競争相手として
敵をつくって
その敵に勝つことが目的。
でも、
いくら勝っても
敵と競争する日々は続く。
その日々は、緊張の日々。
その相手を
「ともに生きる仲間」とすると
競争をせずに
生きることができる。
その方が
より多くのしあわせを
感じられます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/74/57/j/o0640042714966523839.jpg?caw=800)
自分のことを
襲ってくる人は、論外です。
そういう敵ではなくて
競争相手のこと。
自分より
背が高いとか低いとか
お金があるとかないとか。
勝ち、が善
負け、が悪
そういう上下関係で
生きていると
勝たないと安心できないので
対等な関係で生きるより
大変です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/f3/cc/j/o0640042614966524357.jpg?caw=800)
幼い頃に
父親から
「お前は自分より
足が速いからすごいね」と
言われました。
大人よりも足が速いだなんて
自分ってすごい!と思って
うれしかったです。
つまり、
足が速い人が善で
足が遅い人は悪と
教えられました。
自分は父親に
勝っているから
善なんだと信じてました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/da/16/j/o0640042714966525802.jpg?caw=800)
ある日、
父親が買い物に
一緒に来てほしいと言うので
着いていきました。
車で出かけて
駐車して
お店に入る。
私はお店に何の用も
ありませんが、
車に乗れるのが
楽しかったので
とくに不満はありませんでした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/62/3d/j/o0640042614966526076.jpg?caw=800)
買い物を終えて
お店を出てみると
車の近くに警察官が
立っているのが見えました。
駐車禁止の取り締まりですね。
「まずい!」と言って
父親が走り出しました。
父親より私の方が
足が速いので
私は後から走り始めました。
すぐに追い抜けると思ったら
ぜんぜん追いつけず、
精一杯の力を出し尽くしても
最後まで追いつくことは
できませんでした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/77/57/j/o0640036014966526107.jpg?caw=800)
警察官とのやりとりを終えて
「じゃあ帰ろう」と言う父親に
足の速さについて話しました。
自分より遅いって言ってたけど
自分よりぜんぜん速いじゃないか。
どうしてそんなウソをついたの?と。
「今はそんな話するときじゃないよ」と
相手にしてくれません。
どうしても納得がいかないので
帰る道中も、帰ってからも
ずっと言い続けました。
言い続けてると
もうおわかりと思いますが
怒りだします。
「もうなんだかんだ言うな!」
「自分はお前より速くないよ!」
怒ることで私を黙らせようとします。
この件を持ちかける度に怒る。
怒るから、もうこの件を持ち掛けなくなる。
あんまり怒らせると、見捨てられる。
だから、黙るしかない。
そんな感じでした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/be/66/j/o0640042514966526454.jpg?caw=800)
その後、観察していて
わかったのは、
父親が本気を出さないと私が速い。
父親が本気を出すと私が遅い。
ということでした。
「あなたはすごい」と
父親が言いたくて、
私がちょうどよくそこにいた、
そんな感じでした。
私を勇気づけたいのではなくて
父親が自分は善人だと
証明するための材料として
私を都合よく利用した、
というわけです。
上下関係で
自分が下に、相手を上にすることで
「そういうことを言える自分は善人」と
家族に示したかっただけでした。
この頃、私は小学生でしたが
モノのように利用されたことに
憤りを感じていました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/99/0b/j/o0640044614966526674.jpg?caw=800)
自分の所属する共同体の
人々がしあわせだと、
自然と自分もしあわせになります。
共同体の人と
勝ち負けを競うと
共同体感覚は高まりません。
その行為が
「相手より自分優先」だからです。
共同体感覚を高めて
感じる幸せを増やせるのは
「自分より相手優先」を
したときだけだからです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/77/e4/j/o0640042714966526730.jpg?caw=800)
家族は一緒に
しあわせに生きていく
集まりです。
その家族を
