自分の居場所がある感じ。

アルフレッド・アドラーの言う
共同体感覚です。

さらにアドラーは言っています。

共同体感覚は
「他者への貢献」によって
形成される、と。

自分の居場所をつくる方法は、
相手の役に立つことを
してあげることなんですね。



相手の役に立つこと
といっても、
負担できないレベルの
自己犠牲をしてまで
する必要はありません。

自分が
「やってもいいかな」と
自然と負担できるレベルで
貢献活動をすれば
自然と共同体感覚は
形成されます。



仏教の法話で
天国と地獄の違いのお話しを
聞いたことがあります。


弟子のひとりが
お釈迦様に訊きました。

天国は皆しあわせそうですが、
地獄は皆、飢えに苦しんでいるそうです。
天国と地獄は、何が違うのでしょうか?

するとお釈迦様は
こう答えました。

天国も地獄も同じ環境だよ。
どちらも
すごいご馳走が食卓に並んでいるよ。

でもお箸が三尺三寸(1mくらい)なので
その使い方が違うだけだよ、と。



そうして天国を見てみると
人々は楽しそうに食事してます。

自分が食べたいものを
相手に頼んで口に運んでもらいます。

お返しに
相手が食べたいものは何かを訊いて
それを相手の口に運んであげます。
皆、飢えることはありません。
ニコニコ笑って嬉しそうです。


天国では
他者への貢献が普通に行われてます。

自然に共同体感覚が形成されますから
安心しますし、やすらぎます。
しあわせそうです。



一方で地獄を見てみると、
人々は苦しそうです。

三尺三寸のお箸を使って
皆が皆、食べ物を自分の口に
運ぼうとしています。

長いので、
どうやっても食べ物は
自分の口に入れることは
できません。

そのできないことを
なんとかしてやろうと
しているために、
苦しんでいます。

目の前にご馳走があるのに
食べられない。

次第に飢えも増すから
口に運ぼうともがく手にも
力が入る。

他人を気遣う余裕などないから
お互いがお互いを邪魔者扱い。

ずっと戦闘状態のようで
ギスギスしてて
しあわせなど、見えません。



地獄は
天国と同じ環境なのに
「他者への貢献」が皆無です。

「他者への貢献」がないため
共同体感覚は形成されません。

居場所のない不安は
増えていく一方で、
安心などできません。



共同体感覚は
帰る場所=家がある感覚
とも言えます。

帰る家があると
外出時に
今日の夜はどうしよう?と
不安になることはありません。

それと同じように
人とのつながりを持つことは
自分の安心を増やしてくれます。

そのつながりを
つくり、強めていくのが
「他者への貢献」です。

今できる「他者への貢献」を
今の自分にできる方法で
実施していきたいですね。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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