うつ病の病前性格と強迫スペクトル | ジョン・コルトレーン John Coltrane

うつ病の病前性格と強迫スペクトル

喪の作業、そして強迫的儀礼としての?〈9〉


コルトレーン、ヘロインを断つ その41



強迫性人格障害について勉強しています。今回はその最後です。



うつ病の病前性格


強迫性人格障害(或いは強迫的な性格傾向)はその他にうつ病、不安発作と合併することが多い(*)。アメリカの精神分析医レオン・サルズマンによると、生きていくうえで不可避的な不確実さや不安定性、予測不能性に対処するための防衛の意義をこの性格傾向は持っているという(**)。とすれば、強迫的性格者に特有の外界及び自分自身への過度なコントロールが、何らかのストレスで不可能になり、防衛が破綻した場合にうつ病や不安発作が引き起こされる、と考えられるかもしれない。


(*)町沢静夫+岸田秀『自己分析と他者分析』p.27,77/町沢静夫『人格障害とその治療』p.282


(**)レオン・サルズマン、成田善弘・笠原嘉訳『強迫パーソナリティ』(みすず書房)随所に。



ところで、うつの病前性格、つまりうつになりやすい人の性格傾向というのがあって、これが強迫的性格とよく似ていて看過できない。後にコルトレーンの性格について考える際にも参考になるので、ちょっとのぞいていきます。軽症から中等症のうつが以下の性格傾向に多く発症すると言われている。


・仕事熱心、几帳面、些事拘泥

・徹底性、熱中性(凝り性)

・良心的、真面目、強い正義感、正直/義務感、責任感

・感情の強度が時間経過とともに冷却せずに持続し、むしろ増強したりする


これは下田光造という精神科医が1930年代に提唱した「執着気質」と呼ばれるもの。強迫性人格障害の診断基準にほぼすっぽり包含される特徴だ。但し、「障害」に至るような偏倚や行き過ぎはなく、社会的適応は至って良好な、ごく平均的な、正常な人の性格が意図されている。



これに対人関係における配慮、対他配慮性を加えると、ドイツのテレンバッハによるメランコリー親和型性格になる。精神科医の笠原嘉はさらに同調性、非攻撃性、物静か、といった特徴を加えて補足強調し、この対他配慮性が、うつの病前性格と、周囲との摩擦を起こしがちな強迫性人格障害との大きな違いであると強調した(*)。


(*)笠原嘉『軽症うつ病』p.118-128、同『新・精神科医のノート』p.23-33



ただその線引きも、強迫性人格障害がうつを合併することも多いわけだから、必ずしも截然としたものではないのかもしれない。強迫性人格障害の典型から、性格としては正常範囲内のうつの病前性格までの幅を持つ強迫性、いわば強迫スペクトル(*)とでもいうものの中で、人格障害・うつ・不安発作・強迫性障害が生じてくる場合がある、ととりあえずここでは解しておこう。


(*)レオン・サルズマン『強迫パーソナリティ』p.113-114、笠原嘉『新・精神科医のノート』p.74-75。但し笠原の場合、強迫性障害は除かれている。



原因? 成因?


では強迫的な性格傾向は何に起因するのか。よく挙げられ強調されるのは、幼児期から早期児童期にかけての厳しいしつけで、大人に全面的に依存している無力で無防備な状態の子供が、過度な要求によって防衛機制としての性格を発展させたものではないかと言われている。つまりこれは後天的に作られる場合。



家族内によく見られることから遺伝も考えられるらしい。町沢静夫によると強迫性人格障害はかなり遺伝的要因の関与が高いという(*)。


(*)『人格障害とその治療』p.282/『自己分析と他者分析』p.154-155



さらに、人格類型は社会的な時代背景よっても大きく規定される。「人格障害って何?:コルトレーン、ヘロインを断つ その38」 で触れた、『人格障害とは何か』の著者、精神科医の鈴木茂は、日本におけるうつ病と摂食障害の病前性格が時代ごとに変化していることを紹介し、それは社会的価値観・価値規範の変遷を反映しているのではないかと観ている(『人格障害とは何か』p.29-30、p.106)(*)。


(*)ちなみに、家庭で行なわれる「しつけ」も、それぞれの時代における社会的価値規範に親が準じたものであるだろう。



1950年代までは病前性格に、うつ病では循環気質(*)、摂食障害では分裂気質(*)が多かったが、70年代に入ると両疾患共に強迫的人格が増え、80年代以降は依存的人格に移行した、という。まさに5,60年代の高度成長期に勤勉たるべく社会に要求され、強迫的な性格を形成し(**)、またよく順応してきた人達が(***)、70年代の低成長時代の到来、そして第2次産業から第3次産業への大幅なシフトに伴って発病した、と読めてしまう。


(*)共にここを参照 → クレッチマーによる類型論


(**)遺伝子による民族性の基盤の上に?


