おはようございます。
プロコーチ7年目、常楽です。


お父さま方、お母さま方、
家族の食卓で、お酒飲まれてますか?


人間関係を学ぶ中で
「家族との食事は、
皆で同じものを食べる」ことは
家族の平和が増えると感じました。

家族の食事と
お酒をたのしむ時間を
分けることで、より家族の関係が
良好なものとなっていくと感じるんです。


レストランに行ったときに
私はこれ
あなたはそれ
お互い違うからシェアしよう
なんてことも楽しいですよね。

でも家庭での食事で
個別に料理を作るのは大変。
だから自然と皆同じものになる。

でもそんな中で、例えば
父親だけ、おかずだけで
ビールを飲む。

他の家族は食事をしてるのに
父親一人が晩酌している。

テーブルにつく目的が違う。

「子供はお酒は飲んじゃだめ」
「大人の特権」
といって、当然なこととして
親から説明される子供。

子供は
「大人と子供は違う」と学ぶかも。



私の当時の食卓は
父親がお米の前にお酒を飲むのが
当然なこととなってました。

そのルールは子供抜きで決められたもので
父親と母親が
「そういうものだ」と言うと
それが家族のルールになっていました。

お酒を飲むと父親は
一人で上機嫌となり、
喋ったり、歌ったり、
テレビ番組にケチをつけ
ケチをつけられる自分はすごいんだぞと
言ってきたり。

他のメンバーは食事が目的ですから
食事を進めますが、父親は
家族だんらんや食事が目的ではないようです。

そんな父親に逆らうと
生きていけないと信じていたので
絡まれても、受け流していました。

しかし、度を越したときは
怒り爆発です。

父親は
何が悪いのかわかりません。

母親も父親を支持するため
1対2という構図となり
常に家族の悪者は私でした。

家族の食卓の平和を乱すのは
怒り爆発の私の責任、というわけです。

当時は私が悪いと信じていましたが
そもそもテーブルにつく目的が違うから
見る立場によって善悪も違うのだと
知ったときには、心が楽になったことを
憶えています。

父親に異を唱えると
返り討ちに遭いますから
誰も唱えなくなります。

そんな暴君のような父親がいる食卓では
私の心が休まることはありませんでした。


そんな一方で
お酒がない食卓では
一方的であったり支配的であることは
変わりませんが

悪乗りしなかったり
食事の時間が短かったりで
ストレスも比較的すくなく済みました。


食卓につく目的を
家族で統一することは
家族の平等さや公平さを
現実の形とできる行為であり

それが自然な日常となる家庭は
家族の人間関係の良好を維持し
やすらぎや平和を増やしてくれる
ものだと思うのです。

子供が
「親と自分は同じなんだ」
と感じることを想像すると、
私はやすらぎを感じます。
あなたは、いかがですか?



お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ7年目、常楽でした。



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