しかし、自伝『野生のしらべ』を読んでみると、強迫性人格障害の類型からはかなり隔たったイメージを与えられます。感情を抑制した生真面目な人、とはとても思えない。


エレーヌさんの強迫性には、防衛機制だけではなく、自分を制約するものからの解放を求め、逃走しようとするニュアンスがあります。逃走といっても回避的ではない、積極的な逃走です。また、音楽にしろ、狼にしろ、彼女が気に入ったものに没入するその様子にも、強迫性だけではなく、もっと別の衝動が感じられます。それは、エンドルフィンという、たった一つの脳内物質の名称に帰するよりは、より懐の広い、「野生」という言葉で指示した方がよりふさわしい何ものかなのかもしれません。それが、地元の学校からパリの音楽院へ、パリの音楽界からアメリカへ、といった移動を促し、駆り立てているように思えます。


例えば、エレーヌさんは、音楽院のカリキュラムに異を唱え、しばしば教授陣と衝突しましたが、それは、強迫的性格の補足的特徴にあった、規則や権威への従順や、組織への盲従とは全く逆の傾向です。強迫性人格障害の人の場合、規則の遵守を強要して周囲と摩擦を起こすわけですから。


そして、キャリアを積むと共に、音楽に対する強迫的な完全主義は薄らぎ、コンサート前に一つの作品を何度もさらうことを好まなくなり、オーケストラとの共演の際など、試演を拒否するまでになりました。


さらに、狼への偏愛はどうでしょうか。そもそも、自らの能力を超えて自己及び外界をコントロールしようと欲する強迫性人格障害の人が、まさに人間的コントロールの埒外にある野性の狼を好きになって触れ合おうなんてあり得ないんじゃないんでしょうか。


したがって、エレーヌさんには病理としての強迫性障害はありましたが、性格については、病理的な強迫性はなかった、とみてよいと思います。エレーヌさんの強迫的な性格傾向はあくまでも能力として、それとはまた別種の衝動と相俟って、音楽家としての道を切り開くことを可能にした、と言えるのではないでしょうか。



エルフリーデ・イェリネクの小説『ピアニスト』


エルフリーデ・イェリネク 『ピアニスト』

最後に、青柳いづみこさんのエッセーで取り上げられていた、エルフリーデ・イェリネクの小説、『ピアニスト』の主人公エリカのケースに少しだけ触れておきましょう。エリカはコンサート・ピアニストを目指したが叶わなかった音楽院のピアノ教師で、エレーヌ・グリモーさんのように、自傷行為があります。


そこまではエレーヌさんと似ているのですが、強迫性障害はありません。そのかわり、マゾヒストで窃視症(求愛障害のうちの一つとされるようです)という性倒錯を持つ人物に設定されています。そして性格的にも、強迫的な傾向はあまり強く感じられません。


どちらかと言うと、エリカの母親の方に強迫性人格障害の傾向が顕著で、それに加え、M・スコット・ペックが『平気でうそをつく人たち』(草思社)で提唱した自己愛性人格障害の「邪悪性」変種の気味が、若干あります。さらには、母娘の、共生の病理もあるかも知れません。さしずめエリカはそのような人格障害を持つ母親の犠牲になってコンサート・ピアニストになれなかった、と解することもできますが、単に才能がなかっただけとも採れるし、まあ、フィクションですから、そのような忖度が意味を持つかどうかはわかりません。


そんなわけで、イェリネクの『ピアニスト』に強迫性障害を持った登場人物を期待して読んでも最後まで出て来ませんので、注意してください。そこそこの分量があり、しかもギミックに満ちていて決して読みやすい小説ではないので、だいぶ時間を無駄にした気がいたしましたが、久しぶりに「現代の小説」に触れることができてよかったのではないかと思います。



さて、それではいよいよコルトレーンの性格における強迫的側面の検討を始めましょう。 (つづく)




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◆ジョン・コルトレーンのレコーディング、アルバム


・A Blowin' Session / Johnny Griffin ('57, 4/6)

・Thelonious Himself / Thelonious Monk ('57, 4/16)

・The Cats / Tommy Flanagan [The Prestige All Stars] ('57, 4/18)

・Mal-2 / Mal Waldron ('57, 4/19)

・Dakar / John Coltrane [The Prestige All Stars] ('57, 4/20)



◆ジョン・コルトレーン・エピソード集


二つの疑問 : A Blowin' Session の背景について


マイルス、コルトレーンをパンチ!? その1

マイルス、コルトレーンをパンチ!? その2

マイルス、コルトレーンをパンチ!? その3


コルトレーンとヘロイン その1 : 過去

コルトレーンとヘロイン その2 : ヘロインとアルコールの関係1

コルトレーンとヘロイン その3 : ヘロインとアルコールの関係2


ジョン・コルトレーンと物語


コルトレーン、ヘロインを断つ その1 : Well You Needn't?

フィラデルフィアでコールド・ターキー : コルトレーン、ヘロインを断つ その2
コルトレーン、アルコールを断つ : コルトレーン、ヘロインを断つ その3
ヘロインの禁断症状 : コルトレーン、ヘロインを断つ その4
とんだ豚野郎 : コルトレーン、ヘロインを断つ その5

麻薬規制法?1956年 : コルトレーン、ヘロインを断つ その6

"Coltrane: a biography" の補足:コルトレーン、ヘロインを断つ その7

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ファースト・リーダー・アルバムの意義:コルトレーン、ヘロインを断つ その9
神の恩寵による霊的覚醒?:コルトレーン、ヘロインを断つ その10

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◆ジョン・コルトレーンに関連してその他


『ジョン・コルトレーン 『至上の愛』の真実』 / 『コルトレーンを聴け!』


ジョン・コルトレーン没後40周年



◆ジョン・コルトレーン・サイト


Trane's Works 55, 56 / ジョン・コルトレーン年譜