独自性の獲得とキャリア前半の消極性 | ジョン・コルトレーン John Coltrane

独自性の獲得とキャリア前半の消極性

、及びいくつかの戯言


コルトレーン、ヘロインを断つ その32


だが他方で、コルトレーンが着実に独自のスタイルを獲得しつつあったということも事実だ。それはたった3曲のサンプルでも確認できる。殊にホッジスとの Thru for the Night はいい演奏で、先に比較したヒース、ゴルソンを含めたソロの中で最も優れ、存在感という点で三人の中でいくらか抜きん出ていることを証するソロではないかと思う。ただ時期が1954年でやや下るという点と、個人的な好み及びファンであることによる贔屓の引き倒しではないかという点にちょっと懸念がなくもない。というのもおれはこの曲に滅法弱くてその好きな曲がこれまた大好きなホッジスの音色で聴けるのだからコルトレーンのソロが始まる前にもう既に他愛なくウットリしちゃってていくらか割引かなきゃならないかもしれないからだがそのいい気分をコルトレーンは壊さぬどころかさらに高めてくれているわけで相対的な楽しみに浸るという意味では全く文句のつけようがない(*)。ゴードンをベースにバイアス、ホーキンス、スティット等のテイストがちらほら聴こえるものの、どれも本来のコンテクストから微妙にずらされてコルトレーン独自のスタイルにうまいこと消化されている。しかし後年の演奏とは何かがちょっと違ってもいる。曲のせいだろうか、ホッジスのコンセプトのせいだろうか。何だろう。何かが違っていて、まだ何かが足りない。


(*)トロンボーンのトラミー・ヤングが作ったこの曲の初演は1944年2月22日のコジー・コール名義のセッション。おれはコールマン・ホーキンスのコンピレーションで聴いている。ピアノはアール・ハインズ。ちなみにホッジス・ヴァージョンはピアノが後年アルバート・アイラーと共演したカール・コブス(コブスはビリー・ホリデイとも共演経験があるらしい)。



コルトレーン、メジャー・デビュー前の3曲はどれも幾分覇気に欠けるというか、おれがおれが、と少しでも前に出ようとするような気概があまり感じられない。その理由を穿鑿していくつか泥団子を捏ねくりあげてみる。


まず第一に、テクニック不足が勢いを削いでいると共に自分のテクニックに対する自信のなさがそれに輪を掛けているのではないか、という割とすんなりあんころ餠と掏り変えられそうな泥団子。


次に、これは曲のコンセプトに関連することだが、コルトレーンの謙虚で控え目な性格がもろに出ているため、つまり自分でもこの頃のことを振り返って認めているように(*)、自分の表現欲求を抑えて雇い主の意図にできる限り沿おうとする消極的な姿勢が音に出ている、といういたいけな幼児に「おいしいよ」と言って見せると本当に食べてしまい、後でその子の親にこっぴどく叱られそうな泥団子(**)。


(*)植草甚一『マイルスとコルトレーンの日々』「またもやコルトレーンが話しかける」p.183、Francois Postif, "John Coltrane: Une Interview", Jazz Hot, January 1962
(**)この姿勢は後にマイルス・デイヴィスとの共演によって大きく改められた。しかしインパルス前期あたりまで、曲調や共演者によっては時折顔を出す。


最後は泥団子に見えるので誰も食べようとしない悲しい本物のごま団子の物語で、演奏スタイルということとはまた微妙にニュアンスの違った、情動表現の稀薄さという後々まで一貫する(?)(×)コルトレーンの特徴が先の消極主義のもとにネガティヴなかたちで図らずも出てしまった場合だ。コルトレーンの場合、情動的な欲求が演奏の動機となることは極めて少なく、基本的に即興は非人称的な衝動が専ら主導する(*)(これは単に印象を比喩的に語っているに過ぎず、全然厳密ではないし、まして分析でも批評でもない泥団子に似たごま団子であることに注意しよう)。そのため外部からの要請や自ら気を利かせた先取りで感情表現らしきものを試みると勢いそれは生気の欠けた感情の紛い物、取って付けたような空々しさ、不自然な唐突さをしばしば結果する。悪く言うと、コルトレーンのテナーは時にアンドロイドやゾンビ、未知のエイリアンに寄生された男が吹いているかのような印象をちょっとだけ与える(おれだけかな)。意外なようだが、何だか人間的な生気に欠けているのだ。逆にコルトレーンの人間性は人間的な感情表現が不得手だという無器用さに滲み出る。歌物やコルトレーンが苦手そうなある種の気分を強いるメジャーの曲で犯される諸々のミスによって、一抹の空々しさの裂け目を通してコルトレーンの人間性、その奇妙な存在感は顕わになる。いやそれは人間性ではない、正体を見破られたゾンビが窮して発する絶体絶命の叫びだ、と捉えるのも面白そうだが(**)、おれは一応ファンなのでそうは取らないでおく。確かに1956年の If I were a Bell (***)の奇妙奇天烈前代未聞のトーンとか In Your Onw Sweet Way (****)のどもりとか、とんでもない爆笑物の可笑しさに踵を接して悪夢のような不気味さが感じられなくもないけれど。あのもう一度やれといっても二度とできないようなミスの数々のニュアンスを発想の源泉にすると面白いスタイルが得られそうだ(でももう今は昔の物語、なのかな)。

