(再録)クソゲーの条件・①(加筆修正) | せいぜいひまつぶしの小話

せいぜいひまつぶしの小話

5年目から創作系ブログとして新装開店しました。
色々と思うところ書いてます。講談社への抗議不買は一生続けます。
2022年12月からは小学館もリストに加わりました。
「人を選ぶ」とはつまり「自分は選ばれた」ということです。

クソゲーの条件

②、 ③、 ④、 ⑤、 ⑥、 ⑦、 ⑧、 ⑨、 ⑩、 ⑪、 

 

『ロックマンゼロ』や『ガンヴォルト』シリーズで知られたインティ・クリエイツが、
自社開発で初となるMMO系アクションRPG『Dragon Marked For Death』
リリースしたのは、2019年1月31日のことでした。
タイトル画面Ver1.1.0
ところが発売後の評判はあまり芳しくなかったようで、特にアップデートによる改変は、
出来ていたことを出来なくするという下方修正ばかりでやる度に叩かれる
残念な状況が続いた結果、大量の客離れを引き起こしたそうです。

かつてWiiで配信されたロックマン『9』『10』も同じインティ開発でしたが、
タメ撃ちとスライディングを使えなくされたクソ仕様に、
今度の一連の不手際と塩対応につながる要因が隠されていたような気がします。

ロックマンの『2』をテッペンだと思うのは勝手…というか個人の自由なので、
そう思わない人もいるってことぐらい、ちょっと考えれば分かるはずなんですがね。
それどころか『3』以降で使えるようになったスライディングやタメ撃ち(『4』から)を、
単純にシリーズの発展・進化の産物として、喜んで受け入れた人もいるでしょう。
タメ撃ちとスライディングがそんなに嫌なら
お前が使わなければいいだけの話
であって、
ゲームの仕様レベルで原理主義を強制されたのではたまったもんじゃありません。

『アンリミテッド』『スト×ロク』のような同人ファンメイドの無料配信ならともかく、
しかも『アンリミテッド』でさえオプションで自由に選択可能だったというのに、
公式の、しかも有料のナンバリングタイトルで、自分たちの狭量で独善的な“減点”回帰の
原理主義を強制する行為は、ゲームから遊ぶ自由を奪い、世界中で愛された名作をクソゲーに
貶(おとし)める愚挙・暴挙でしかありません。
switchの『ロックマン11』でまた使えるようになったのは、非常に喜ばしいことです。

 

『ストリートファイター×ロックマン』

『ロックマンアンリミテッド』

タメ撃ちとスライディングがそんなに嫌なら
お前が使わなければいいだけの話
だと、
もっと早く気付いていれば、おそらく今度の不手際も起こらなかったでしょう。
現在はだいぶ改善されていると聞きますが、居残り組の信者どもが言ってることなので、
果たしてどこまで信用出来るか怪しいモンです。それにどのみち本当に改善されていたと
しても、今度は“人が集まっていないこと”それ自体が足かせになってしまいますので、
そうした状況での失地回復は、ぶっちゃけ無理なんじゃねえの?と。

しつこいくらい何度も言いますが、
タメ撃ちとスライディングがそんなに嫌なら
お前が使わなければいいだけの話
であって、
“想定外”だかなんだか知りませんが、そんなモンにいちいち目くじら立ててツブす
暇があったらもっと他にやるべきことがあったでしょうに、何もかもが遅過ぎました。

おそらく“作りたいものを作る”というのがインティ・クリエイツの社風なのだろうと
見ています。もちろんそれが一概にダメというわけではなく、創作においてはむしろ
あって当たり前の思考です。ただそうした自己完結的な考え方は“妥協の無い作り込み”
として、これまではプラスに発揮されてきたのかもしれませんが、それぞれ事情の異なる
プレイヤーが一堂に会するMMO系のように、ある程度の多様な遊び方を保証しなければ
ならないゲームマスター(管理者)としてのスキルが求められるような状況では、
“遊ぶ人のことを考えない”ある種の独善として、裏目に出てしまったのでしょう。


それはかつてのロックマンのように、長年に渡り築き上げられてきたブランドイメージが
支持基盤の根拠として存在する、既存シリーズのナンバリングタイトルにおいても同様に、
これまでの積み重ねを蔑(ないがし)ろにしながら自らの原理主義をゲームの仕様として
ねじ込み、プレイヤーから“遊ぶ自由”を奪う愚挙・暴挙へと向かわせた可能性があります。
タメ撃ちとスライディングがそんなに嫌なら
お前が使わなければいいだけの話
であって、
使えなくする必要なんかどこにも無かったはずです。

あのとき何が一番ムカついたかといえば、やはり“遊ぶ自由”を奪われる感覚であり、
自分にとってのクソゲーは“遊ぶ自由”の無いゲームだなと、改めて思い至った次第です。

“遊ぶ自由”といっても、マインクラフト以外のゲームをクソゲー認定する気は毛頭ありません。

単なる欠点あげつらって何でもかんでもクソゲー呼ばわりなんぞ愚か者のすることです。

というかマイクラは“自由に遊ぶ”ゲームであって“遊ぶ自由”とは違います。

どんなジャンルであっても、まともなゲームには“遊ぶ自由”があります。
クソゲーにはそれがありません。別にそれ以外のことはどうでもいいとかそんな
極端なこと考えてるわけじゃないんですが、話が複雑になりそうなので、
今回はあえて“遊ぶ自由”に絞って話を進めていきたいと思います。

〈続く〉