自分のしあわせのダシにしたら
ダシにされた家族はしあわせに
なれないでしょう。
家族の犠牲でしあわせに
なった自分で
家族以外のしあわせに
どれだけ貢献しても
心の底からしあわせには
なれません。
競争している限り
自分が勝つためには
負けてくれる相手が必要です。
でもそれは
「相手より自分を優先」を
続けていくだけなので
いつまでも感じるしあわせは
増えません。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/fa/2a/j/o0640042714966527072.jpg?caw=800)
相手は皆、
ともに生きる仲間です。
魚と鳥は
生きる世界は違っても
地球の生物を構成する存在です。
人も同じように
社会を構成する存在です。
その中で
自分の目的を達するために
相手に犠牲を求めると
競争や上下関係となりがちですが、
相手に協力を求めると
競争や上下関係ではなく
対等で平和な関係になります。
相手も
犠牲はイヤですが、
協力させてもらえたら
そこに喜びを感じますし。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/2f/5a/j/o0640048014966527470.jpg?caw=800)
相手を大切にすることは
相手も自分を大切にしやすい
状況となります。
そうして
お互いがお互いを
大切にする循環が続けば
しあわせは
どんどん増えていきますね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/a6/8a/j/o0640042714966527667.jpg?caw=800)
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ8年目、常楽でした。
《関連記事》
・愛されるにふさわしい自分の要件は、まず自分が愛する側にいること。
・相手をいたわれるのは、自分をいたわった人
・自分の居場所のつくり方~共同体感覚
・人生の課題は、たった3つ
・信頼と裏切りは、同居できない
【常楽のコーチング】
コーチング、とは。7年目にして思うこと。
コーチングって、刺激の活用
コーチングで最も大切なこと
コーチングの基本:守秘義務
コーチングの基本:評価判断を下さない
コーチングの基本:沈黙OK
コーチングの基本:中断スキルの使用
コーチングの基本:時間管理はコーチがする
コーチングの基盤:アドラー心理学
ACEコーチングのサイト
敵をつくって
その敵に勝つことが目的。
でも、
いくら勝っても
敵と競争する日々は続く。
その日々は、緊張の日々。
その相手を
「ともに生きる仲間」とすると
競争をせずに
生きることができる。
その方が
より多くのしあわせを
感じられます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/74/57/j/o0640042714966523839.jpg?caw=800)
自分のことを
襲ってくる人は、論外です。
そういう敵ではなくて
競争相手のこと。
自分より
背が高いとか低いとか
お金があるとかないとか。
勝ち、が善
負け、が悪
そういう上下関係で
生きていると
勝たないと安心できないので
対等な関係で生きるより
大変です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/f3/cc/j/o0640042614966524357.jpg?caw=800)
幼い頃に
父親から
「お前は自分より
足が速いからすごいね」と
言われました。
大人よりも足が速いだなんて
自分ってすごい!と思って
うれしかったです。
つまり、
足が速い人が善で
足が遅い人は悪と
教えられました。
自分は父親に
勝っているから
善なんだと信じてました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/da/16/j/o0640042714966525802.jpg?caw=800)
ある日、
父親が買い物に
一緒に来てほしいと言うので
着いていきました。
車で出かけて
駐車して
お店に入る。
私はお店に何の用も
ありませんが、
車に乗れるのが
楽しかったので
とくに不満はありませんでした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/62/3d/j/o0640042614966526076.jpg?caw=800)
買い物を終えて
お店を出てみると
車の近くに警察官が
立っているのが見えました。
駐車禁止の取り締まりですね。
「まずい!」と言って
父親が走り出しました。
父親より私の方が
足が速いので
私は後から走り始めました。
すぐに追い抜けると思ったら
ぜんぜん追いつけず、
精一杯の力を出し尽くしても
最後まで追いつくことは
できませんでした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/77/57/j/o0640036014966526107.jpg?caw=800)