註の(**)と(***)はわけあってずっと下の方にあります。

(添削くん:意識化の度合いを仮に感情>情動とすれば、感情は表現でよいですが、情動は表出とした方がよりわかりやすい表現になるのではないでしょうか。それとここで「感情」は切り捨てるにしても「情動」は確保しておいた方が良いように思います。そうでないとあとあとしんどくなるのでは?)


(*)以下はまだ十分には考え込まれていない仮説の覚書。マイルス・デイヴィス・クインテットへの加入以降、コルトレーンがそれまでの消極主義を脱して積極性を打ち出す必要に迫られるにつれ、人間的な情動・個性は背景に退き、それに取って代わって非人称的な衝動が強く即興を主導するようになる。コルトレーンの場合、前へ出ようとする積極性は自我に由来する欲望、人間的な我欲ではなく、常に非人称的な衝動が主導する。と言っても剥き出しの衝動が表出・表現されるわけではなくて、文字通りに、即興は音楽的衝動によって専ら駆動される、ということ(×)。ほとんど数学的論理的な和声の探求とシーツ・オブ・サウンドのアイディアが人間的・感情的「表現」(或いは単にショー・ビジネス的・音楽産業的・商業主義的合意?含意?コノテーション?気の利いた演奏?うまく言えない)による媒介・迂回から音楽的衝動を解放し、即興に直接ぶつけることができるようになった。

(添削くん:drive という語を提示しないと、文字通り、にはならないのでは?)


コルトレーンが和声の探求に没頭していた頃のこの事情について、コルトレーンの関心は個性にではなく音楽にしかなかった、という言い方でセシル・テイラーは正しく指摘している(ブライアン・プリーストリー『ジョン・コルトレーン』p.49)。慧眼だ。セシル・テイラーは批評家になっていたらきっと大成したに違いない(註の註1)。同時期のコルトレーンを「怒れる若きテナー」と形容したレヴュワーの通俗性とは偉い違いだ(註の註2)。そこには自己主張なんてものはこれっぽっちもないのだ。だから、ただひたすら衝動に駆動され、コルトレーンを媒介に音楽それ自体が語っている、とセシル・テイラーに倣って言うべきだろう。それは怒りでは全くなく逆に純粋な音楽的歓喜そのものの奔出なのだ。もっとも歓びが音によって感情的に「表現」されているわけではないから、それほどコルトレーンを聴き込んでいない人間が、ステージ上でコルトレーンの青筋立てて激しい演奏を繰り広げる様を目にして「なんかこの人怒ってるみたい」と、専らイメージだけを頼りに判断してしまったりするのも無理からぬ所ではあるかもしれない。でも件のレヴュワーはれっきとしたダウン・ビートの寄稿者なのだから軽率の謗りは免れないだろう。


(註の註でちゅうちゅう、1)(ばかだ)無論優れたミュージシャンの誰もが卓越した批評能力を兼ね備えているとは限らない。音楽の分析力には優れているだろうけれど。分析は必ずしも批評じゃないからね(×1)。しかしセシル・テイラーは優れたミュージシャンか? 間章はきっと否、と言うだろう(×2)。しかしおれはセシル・テイラーの気がすくようなテクニックとその使い方が嫌いじゃない。まあ相対的にだけど。それはおすぴーなんかよりずっと好ましいもののような気がする(オスカー・ピーターソンがセシル・テイラーみたいなおかま野郎かどうか、ということじゃなくてそのテクニックがだよ)。

(添削くん1:こういう物言いを頻繁にするとなかなか友達が出来ませんし、せっかくできた大切な友だちも往々にしてなくすことになってしまうので気をつけたいものです。誰もが負け犬の遠吠えだと正しく解釈するわけではありませんから)
(添削くん2:セシル・テイラーに手厳しかったのは間章というよりはミルフォード・グレイヴスでは?)


