『緊急事態発生、居住ブロックD-4-8で異常を検知しました。緊急事態発生、居住ブロックD
-4-8で異常を検知しました』
突然ビリーの部屋に、けたたましい警報の音が鳴り響き、部屋の照明は真っ赤に明滅して内部
での異変を知らせる。書いてる本人も時々忘れそうになるくらい細かい設定ではあるが、黄色が
“外”で、“中”は赤だ。
『居住ブロックD-4-8で異常を検知しました、間もなく排出します、ただちに隣の部屋へ押し
破って避難してください。居住ブロックD-4-8で異常を検知しました、間もなく排出します、
ただちに隣の部屋へ押し破って避難してください』
「…異常ってなんなんだよ」
キッチンどころかユニットバスも付いていない、周囲を十分に見渡せる広さのワンルームで、
ついでにゴミ屋敷でもない部屋にいる自分が気付かない“異常”とは一体何なのか?
アナウンス自体も何が起きているのか具体的な説明も何も無く、「隣の部屋へ押し破って避難
してください」という部分だけがやけに耳に残ったのは、自身の今の精神状態による都合のいい
思い込みや幻聴の類だとは思えず、むしろ従う気になれなかったビリーは、普通に普段の出入り
口から出ようとした。出られさえすれば、どこからでもいいはずだった。
しかし、ドアは開かなかった。
「なんだってんだよ…」
誰かが仕組んでいるのは明らかだった。押し破りたい自分の欲求を叶えるために、この状況を
お膳立てでもしているのだろうか?
『押し破ってください』のアナウンスが繰り返される中、ビリーは、板壁の前に向き直った。
「…こっから逃げるしかないよなぁ…?」
板壁に近付き、そっと指先で触れてみる。“壁”と言うほどには硬さを感じない触り心地と、
向こう側の様子が透けて見えそうな気がする半透明気味の明るい白色(はくしょく)は、むしろ
“膜”という表現の方が近いのかもしれないと、ビリーは思った。
『~…隣の部屋へ押し破って避難してください』
「……………」
謎にこみ上げる緊張感と心臓の高鳴り、「押し破る」ということに興奮する自分に、ビリーは
戸惑った。2人の幼い子供たちとロボットに囲まれた、色気の無い生活の中で久しく忘れていた
感覚が、自分の中に蘇っていくのを感じていた。
ビリーは叫んだ。その言葉にならない声は、隣の部屋の住人の耳にも届いていた。
『緊急事態発生、居住ブロックD-4-8で異常を検知しました、隣の部屋の住人は避難に備え、
壁から離れてください』
「!…ビリーの部屋…?」
現場の住人でさえ把握出来ていないことは、隣の部屋からではもっと分からない。だが少なく
とも、ビリーが壁を押し破って自分の部屋に飛び込んでくる可能性がある…咄嗟にではあるが、
それだけは理解が出来た。
「…飛び込んだら泥プール…」
エドワード船長は、板壁の…泥プールの前に向き直った。
ベシャ!!
泥は大きく跳ね上がり、真正面で待ち構えていた愛くるしい男の子の全身に降りかかる。足元
どころか全身の全力ダイブを決めた方も、無事では済まなかった。
「………………」
「………………」
ビリーはおもむろに立ち上がり、全身泥だらけのままに互いを見やった。言いたいことは色々
あるはずだったが、痛み分けに終わったその姿が全てを物語っているような気がして、ポツリと
ひと言だけ呟(つぶや)いた。
「…電源コードにけつまずいたんだ」
「…そうなんだ」
それで十分だった。2人は全てを理解した。
「…泥プールは後片付けが面倒だからな、今度やるときは粉にしとけ。それと下はちゃんと柔ら
かいモン敷いとくんだぞ、ロボに言えば用意してくれるはずだ。…いいな」
「うん……!」
ヒザを曲げ、見た目7歳の男の子と同じ高さにまで目線を下ろし、そのつぶらな瞳を真っ直ぐ
見つめて言った。口が悪くて目つきも悪い男が、声を荒げるようなこともせず、静かに、そして
「今度やるときは」と…ビリーのそういうところが大好きで、気がつけば船長は、ビリーの腕の
中で泣いていた。
宇宙船・シルバーアロー号外縁部に位置する居住ブロック。
部屋番号D-4-7と8番…言われた通りに作り直したいたずらと、ビリーが蹴躓(けつまず)
いた電源コードは、どちらもそのままになっている。
〈終わり〉

