(再録)クソゲーの条件・⑪(加筆修正) | せいぜいひまつぶしの小話

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5年目から創作系ブログとして新装開店しました。
色々と思うところ書いてます。講談社への抗議不買は一生続けます。
2022年12月からは小学館もリストに加わりました。
「人を選ぶ」とはつまり「自分は選ばれた」ということです。

クソゲーの条件

①、 ②、 ③、 ④、 ⑤、 ⑥、 ⑦、 ⑧、 ⑨、 ⑩、 

 

願わくばもう二度と戻って来ませんように

相変わらずガワ“だけ”は立派なパッケージ詐欺…というより、
ここだけは素直にきゆづきさとこ(敬称略)の才能を認めるべきでしょう。
彼女のデザインセンスは掛け値なしで賞賛に値します。

ゲームの中身はいわゆる『タクティクスオウガ』に代表される立体マップの
シミュレーションRPGなんですが、『オウガ』シリーズのいちファンとしては、
引き合いに出すのもムカつくレベルの非常に不愉快で不自由なクソゲーでした。

前回前々回でも書いた通り、ゲームの負けイベントはそれと分かるように、
“絶対勝てない秒殺仕様”でサクッと済ませるのが最善の最適解です。

シナリオ序盤の負けイベントで、普通に戦って普通に勝てる普通の敵が、
倒した後にHP全回復で復活するのを見たときは制作者の正気を疑いましたよ。

コレだけじゃどういうことだか分からないと思うのでもうちょい補足説明致しますと、
要するに普通に戦って普通に勝てるってことはつまり“受けるダメージも普通”
ということで、しかもそれを1回の戦闘になにかと時間のかかるシミュレーションゲームで
やらされるわけです。『ドラクエ5』は操作不能でしたけどね、ちゃんと。

この時点でヤバいと思えたなら、その感覚は正常です。
きわめて健全な審美眼と評価軸をお持ちであることを保証します。
どうか周りに流されず、自分を信じてあげてください。

他にも“何度も攻撃しないと開かない宝箱”とか、
レベル上げのために“シナリオマップ”を“何度も”往復させられるとか、
“わざと何もしないで”じっくりいたぶられないと話が先に進まない

負けイベント以外にも納得のいかないストレス仕様が目白押しで、

こんなものを面白いと本気で思っているなら精神科の受診をおススメします。

認知行動療法で治るとは思えませんがね(笑)
 

次の『ブレイズユニオン』も大概でした(これはサントラ)

というか「滅びてしまえ」と言いたいです。
全マップ手数が制限されてる中で索敵マップみたいなコトやらせるとか
一体どうやったらそんな発想が出て来るのかといえば“斬新さ”や“独創性”への
致命的な勘違いであり、ここまで続けばもはやこの勘違いはスティングの社風なんでしょう。

さらにこのクソゲーの女キャラは雪原マップで自分たちの格好と「寒い」とか言い出します。
場違いなメタ発言がウケると思ったか?

物語世界での登場人物の服装が(機能としての)TPOに合っていないことは、
今更言ってもしょうがないし「それは言わない約束」だったはずです。

「目立つ事を嫌う」とか言ってるのが

1km先からでも見分けがつくスタンド使いのギャングだとか(『ジョジョ』第5部より)、

もしくは全然忍べてない剣と魔法の世界の忍者だとか(『ダークシール』より)、

分かってる者同士で冗談半分にネタにすることはあっても、それを本気で批判する人間はいません。
物語世界での服装が 記号≧機能 であることは、今更説明するまでもないでしょう。
それが本気で分からないヤツは本気でアホです。

とはいえそれぞれ許容範囲が異なるわけで、これを無条件・無批判に受け入れろというのは
さすがに暴論が過ぎるというものです。それにそうしたことで批判されるのは性的な部分に関する

ことばかりですので、あとはゾーニングによって対処すべきでしょう。
ちなみに自分は、ミリタリーもので戦場にミニスカの女性兵士とか
萌え系美少女キャラとかそういう組み合わせが生理的に受け付けません。
でもだからってそれを無理矢理止めさせるのは違うと思っています。

いずれにしてもコレは物語世界の“外”で議論すべき問題であって、
ギャグやコメディでもなければ、“中”の住人が口を挟んでいいことではありません。
人が死ぬマジメな戦記モノでそんなことやって面白いと本気で思っているなら
ただのアホです。『ユグドラユニオン』で雑な人死に展開やるだけのことはあります。

何の反省も改善も無く垂れ流され続けたスティングのクソゲーどもはもちろん、
ゲーム雑誌に寄稿するプロのライターでさえ、この不自由で不愉快なクソゲーどもの
腐り切った実態から目を背けてきたことには、それ以上に腹が立ちました。
グルメをこじらせたゲテモノ食いみたいな自意識過剰には見抜けなかったわけです。
だからこうして自分で書くことにしました。

“人を選ぶ”なんて便利な言葉で“自分は選ばれた”傲慢を自分で欺いていれば、
カモに選ばれるのも当然ですかね。改めてこの発言者を心底軽蔑します。

“斬新さ”や“独創性”は、もっと筋道立てた考えによって導き出され、解き明かせるものであり、

システムや機能としての“意味”や“必然性”に支えられていなければ、良いものにはなりません。

次で多分終わります。というか精神衛生のためにも終わらせたいです。

〈続く〉