12ステップ・プログラムと信仰:コルトレーン、ヘロインを断つ その12 | ジョン・コルトレーン John Coltrane

12ステップ・プログラムと信仰:コルトレーン、ヘロインを断つ その12


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コルトレーン、ヘロインを断つ 目次

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日本における薬物依存者のためのリハビリ施設ダルク(*)はナルコティクス・アノニマス(**)という薬物依存者の自助グループの12ステップ・プログラムに基づいた指針を採用している。一日三回のミーティングを柱に、そのプログラムの実践によって薬物依存からの回復を目指す。NAジャパン公式サイト に全文が掲載されているので是非とも参照されたい。ちょっと意外な点があるでしょ。
(*)DARC = Drug Addiction Rehabilitation Center の略。
(**)NA=Narcotics Anonymous


ダルクの設立者近藤恒夫によると12ステップ中、1~3が殊に重要で、これが充分にこなれていないと以後のステップは覚束ないという。以下その3つのステップについてパラフレーズしながら言及するが、そこには当然おれの解釈も混ざるので、くれぐれもNAジャパンの元のテクストを参照してください(近藤恒夫『薬物依存』ではp.170-171)。


ステップ1は依存に対する無力さの承認、自力本願・自らの意志の力の断念で、自分の意志の力でどうにかなると考えているうちは依存から抜け出すことは難しいらしい。そしてステップ1を受け入れるには相応の時間がかかるという。薬物依存を単なる悪癖と見なして意志の弱さを責める程度の認識からすると、これはかなり意外なことだろう。回復を意欲していてなおかつ意志の力を断念しなければならない、というのはどういう精神状態を帰結するのか。う~ん、難しそうだ。これは諦めか? ある種の諦めかもしれない。しかし何かを諦めてはいない。非常に微妙だ。頑なさを放棄して謙虚になること、と考えると少し近づいたような気がする。素人考えだが、恐らく脳の皮質・前頭葉と辺縁系・報酬回路間の微妙なコントロール、フィードバックにも関わっているんじゃないかと思う。


ステップ2は自分より偉大な力が依存症からの回復を助けてくれることを信じること、ステップ3は自分の意志と生命を、その偉大な力、自分が理解している限りでの神の配慮に委ねるというもので、勢い宗教的になる。神が出てきてしまった。しかし神についてのナルコティクス・アノニマスやダルクの解釈は柔軟で、しばしば「ハイヤー・パワー Higher Power」とも記され(この方がもっと胡散臭いという人もいるかもしれないが)、自助グループそのものやミーティングで出会った仲間達の中に見い出される力ともとらえられている。普段は当たり前のことと受け取っているような些細で日常的な自助グループでの他者との関わりを、援助や支えとして、「自らの力を超えたもの」と感じられるようになることが肝要なのかもしれない(うまく言えないが神をそのようなものとしてとらえることには何か薬物依存からの回復を超えて普遍化できそうな倫理的可能性が潜んでいるような気がする。コルトレーンとは関係ないけど)。とは言え、薬物依存克服のための指針に神を想定し信じることが記され、しかもその要諦であるとなると些か意外の感を受ける。


神についての解釈は別にしても、このステップ1~3が、コルトレーンの場合のように一度離れた信仰を再獲得する場合にせよ、新たに信仰を獲得する場合にせよ、また惰性と化した信仰を更新する場合にせよ、信仰の獲得に類似しているのは明らかだ。そもそも信仰というのは自らの有限性、無力さを自覚し、己を超えた力、超越的な存在、無限としての神を信頼し、有限な自己を委ねることに他ならないのだから。しかしこの類似の意外さも、12ステップ・プログラムが宗教的出自を持つと知ればごく当たり前の一致としてちょっと拍子抜けしてしまう。なーんだ、やっぱりそうか。


そもそもナルコティクス・アノニマスの12ステップ・プログラムはアルコール依存者の自助グループ、アルコホリックス・アノニマス(*)の12ステップ・プログラムをベースにしており、そのアルコホリックス・アノニマスはオックスフォード・グループというクリスチャンの宗教運動の影響下に成立した。オックスフォード・グループはキリスト教共励会(**)の影響を受けているともいわれ、またアルコホリックス・アノニマスのベーシックなアイディアは聖書研究に由来するともいう。
(*)Alcoholics Anonymous
(**)United Christian Endeavor Society


