相手に何か要求するときは
主語を「私」にすると
お互い感じるしあわせが
グンと増えます。



私は、あなたに肩もんでもらいたい。
私は、あたなに教えて欲しい。
私は、あなたに話を聞いてほしい。
私は、あなたに修正してほしいことがある。

聞いた相手は
それに応じる/応じないを
自分の裁量で決められる。

目線は同じ高さ。
対等を感じる言葉。



反対に
「あなた」を主語にすると
対立する感じ。

あなたは、私の肩をもむ。
あなたは、私に教える。
あなたは、私の話を聞く。
あなたは、修正する必要がある。

聞いた相手が
判断する前から
やることになってる。

上から目線な感じ。
聞いた相手に選ぶ権利がなく
押さえつけれるような感じ。



上から
「あなたは○○する」と
言われたら、不愉快だ。

だって、
自分が行動するかどうか
決めるのは、自分だから。

その決定権を無視されたら
誰だっておもしろくない。
人権侵害すら感じる。

怒り出す条件が
整うことになる。



私の父親は
おかしなことをよく言うが、
その中でもとくにおかしいのが
「お前はかわいかったんだよ」だ。

「自分は、幼い頃のお前を
かわいいと思ってた」と
自分を主語にしてくれたら
なんとか受け取れた。

でも
私のことを主語にしているので
受け取りようがない。

何のためにその言葉を
私に伝える?謎だ。

何のために私に言うのか
目的を確認してみても
父親は逃げていくだけ。

こんなやりとりを
いくらしても
共同体感覚は高まらない。

言ってる父親には
役に立っているようだが、
私には何の役にも立たない。
むしろ、迷惑レベル。
関係は悪化するだけ。



感謝するときは
自分が主語になっている。

誰が感謝しているのかが
明確だから。

「ありがとう。助かったよ。」

日本語では主語が出てこない
こんな言葉でも
主語が自分であるのは、わかる。



一方で、あいまいな表現も。

「学校、行きなよ」
「それは被害じゃないよ」
「違うと思う」

聞く側の状態で
主語が「私」とも
「あなた」とも、読める。

こういう表現こそ
意識して「私」を主語にしたい。



「あなたは、学校に行かねばならない」

「私はあなたが、
学校に行った方がしあわせになると思う」

「あなたはそれを、
被害と思ってはいけない」

「私は、それくらいのことは
被害のうちに入らないと思う」

「あなたは、間違っている」

「私は、その考えと
違う考え方です。」

「あなた」を主語にしたら
相手を否定する言葉でも、
「私」を主語にすることで
相手を否定せず、
自分はあなたと違うだけ、と
示すことができます。

違いがあるのは
自然なこと。

自然な状況で話すなら
共同体感覚は高まりやすくなりますね。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。


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