(***)ガス抜きに植木等の無責任男が送り込まれた(お子ちゃまにはゴジラ)。サラリーマン達の強迫的勤勉さが、元からの性格ではなく、強いられたものであったからこそ、平均(たいらひとし、スゲー役名)は大いにウケたのだろう。植木等は自らの性格に反する役どころをまるで本物の「地」であるかのように生真面目に(強迫的に)演じてそれに応えたのだ。



他方で笠原嘉は、時代の推移とは無関係に、若者が社会人になることによってこの性格を余儀なくされる、という面もあるのではないかと推測している(『新・精神科医のノート』p.40)。



さて、では遺伝や生育環境に帰される根深いものから、時代や社会の要請によるとされるうつ病の病前性格に至るまでの強迫スペクトルの中から、何が人格の障害を生じさせるのか。


「人格障害って何?」 で、いくつかの「人格障害」批判から、人格そのものが障害や病理を生むという考え方が疑わしいものであることをわれわれは学んだ。であるなら、強迫性人格障害も同様に解してよいのだろうか。


例えば、高岡健は『人格障害論の虚像』の中で、それぞれの人格に固有のコミュニケーション・タイプが危機に瀕した際に生じる状態像にのみ障害・病理を認め、人格そのものには障害を帰さない、という考え方を提示したのだが。


残念ながらその先は「ごっこ遊び」のお医者様の限界で、症例・材料が少な過ぎてとてもじゃないがもっともらしい判断ができない。


ただ、高岡健の考え方に倣い、強迫的な性格傾向が、例えば内因性のうつ病が様々なごく当り前なライフ・イヴェントをきっかけに発病するように、或いは心因性のうつ病が近親者との死別によって生ずるように、何らかの状況布置の変化の中でストレスを被り、その防衛機制としての側面を過度に昂進させて問題を起こす場合があるのではないか、と推測・仮定することができるだけだ。


そしてもう一つ言えば、そもそも比較的適応がよいわけだから、強迫性人格を即障害であると見なすのにはやはり無理があるのではないか、という点。


強迫性をフルに発揮して、ついつい行過ぎて人件費を無視した製品管理システムを作ってしまうような困った人も、対応の仕方によっては「障害」を起こすことなく、その能力を活かすよう仕向けることが可能だという例が、『難しい性格の人との上手なつきあい方』(*)という本にはいくつか紹介されているし、チームを組んで仕事をする場合など、最終的な仕事の質を保証するために、むしろ不可欠な存在でもあるとさえ弁護されている。


(*)フランソワ・ルロール & クリストフ・アンドレ、高野優訳 『難しい性格の人との上手なつきあい方』 紀伊國屋書店 「第4章 強迫性の性格の人々」



であるなら、病理としての強迫性と、能力としての強迫性は全くかけ離れたものではないのかもしれない。町沢静夫は、人それぞれが持っている性格の際立った部分を、生産的な突出に持っていけるか、逆に病理的な突出としてしまうかは、各人の資質と頑張りによって決まってくる、と述べている(*)。岸田秀との対談でふと漏らした感慨に過ぎず、精神医学的な根拠があっての発言ではないのかもしれないが、強迫的な性格の人と、その人に関わらざるをえない人々にとってはちょっと励みになるような言葉ではないかと思う。遺伝によるものにせよ、後天的に獲得されたものにせよ、強迫性を活かすも殺すも、本人の頑張りと周囲の対応にかかっているのだ。


(*)『自己分析と他者分析』p.154-155



治療!?


人格そのものに「障害」を帰することを疑問視する精神科医は、人格の「治療」ではなく「メンタルヘルス」という関わり方を提唱している。その場合「治療」はアクティング・アウトが起こった際の救急医療や小精神病に対する薬物療法といったものに限定されることになる。


他方、人格に対して「治療」を施す立場では、精神分析、力動精神療法、認知行動療法、集団療法等の精神療法が適用される。治療過程で不安が生じる場合、抗不安薬が補助的に使用されることもある。


強迫性障害の治療に使用される SSRI(*)を強迫性性格の人々に投与したところ、抑うつ状態を合併している場合、という条件が付くものの、強迫的な性格特徴が稀薄になった(!)、という報告もあるらしい(**)。


(*)「強迫性障害(強迫神経症)」 の「治療」の項を参照。


(**)『難しい性格の人との上手なつきあい方』p.110



以上、「強迫性」という言葉で指示される、はっきりとした病理から正常な性格および適正な能力までが含まれる様々な様相について学びました。


これで漸く味気ないお勉強にオサラバし、前に紹介したいくつかの症例とコルトレーンの強迫性について診断を下すことができます。


では、エレーヌ・グリモーさん、服を脱いで。 (つづく)




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