そのような宗教的な起源を持ちながら、アルコホリックス・アノニマスの12ステップ・プログラムがアルコールのみならず他の薬物依存やギャンブル依存・ワーカホリック等の病的依存にも適用され、世界中に普及しているのはむろんその回復効果による。アルコール依存の場合では専門医療よりも回復率が高いというし、一般にキリスト教が根付いていない日本の場合でも、近藤恒夫は『薬物依存』で刑務所や病院でも治らなかった依存者の回復例をいくつか紹介している。恐らく12ステップ・プログラムにはその宗教的な側面をも含めつつ理にかなった医学的な機序があるに違いない。精神科医の斎藤学は「薬物依存と精神療法」 で精神医学の立場から非常に説得力のあるこのプログラムの解説を試みている(但し、コルトレーンのケースには充分フィットしないかも)。

従って、神に祈ることが禁断症状を耐える助けとなったのみならず、信仰の再獲得自体にヘロイン依存克服の効果があったのであり、それが5月のコールド・ターキーを最終的なものとした、と考えることもできるわけだ。では信仰回復のタイミングはいつか? たいした材料もないのだが、ちょっとだけ穿鑿してみよう。 近藤恒夫によれば依存者が依存に対する無力を受け入れるのに一日三回のミーティングに参加し続けて最低3ヶ月かかるという。それを手掛りに想像すると、ミーティングの恩恵に与る由もなかったコルトレーンの場合、やはり約一年に渡って何度かコールド・ターキーを試み、失敗を繰り返すうちにそのような状態に至ったのではないかと思う。仮に天啓のように5月に信仰の回復が訪れたのだとしても、やはりそれを準備する前段階としての繰り返された失敗があったのであり、マイルスを苛立たせもしたコールド・ターキーの試みの失敗のいくつかも決して無駄ではなかった、と今のところは考えてみたい。


ところが、近藤恒夫はステップ3の注釈で、「ハイヤーパワー」を家族や配偶者、恋人、宗教、仕事、趣味等とすることを警告している。それは薬物依存を他の依存によって置き換えることに過ぎず、真の回復ではないというのだ(『薬物依存』p.149,174)。またもや「宗教はアヘンである」の等式だ。宗教もダメなんだってさ。


実際、医学人類学者ジョゼフ・ウェスターマイヤーは、依存症患者には信仰離れの傾向があり、それとは対照的に依存を克服した者には熱心な信者になる傾向があることを指摘している(デイヴィッド・T・コートライト『ドラッグは世界をいかに変えたか』p.244)。


確かに実際的な必要をさしおいて見向きもしないような偏執的な信仰に依存症の嫌疑が濃厚なのはすんなり納得できる。異性による代替で依存が一時解消しても、そのような男女関係が長続きするわけもなく、やがて飽きて別れれば再び依存が再発するように、内発的な必然性のない信仰は付け焼刃に過ぎず、いずれその効力が失われる時が来るということか?


ではアルコール依存症に陥ったキリスト教の聖職者はどうなるのだろう? 依存症の聖職者は12ステップ・プログラムの神に何を代入するのだろう? 無論12ステップ・プログラムのそもそもの起源がそうであったろう通りに、キリスト教の神、或いはイエス・キリストだろう、きっと。それで問題無くちゃんと依存を克服できるだろう。そうであるなら、恐らくそこでは信仰の質が問題になっているに違いない。依存症の代替物とはならないような信仰の質が。だがどんな? むつかしくなってきたぞ。ここから先は自分の能力を超えているような事柄に言及しなきゃならないかもしれなし、事実抜きで類推に終始しなきゃならないかもしれない。どうしよう。できるところまでやってみようか。ヘロイン依存と格闘する中で再獲得されたコルトレーンの信仰の質はどのようなものであったのか。そのためにはやっぱりジャンキーの倫理学とでも言うべきウィリアム・バロウズが間章に語った言葉を避けて通れない。 ( ̄Д ̄;; (つづく)




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