(註の註でちゅうちゅう、2)(あほだ)「怒れる若きテナー」と形容したレヴュワーはドン・ゴールド Don Gold という人。1958年7月3日のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルに出演したマイルス・デイヴィス・セクステットについてのコメント中に使われた。ゴールドの主意はコルトレーンの演奏の激しさ・過剰さがグループの統一感・結束を損っているというもので、多分その激しさが怒りによるものかどうかってのはそれ程深く考えないで、Angry Young Men っていう流行りのフレーズに便乗してテキトーに書いちゃったんじゃないかと思う(註の註の註1)。しかしこのレッテルはコルトレーン批判者によってしばしば利用され、暫くの間コルトレーンを悩ませた。なぜコルトレーンは悩んだのか? 当然その演奏の激しさは怒りによるものではなかったからだ。アイラ・ギトラーがコルトレーンに抗弁する機会を作り、'Trane on the Track という記事で紹介した。それはとんだ思い違いであって、決して怒っているわけではない、というのがコルトレーンの言い分。音の多さ、演奏の激しさは一度に多くの音楽的アイディアを試みようとすることから来るのであって(註の註の註2)、それを怒りと取り違えてリスナーが音楽を見失っているのは遺憾である(註の註の註3)、とコルトレーンは他の場所でも言明している。コルトレーンが激情に駆られて激しい演奏をしているのでないのは先入観なしによく聴けば確かめられると思う。音が楽しさを「表現」しているわけではないが、音そのものが楽しさに充ちて、音そのものが楽しんでいるのが。怒っているどころか、音楽することの歓び、即興することの歓びにコルトレーンはただひたすら身を任せているのではないか。ニュー・ポートでの演奏に耳を傾けてみよう。『コルトレーンを聴け!』の原田和典はそのことをちゃんとわかっている(p.139)(註の註の註4)。ついでに "Jazz at the Plaza" の If I were a Bell や、"Settin' the Pace" の Little Melonae、"Black Pearls" の Black Pearls なんかを聴けばさらによく実感できると思う。それはあくまで音楽的欲求、音楽的貪欲さの表われであり、根底にあるのは音楽的衝動であって、心理的な情動や情念では決してないのだ。情念や怨念によって解釈するべくコルトレーンの無意識を持ち出すのもこの段階では明らかに的外れな試みであるように思われる(×)

(添削くん:杞憂ではないでしょうか。誰もそんなふうにとらないと思います)
(註:添削くんの添削はしません)


(註の註の註でちゅうちゅうちゅう、1)(やると思ったでしょ)Porter, p.139
(註の註の註でちゅうちゅうちゅう、2)(やらせてほしいの)Porter, p.157-158/In Stockholm 1960 Complete, Miles Davis with John Coltrane and Sonny Stitt, CD1-4。カール・エリック・リンドグレーン Carl-Eric Lindgren によるインタヴュー。
(註の註の註でちゅうちゅうちゅう、3)(溜飲が下がりました)Porter, p.195。キティ・グライム Kitty Grime によるインタヴュー。
(註の註の註でちゅうちゅうちゅう、4)(後戯だちゅう)ニューポートでのコルトレーンの演奏を “アングリー・ヤング・テナー” と形容したのがアイラ・ギトラーだというのは違うと思うけど。Porter の "John Coltrane, His Life and Music" を読むと言い出しっぺはドン・ゴールドで、ギトラーはむしろレッテルを貼られたコルトレーンを擁護しようとした、という風に取れる。間違ってたらごめんなさい。





Miles & Monk at Newport

Miles & Monk at Newport



Jazz at the Plaza

Jazz at the Plaza


Settin' the Pace

Settin' the pace



Black Pearls

Black Pearls




したがってコルトレーン・ミュージックの総体を安易に「精神性」の一言で括ることや、内省や内面性を強調した一般に流布しているコルトレーンのイメージをすんなり受け入れることには用心しなければならない。コルトレーンの即興の核心は基本的に非人称的衝動にあるのではないか(でもそれって何? という問題はあるが)。問題は内面の外部にあるのではないか(しかしそれは無論内面に対する外側や外界のことではない。じゃあ何なんだよ。なんてむつかしいんだ)。それを内面的な情念の表出と捉えることは、実際には内面の外部が問題になっているはずの「精神性」の質を見誤ることになるのではないか。少なくとも、50年代後半のコルトレーンの演奏に対してまでも「精神性」や「情念」のレッテルを貼ることには注意が必要だろう。


