コルトレーンとヘロイン その2 | ジョン・コルトレーン John Coltrane

コルトレーンとヘロイン その2

ヘロインとアルコール


いったいジョン・コルトレーンはヘロイン中毒であると同時に大酒飲みだったのか、それとも、ヘロイン中毒とアルコール中毒を交互に繰返していたのか? この2つのドラッグの関係を調べるベく関連書籍をあたってみる。


『危ない薬』青山正明


手に取ってざっと目を通した十数冊中、この組み合わせに言及していたのはわずかに一冊だけだった。青山正明著『危ない薬』(データハウス)だ。この本、ドラッグ使用の抑止を旨として仮面を被ったような無味乾燥な文章に終始する他の関連本と全くその趣きを異にしていて、ドラッグ・フリークたる著者自身がドラッグ・フリークに向けてあけすけに生きいきと語っていて面白い。また著者自身による実際のドラッグ体験に基づく記述が他の関連本からこの本を際立たせているし、下段の雑学的なコラムも楽しい。いい本だと思う。耐性が形成されるまでの嘔吐、重度の便秘、排尿困難といった他の書籍では単に列挙されるだけのヘロインに関するターム、症状等が実体験として語られていてなまなましい。日本での使用はマイナーなドラッグゆえ、貴重なドキュメントなのではあるまいか。


ヘロインとアルコールの関係については「死を招くハード・ドラッグ・カクテル」と題された章のドラッグ・カクテルの相性を著者自身の体験によってランク付けしたp.91の表にみることができる。7種類のドラッグについてその組み合わせの良し悪しを


「こりゃ最高!(ラリッて歓んでいる男の顔のイラスト)」
「なかなかいける!(やや口を開けたて呆けた顔)」
「低空飛行ネ(口を閉じた冷淡な表情)」
「ゲロゲロ~(眼がばってんで何か吐き出している)」


の4段階で評価したものだ。ヘロインとアルコールの相性は最低の「ゲロゲロ~」となっている。42種類の組み合わせのうちこの最低ランクを付けられたのは他にはヘロインとマリファナのみ。ヘロインとアルコールが相容れないものである可能性大じゃないか。しかし触れられているのはここだけで、ヘロインとアルコールを併用すると具体的にどうなるのかは記されていないし、それはヘロインの章にも記されていない。恐らく確実に著者はこの併用についての体験を持っていたに違いないのに、至極残念だ。紙幅が許せば書かれていたのかもしれない。



『ジャンキー(回復不能麻薬常用者の告白)』ウィリアム・バロウズ



どうやらヘロインとアルコールの相性が悪いらしいのはわかったが、その先はまだもやもやでこれだけではおれの思い込みを正当化することはできない。弱ったな。万事休すかな、もう止めちゃおうかな、と思っていたところへふとウィリアム・バロウズの名が浮かんだ。いやもっと前からとっくに浮かんでいたのだが、以前『ジャンキー』(鮎川信夫訳、思潮社)を読んだ時、ジャンキーの“生態”というか“風俗”についてはそこそこ書いてあるものの、ジャンキーの“生理”についてはあまり描写されていないのでは? という印象があったので再読を渋っていたのだ。自伝的とはいえ、フィクションでもあるし。しかし気が進まぬながらも再読してみてちょっと驚き。“文学”としてではなくヘロインの一ドキュメントとして読んだからか、ジャンキー達のすったもんだの合い間合い間に散見されるヘロイン(及びモルヒネ、アヘン)に関する記述は(話者=ビル・リーの主観的な理屈付けを除けば)意外と的確だしやはり実体験に基づいたものであることを十分に窺わせている事に気付く(もちろんフィクションとしてのいかがわしいさは他にいくらでもあるんだろうけど)。そしてヘロインとアルコールの併用に関する記述を何ヵ所かに見つけ出すことが出来たのは何よりの収穫だった。そこには無論この組み合わせを嫌忌する陳述、エピソードも含まれている(そしてまた、エルヴィン・ジョーンズが服役していたリッカーズ・アイランド刑務所や、ソニー・スティットやソニー・ロリンズが治療を受けたケンタッキー州レキシントンの公衆衛生総局病院といったジャズ・ファンにもお馴染みの名前が思わず現われて興味深い。特にレキシントンでの治療は具体的にレポートされていて、思わずスティットやロリンズがそこで生活する様を想像してしまう)。