警察官とのやりとりを終えて
「じゃあ帰ろう」と言う父親に
足の速さについて話しました。
自分より遅いって言ってたけど
自分よりぜんぜん速いじゃないか。
どうしてそんなウソをついたの?と。
「今はそんな話するときじゃないよ」と
相手にしてくれません。
どうしても納得がいかないので
帰る道中も、帰ってからも
ずっと言い続けました。
言い続けてると
もうおわかりと思いますが
怒りだします。
「もうなんだかんだ言うな!」
「自分はお前より速くないよ!」
怒ることで私を黙らせようとします。
この件を持ちかける度に怒る。
怒るから、もうこの件を持ち掛けなくなる。
あんまり怒らせると、見捨てられる。
だから、黙るしかない。
そんな感じでした。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/be/66/j/o0640042514966526454.jpg?caw=800)
その後、観察していて
わかったのは、
父親が本気を出さないと私が速い。
父親が本気を出すと私が遅い。
ということでした。
「あなたはすごい」と
父親が言いたくて、
私がちょうどよくそこにいた、
そんな感じでした。
私を勇気づけたいのではなくて
父親が自分は善人だと
証明するための材料として
私を都合よく利用した、
というわけです。
上下関係で
自分が下に、相手を上にすることで
「そういうことを言える自分は善人」と
家族に示したかっただけでした。
この頃、私は小学生でしたが
モノのように利用されたことに
憤りを感じていました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/99/0b/j/o0640044614966526674.jpg?caw=800)
自分の所属する共同体の
人々がしあわせだと、
自然と自分もしあわせになります。
共同体の人と
勝ち負けを競うと
共同体感覚は高まりません。
その行為が
「相手より自分優先」だからです。
共同体感覚を高めて
感じる幸せを増やせるのは
「自分より相手優先」を
したときだけだからです。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/77/e4/j/o0640042714966526730.jpg?caw=800)
家族は一緒に
しあわせに生きていく
集まりです。
その家族を
自分のしあわせのダシにしたら
ダシにされた家族はしあわせに
なれないでしょう。
家族の犠牲でしあわせに
なった自分で
家族以外のしあわせに
どれだけ貢献しても
心の底からしあわせには
なれません。
競争している限り
自分が勝つためには
負けてくれる相手が必要です。
でもそれは
「相手より自分を優先」を
続けていくだけなので
いつまでも感じるしあわせは
増えません。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/fa/2a/j/o0640042714966527072.jpg?caw=800)
相手は皆、
ともに生きる仲間です。
魚と鳥は
生きる世界は違っても
地球の生物を構成する存在です。
人も同じように
社会を構成する存在です。
その中で
自分の目的を達するために
相手に犠牲を求めると
競争や上下関係となりがちですが、
相手に協力を求めると
競争や上下関係ではなく
対等で平和な関係になります。
相手も
犠牲はイヤですが、
協力させてもらえたら
そこに喜びを感じますし。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/2f/5a/j/o0640048014966527470.jpg?caw=800)
相手を大切にすることは
相手も自分を大切にしやすい
状況となります。
そうして
お互いがお互いを
大切にする循環が続けば
しあわせは
どんどん増えていきますね。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20210703/09/yurushino/a6/8a/j/o0640042714966527667.jpg?caw=800)
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ8年目、常楽でした。
《関連記事》
・愛されるにふさわしい自分の要件は、まず自分が愛する側にいること。
・相手をいたわれるのは、自分をいたわった人
・自分の居場所のつくり方~共同体感覚
・人生の課題は、たった3つ
・信頼と裏切りは、同居できない
【常楽のコーチング】
コーチング、とは。7年目にして思うこと。
コーチングって、刺激の活用
コーチングで最も大切なこと
コーチングの基本:守秘義務
コーチングの基本:評価判断を下さない
コーチングの基本:沈黙OK
コーチングの基本:中断スキルの使用
コーチングの基本:時間管理はコーチがする
コーチングの基盤:アドラー心理学
ACEコーチングのサイト