では、中期以降次第に濃厚になるあからさまな宗教性とどう折り合いをつけてストーリーを語るべきなのか。そしてあのネガティヴな印象を聴く者に強く与える激しい即興をどこまで心理的な情念・怨念の表出ではないと言い張ることができるのか。多分、コルトレーン・ミュージックにおいては自我理想主導(仮にそう呼ぶとして)の表現欲求と内面性の外部にあって激しく即興を駆り立てる衝動との間に円満な和解はなかった。常にどちらかが妥協によって弱められたり場合によっては無残に引き裂かれたりして不協和を生じた。とすれば、その居心地の悪さ、収まりの悪さを糊塗して偽りの糞物語という症状を形成することなく、あるがままの破綻をこの上ない価値(快楽?享楽?)とするシナリオを取り敢えずは目論み得るだろう。だが今はまだ1957年なわけで、それはもっとずっと先の話だ。


以上今後の方針について、あまりに単純で細かいニュアンスに欠けているしことによったら発想そのものも変更する必要があるかもしれないが、この場を借りてちょこっと説明させていただきました(そんなもの妄想に過ぎない、という意味のこもった舌打ちが聴こえるようでございます。それは重々承知致しておりますのですが、憐れなファンの業の深さと思し召してご寛恕願いとうございます)。


(**)ふとした思いつき。この発想を応用して、おれのようなひねくれたコルトレーン・ファンには毛嫌いされがちな『バラード』や『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』なんかを人間に成りすましたゾンビやエイリアンの音楽と捉えてみるのも面白いかもしれない。全く異なる価値観を導入し(それはまだ秘密)、『バラード』や『ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン』を、気の利いたインテリアかなんぞのように道具として利用するしか能のない不毛でやわなジャンキー・リスナーどもからファンの手に奪還せよ。コルトレーン・ミュージックの正典を、あたらむざむざ無駄にするするばかりで何ももたらさぬ連中の消費の対象・慰み物であることから救済せよ。泥団子シェフによるトンデモレシピの提案。倒錯的聴取のススメ。それはゾンビの音楽である。そこでは人間に紛れてゾンビがテナーを吹いている! しかも本人に自分がゾンビだなんて自覚が全く無いから偽装は完璧だ。おお、なんとかぐわしい、なんと官能的な腐臭であることか。この変態野郎!(もちろんコルトレーンがじゃなくておれがだよ。というより、21世紀になって今更コルトレーンにこだわっているおれのほうこそゾンビなのかもしれない。)

おまけ:いたずらついでにジャンクなストーリーをでっち上げてみましょう。1950年10月、ガレスピー・コンボ在籍中、ツアー先のロサンジェルスでコルトレーンがヘロインのオーヴァードーズによって人事不省に陥ったことを思い出そう(→ジョン・コルトレーン年譜:50年代 参照)。実はその時コルトレーンは死んでいた、というものだ。その音楽的才能を充分に開花させることができないまま死んでしまったこの若いサックス吹きを憐れんだガレスピーが、つてを頼ってブードゥーの呪術師を見つけ出し、コルトレーンをゾンビとして蘇生させた。コルトレーン・ゾンビが人間的生活に順応するまでの数年間、その不自然さはヘロインとアルコールの依存症によってカモフラージュされた。しかしいよいよマイルス・デイヴィス・クインテットへ加入し、ゾンビが表舞台に踊り出た途端、ジミー・ヒースやスペックス・ライトといったかつてのガレスピー・コンボの同僚達が次々に死んでいく……題して『マイナー・ウォーク殺人事件』というB級オカルト推理小説の出来上がり(なにやってんだか)。
(***)"Cookin'" に収録。
(****)"Workin'" に収録。


話が大分本題から逸れちゃったけど、言いたかったのは、ヒースやゴルソンにはあるごく自然な生気がコルトレーンにはあまり感じられないのだが、それは同時にコルトレーン独自のスタイル、特徴と密接に関係している、ということで、次はその独自性の獲得と目下のところその質に対して疑惑の目を向けられているボスティック並の練習とをうまく整合させる泥団子の作成が必要となる。 (つづく)






◆ジョン・コルトレーンに関連してその他


『ジョン・コルトレーン 『至上の愛』の真実』 / 『コルトレーンを聴け!』



◆ジョン・コルトレーン・サイト


Trane's Works 55, 56 / ジョン・コルトレーン年譜




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