・最初に出てくるのは話者=ビル・リーがモルヒネを常用するようになり、医者に処方をもらってドラッグストアで調達していた頃のことが記された第3章48ページ。アルコールと麻薬(ここではモルヒネ)を併用すると吐き気、不快感、目まいを生じ、全くいい気分にならないことが明らかにされており、さらに麻薬の使用はアルコール中毒の確実な治療法になるだろうと述べられている。まさしく「ゲロゲロ~」なわけだ。


しかしそれはモルヒネの話でヘロインじゃないじゃないか、と疑問に思うかもしれない方のために少しここでアヘン、モルヒネ、ヘロインについて勉強しておこう。既にご存知の方は飛ばしてください。この三つはいずれもケシから採取された化学物質で、程度の差はあれその作用もほぼ一緒。
精製過程を順に追っていこう。
1.アヘン
まずけしの花が散った後にできる卵大の蒴果(さくか:ここに種が詰まっている)=ケシ坊主の果皮に傷を付けると染み出す乳状の分泌液を採取する。それを1週間から10日間放置して乾燥させると茶色い樹脂状の塊ができる。これがアヘン=生アヘン。
2.モルヒネ
アヘンには40種近いアルカロイドが含まれており、その中からアヘンのもっとも強い有効成分を分離抽出したのがモルヒネ。薬効は少なくともアヘンの10倍と言われている。
3.ヘロイン
モルヒネについた2個の水酸基の代わりに酢酸を付けたものがヘロイン。薬効はモルヒネと同じだが強度はその5倍とも10倍とも。加えられた2個の酢酸が高度の脂溶性をもたらし脳への吸収をモルヒネよりも速やかにするためらしい。しかしひと度脳内に取り入れられるとすぐさま酵素によって2個の酢酸は切除されモルヒネへと代謝される。


これでお分かりいただけたと思うが、もしモルヒネの段階でアルコールとの相性が悪かったのなら、ヘロインでは推して知るべし、その度合いが上がることはあっても下がることは決してないだろう。ただしアヘンのレベルだと事情は少し違っていて、そのことは『ジャンキー』の終わり近くに記されている。


・戦争初期に断絶したも同然だったヘロインの輸送路が回復し、話者=ビル・リーはヘロインを常用するようになる。舞台はまだニューヨークだ。地下鉄で介抱泥棒をしたりしてヘロインのための金を稼ぐが危うく捕まりそうになり、最終的にヤクの売人となる。そこで出てくるのが酒場でのヘロイン売買のシーンで、話者=ビル・リーは酒場に入るなりコカコーラを注文している(p.81)。一見何の変哲もない記述だが、後半ニューオーリンズヘ行って間もない頃のシーンと比べるとちゃんとした意義があるのが認められる。ニューオーリンズの酒場ではビル・リーが飲んでいるのはラム酒入りのコカコーラだからだ。さらにビルは隣の中年男に声をかけてビールをおごってやり、一緒に飲んでもいる(p.118-119)。ニューヨークで売人をやっていた時、無論ビルはヘロイン常習者だった。しかし麻薬捜査官の捜索の手が迫ってニューヨークを脱出、レキシントンの公衆衛生総局病院へ入院し治療を受けた後テキサスへ赴き、そこで4ヶ月間麻薬なしで過ごす。その後すぐにビルはニューオリンズヘ向かったのだが、暫くは麻薬に手を出さずにいたのだ。つまり、先に触れたヘロインとアルコールが相容れないものであるという話者=ビル・リーの述懐が、隔てられた二つのさりげない描写のなかにちゃんと反映されているのだ。ヘロイン常習者の時はアルコール抜きでコカコーラだけ。ヘロインもモルヒネも一切やっていない時にはラム酒入りのコカコーラでさらにビールもいける。叙述は一貫している。他愛のない些細なことだが、手堅いっていうのかな、それがなんか妙にすがすがしい。カット・アップ・メソッドもいいけどたまには堅実なリアリズムもいいもんだ。


・引き続き舞台は ニューオーリンズ。酒場でこの後つるんで売人をすることになるヘロイン常用者パットと出会う。無論パットはビルに一杯やらないかと誘われてもコーラを注文する(p.124)。その後すぐパットに誘われビルは5ヶ月ぶりにヘロインを打つがオーヴァードーズ(過剰摂取)で意識を失う(ジョン・コルトレーンも1950年、ディジー・ガレスピー・バンド在籍時に同じ様にヘロインで意識を失っているので少し気になるが、この『ジャンキー』にかんするブロックを片付けた後で、別の観点からじっくり振りかえることにする)。パットを介してビルは再びヘロインを常用するようになり、当然夜の外出と飲酒は終わる(p.126)。


