インターネット新世代 | ただのオタクと思うなよ

インターネット新世代


今からでも遅くない、最先端までわかる一冊

 単なる電子メールのやりとりに始まり、ウェブサイトによる情報公開&閲覧ができるようになったのが1995年頃。匿名で書き込める電子掲示板ができたかと思えば、誰もがジャーナリストになれるブログが広がり、一方であっという間に日本中、世界中に広まった携帯電話からメールの発信からiモードなどサイトへのアクセス、チャット、ゲームがガンガンやれるようになり、SNSも浸透し、さらにYouTubeやニコニコ動画がテレビ文化に変化をもたらし、Twitterが世界を覆いメディア革命が起こり、さらに最新の動きでは電子書籍の波に、GoogleBuzzなるものまで。

 この15~16年の間に増殖し続けてきたのが言わずと知れたインターネットです。私のようにこの流れにしがみつかずには生きられないような人種がいる一方で、未だこの実態の見えにくいモンスターを素直に受け入れられない人が少なからずいるのも事実です。

 でも、江戸時代にはかけらも存在しなかった鉄道や電話に関わらずに生きている人間は一人もいないわけで(電車が走ってない地域でも、荷物を手に入れるのに鉄道は使われていますからね)、何年か先、インターネットに関わらずに人間が生きるのは不可能な時代がやってくるのはほぼ間違いないでしょう。

 何が言いたいかというと、いずれやってくるであろうネットが全文明覆い包む時代とは、それにそぐわぬ人種がはじき飛ばされる時代であっては決してならない、少なくともその時代を先導しようとする人間なら、ドロップアウトしそうな人たちにも、広い気持ちでいつでも受け入れられる環境を常に用意しておく義務があると、私は思うのです。それが例え100年後であってもです。これは決して首根っこをひっつかまえて無理矢理ネットの世界に連れ込むのでなく、常にバリアフリーにしておいて、その人がその気になるのを1000年でも待つ気構えが必要なのかも知れません。

 まあ、1000年後にはネットを超越する存在が出現しているんでしょうがね。

 はるか未来はともかくとして、少なくとも今このタイミングで「ネットのことなどわからん」という人がネットに入ってこようとする意志に、懇切丁寧に案内してくれる一冊が、今回紹介する一冊「インターネット新世代」です。

 日本における“インターネットの父”と呼ばれる慶応大学教授の村井純氏による「今でも恥ずかしくないインターネット入門」というべき内容ですが、すでにネットの世界にどっぷりつかっている人にとっては、釈迦に説法な印象はぬぐえないでしょう。冒頭第1章までにおいては。

 ところが、この手の分野を扱う本にしては珍しく、読み進めるにつれてどんどん濃い世界に引きずり込まれていくのです。ネットフリークでも意外と見逃している点や、最新のクラウドコンピューティングに関する定義も、鋭く、的確に、しかもシンプルに指摘しています。まさに入門者から上級者まで、今ネットに関わらんとするすべての人が目を通すべき王道の一冊と言っても過言ではありません。

 ウェブはバカと暇人のものと、さんざコケにする意見が目立ち礼賛されるネット社会の現状ですが、決してネットは馬鹿者でも暇人のものでも、そして一部の専門家や私のようなネットオタクの専有物でもない、誰ものが帰属する“新しい空気”であることを、この一冊は語っています。