人にストーリーテリングを伝える立場として、自分のストーリーを語れなければしょうがないと、昔書いていたものをあさっていて、自分でも忘れていたものがいろいろ出てきました。ちょっと残しておこう。
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『私に生んでくれてありがとう』
母は小さな文房具店を営んでいました。
小学校の近くにあり、学校帰りに子供たちが集まって、数十円の駄菓子を食べながらおしゃべりをしたりするようなお店でした。人懐っこい笑顔と、親しみやすい人柄からか、子供たちには人気のおばちゃんでした。
そんな母がいつの頃からか、嘔吐を繰り返すようになりました。そしてどんどん体重が減っていきました。まるまると太っていた母が、20キロも体重が落ち、さすがに父が病院に行けと怒り、当時小学校6年生だった私が、母につきそい一緒に病院に行きました。
診察が終わりしばらくして、先生に言われたのは、
「かなり悪くなっているから、すぐに入院してもらいます。あなたがお家に帰って、お父さんに行って、お母さんの入院の準備をしてきてください。」
私は心細い気持を押さえながら、一人でタクシーに乗り、家に帰りました。
母の入院を機に、父が夜ビールを飲みながら、一人で泣いている姿を目にするようになりました。そのときは、ずっと一緒にいる母が病気になってしまったことが悲しいのだと思っていました。私はと言えば、母がいないことで、家の手伝いがますます増え、早く退院して元気になってくれないかなあと自分勝手な事を考えていました。
手術後は父と姉、私が交代で、泊まりで付き添いました。お水を口に含ませたり、下の世話をしたりしました。そしてしばらくして、母は退院しました。このときまだ私は、母はこれで治るものだと思っていました。
退院後、家の中に母がいるというだけで、子供ながらに本当にうれしかったことを覚えています。ただ、母は、以前のように食事を取れることもなく、中々体調がよくなりませんでした。それでも母なりのペースで家事を行ったり、洗濯物を片づけたりしていました。
ある夕方、母から、どうしても調子が悪いから、洗濯ものをたたんでちょうだい、とお願いをされました。私は「やだ」と答えました。そのときは、毎日毎日のお手伝いが本当にいやだったのです。母は悲しそうな顔をしながらも、だまって洗濯物をたたみ続けていました。
同じころ、父の兄にあたる叔父が胃潰瘍の手術を受けていました。術後は順調に回復していたようで、しばらくすると元のように元気になっていきました。母はいつも、叔父と比べて、どうして私は全然食べられないんだろうと気にしていました。胃を全摘出したとは、知らされていなかったのです。
それからしばらくして、母のお腹が膨らんできました。腹水がたまってきてしまったのです。病院に行くと再入院と言われました。そのとき、もしかしたら…と、なんだか胸騒ぎがしました。
母のお見舞いにはいつも、3人の子供たちが、学校が終わって帰ってきてから、夜家族で行っていました。病院に行くと、母が食べられなかったと言って、お昼に出た瓶詰めのヨーグルトを出してくれたりしました。
そんな日が続いたある日、父が姉と私を読んで言いました。
「お母さんはもう、助からないんだよ」
最初に入院したときに先生から、
「ガンの進行が早く、助かる見込みはない。ただ、胃を全摘出して、一時社会に戻れるようにしましょう」
という話をされていたのだそうです。このときまで父は、それを自分一人の胸にとどめていたのです。今思い返すと、どれだけつらかっただろうと思います。
それからは母の見舞いに行くたびに、涙をこらえるので精一杯でした。泣き顔を母に見せてはいけない。母に悟られてはいけないと思い、トイレに行ってくるねといい、トイレで一人泣いていました。どう考えても赤い目で病室に戻っていたとは思うのですが。また、母の顔を見るのがつらくなり、お見舞いに行く回数も自然に減っていってしまいました。
たまにお見舞いに行くと、母の症状はどんどんひどくなっていて、そのうち個室に移されました。そして、いつ行っても、「痛い、痛い、先生を呼んで」と言うようになりました。
ある日の、中学校の給食の時間、となりの家のおばさんの姿が教室の入口に見えました。私はそのとき「ああ」と思いました。とうとうきた、と。母が危篤状態だから今すぐ病院に行ってと言われました。病室についたときは、ちょうど先生が電気ショックの処置を行っているときでした。何度かそれをやったあと、心電図がまっすぐな線になりました。
あまりにもあっけない、最後のお別れでした。私は母にありがとうも、ごめんなさいも伝えられずに、自分のことばかりを考えているわがままな娘のまま、母との別れを迎えました。
病室の母との会話で、とても印象に残っている言葉があります。
「そろそろ家に帰るね」と私が言うと、「素直になってね」と言われました。
意地っ張りな私を心配していたのか、今となってはわかりません。
でも確実に私の記憶に母が残してくれた大切な言葉です。
「素直」という意味を私は、純粋にまっすぐに生きることととらえています。
お母さん、
私を、あなたの子に生んでくれてありがとう。
私を、私に生んでくれてありがとう。
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『感謝したいこと』
お母さん。
お別れをしてから、母の日をお祝いするのは21年ぶりですね。
もうあと何年かで、お母さんの年に追いついてしまいます。
私はまだまだお母さんのように、どんな人にもやさしく接することができません。
子供たちにもいつも怒っています。
少しでもお母さんに、近づくことができるでしょうか?
今年は、お母さんを失った悲しみを思い出すのではなく、
これまでにしてもらったたくさんのことを思い出したいと思います。
たくさん写真をとってくれた。幸せに、愛されて育ってきたと思えた。
かわいい洋服をたくさん着せてくれた。
髪の毛も可愛く結ってくれた。
お正月や七五三も、きれいな着物を着せてくれた。
たくさんの図鑑や本を買ってくれた。
いつも家族でお出かけをした。どんなところに行くのでもわくわくした。
お母さんのまるいおにぎりがおいしかった。
テレビアニメを見て、泣いている私に、「やさしい子だね」と言ってくれた。
お料理があんまり上手じゃなかったけど、いろいろ作り方を教えてくれた。
編み物も裁縫も上手じゃなかったけど、教えてくれた。
お店に来る近所の子供たちに、とっても人気だった。
いつも熱を出す私を病院に連れて行ってくれた。
そんなときはよく煮たおうどんを作ってくれた。
いつも見ていてくれた。いつもそばにいてくれた。
入院していても、いつもやさしく子供たちの話を聞いてくれた。
小学校の途中まで、サンタさんがお父さんのお友達だと信じさせてくれた。
クリスマスやお誕生日会をかかさずお祝いしてくれた。
お父さんとけんかしても、いつもじっと我慢していた。
手術したあと、傷がいたいから笑わせないでという笑顔がかわいかった。
自分のことではなく、いつも人のことばかり考えていた。
入院中、私に「素直になってね」というおまじないをかけた。
私は母親を失った子じゃなくて、母にも父にも愛されて育った子だったんだ!
もらってきたものの大きさを、今あらためて感じています。
忘れてしまっているだけで、きっともっとたくさんのありがとうがあるはず。
これからもたくさんのありがとうを送り続けます。
いつもちゃんとありがとうが言える、素直な人になりたいと思います。