・その後話者=ビル・リーはニューヨークでと同様ニューオーリンズでも再び売人を始めるが、盗難車容疑で逮捕される。弁護士の手配で保釈され、サナトリウムへ移って治療を受けて麻薬を止め、退院したすぐその足で酒場へ向かい、ウィスキー・ソーダを4杯飲んでいい気分に酔う。中毒の治療を受けた当座の気分のよさと、その後の気分の沈滞が述懐される(p.163)。最早説明は何も要らないだろう。ヘロインとアルコールの使用は截然と分たれている。


・公判が控えていたものの、弁護士の暗に国外への脱出を仄めかす言動とビル自身の意向が一致して、メキシコへ向かう。メキシコ・シティではルピタという女の売人が麻薬事業を独占し、密告の網の目を張り巡らせているので売人をすることが出来ない。しかも粗悪なヘロインを法外な値段でさばいている。仕方なしにビルはメキシコでの相棒アイクと共に処方箋でモルヒネを得るうち、アイクが医師の一人からメキシコ政府がジャンキーに毎月一定量のモルヒネを卸値で与える許可証を発行しているという話を聞き出し、その医師の申請によってうまくその許可を得ることができ、アメリカでは考えもしなかったようなモルヒネ三昧の日々を送るようになる(これは実話だろうか、それともフィクション、何かのアレゴリーだろうか)。しかし一年経った4月の或る朝、血管を探り当てるのに手間取って注射針が2度詰まり、血が腕を伝って流れるのを見、酷使されている血管や肉体組織があわれになり、モルヒネを止める決心をする(打ちにくくなるのは度重なる注射のために皮膚表面が硬くなっているのと、同じ静脈ばかり使っていると次第にその静脈が細くなるためらしい。これは他の関連書籍からの情報。『薬物依存症』佐藤有樹著、p.118、KKベストセラーズ)。
なんか粗筋を辿ってるような具合になっちまったな。重要なのはここから。
これまで話者=ビル・リーが麻薬を止めたのは医療施設での治療によってだった。しかし今回は相棒のアイクの力を借りつつも自力でだ。アヘン溶液で禁断症状を抑えつつモルヒネを抜いていくのだが、ここでアルコールが登場する。これまで麻薬を常用している時や禁断症状が出ている時は酒を飲めたためしがなかったのだが、アヘンはヘロインやモルヒネとかなり違ってアルコールとの併用が可能なことが報告されている。さらに興味深いのはこの後で、始めは夕方から飲み始めていたのが一週間後には朝から飲み始め昼夜分たず酔い続けるようになる。禁断症状がある時に酒が飲めないという点とアヘンを併用している点が違うが、止めた後に酒を飲み続けるというのはジョン・コルトレーンの場合と一緒だ。ビルの場合、最終的にはアルコール中毒の症状が現われ始めるが、しこたま飲んだ翌日、自分の体が尿臭いのに気付いて医師を呼んで診てもらうと尿毒症の診断を下され、恐れをなしてアルコール中毒から脱することが出来た。コルトレーンの場合、48ページでビルが指摘していたように、アルコール中毒が昂じるとやむなくヘロインで治療しそのまま再び常用へと向かったのではないだろうか。常にそうではないにしてもしばしば。或いは時折。
ここから再びおまけの粗筋。その後ビルはメキシコで麻薬を常用することはなく、散発的にモルヒネとコカインのカクテルやペイオーテをやったりするものの、麻薬撲滅の気運高まるアメリカから逃れてきたジャンキー達を迎えたりしながら比較的平穏な生活を送っていたが、ドラッグへの渇望はやみがたく、テレパシーを増進するというイェージを求めてコロンビアへ行く決心をして小説は終わる。


以上が書籍で見つけることの出来たヘロインとアルコールの併用がありそうもないことを示す例だが、一つはその具体的な内容を欠いた個人的な体験を元にした図表に過ぎないし、もう一つはなんだかんだ言ってもフィクションじゃないか、という声が聞こえてきそうだ。何かいま少し一般的、客観的なデータはないものか。あればいいのにな。出てこないかな。 (続く)



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