(再録)クソゲーの条件・⑩(加筆修正) | せいぜいひまつぶしの小話

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5年目から創作系ブログとして新装開店しました。
色々と思うところ書いてます。講談社への抗議不買は一生続けます。
2022年12月からは小学館もリストに加わりました。
「人を選ぶ」とはつまり「自分は選ばれた」ということです。

クソゲーの条件

①、 ②、 ③、 ④、 ⑤、 ⑥、 ⑦、 ⑧、 ⑨、 ⑪、 

 

6人分、わざとやられてくださいね☆

2000年代のゲームとは思えないゴミ同然の発想です。

 

前回も書きました通り、秒殺仕様で手短にサクッと済ませるのが
『負けイベント』の正しい作法であり、最適解でもあります。
イベント進行を強制するのであれば、手短に済ませるのはもちろん、
いっそ“終わるまで全自動”が丁度いいくらいで、スキップ出来ればなお良し、
“ダメージゾーンに突っ込ませ”“待たせる”なんてのはもってのほかです。

『エストポリス伝記2(スーファミ)のガデス戦みたいな隠し要素があるならともかく、
プレイヤーに半端に介入させておきながら結局は作者の意図に忖度(そんたく)しないと
何も出来ないとか、ハッキリ言って強制イベントの処理方法としては最悪です。

『マクドナルド トレジャーランドアドベンチャー(メガドライブ)のボス戦では、
ボスにライフを取られないと攻撃が通らないシステムですが、
直後に湧き出すザコから簡単にリカバリーが可能です。

『ドラクエ5』では操作不能でしたねぇ、ちゃんと。

“わざとダメージ食らう”ことを要求されるシステムや負けイベントを含むゲームで、
自分の知る限りではせいぜいこの程度です。もしかしたら他にあるかどうか分かりませんが、
自分で知りもしないことをこんなトコロで引き合いに出すつもりはありません。
『ユグドラユニオン』のことは知ってるからここまでぶった斬ってます。

あるいはもっと時代を遡るかマイナー作品にまで目を向ければ見つかるかもしれませんが、
黎明期草創期の手探りの中で生み出されたものと、ある程度成熟した2000年代のソレとでは
条件がまるで異なりますので、そもそも比較対象にすらなりません。
マイナー作品についても同様です。そのマイナー作品が、一体いつ『面白いクソゲー』なんて
言われて不当に持ち上げられてきましたか?

数多くアイテムを揃えておきながら使い道は限定的で、

 

キャラは沢山いるのにお気に入りを使い続ける余裕は無く、

 

戦記モノをやるにはシナリオの力量が全く追い付いていない、
 

イベント進行もプレイヤーにとっては不満とストレスの塊で、
 

手数も移動できるマスの数も毎回限られているのでは、
マップの探索やアイテムコンプの足かせにしかなっていません。

“普通に”作っていれば、こんなことにはならなかったでしょう。

結局大半が回復アイテムの代用品なのに、

わざわざ固有名詞付きで数揃える必要ありましたか?

お気に入りを使い続ける余裕の無いガチガチのゲーム展開で、

育成要素なんか入れるべきじゃなかった。

きゆづきさとこ(敬称略)のキレイでカワイイほのぼの系キャラデザに合わせて、
もっと単純明快で勧善懲悪な明るいトーンのヒロイックファンタジーにでもすればよかった。

いちいちキャラを死なせる必要なんか無かったはずです。

手数も移動できるマスの数も限られている中でアイテム収集要素を両立させたいなら、
マップをあちこち探すよりも、クリア後のボーナスとして戦った成績に応じてアイテムがもらえる
仕組みなら
納得してもらえると思うんですがね。


1つ1つを取り出してみれば、それ自体に問題があったわけではありません。
それぞれを活かすようにキチンと考えさえすれば、素人の発想でもいっぱしのモノに
なれたはずの何もかもが互いに足を引っ張り合いツブし合う…スティングのクソゲーどもの本質は

いわゆる“食い合わせ”であり、ただ人と違うコトやってるだけのことを
“斬新さ”や“独創性”と勘違いしているのが原因であり、元凶です。
互いに足を引っ張り合っていればそれを活かすことはもちろん、その中で出来るはずの
ことも満足に出来ない。そこに一体何の“自由”があるんでしょう?


普通に作ってなけりゃ上っ面だけはさぞ“今までに無く”て“斬新な”ように見えるかも
しれません。そういうのが分かるオレはさぞ見る目があってカッケーのかもしれませんね。
でも結局ただ“それだけ”だから普通の人には面白くもなんともないんです。
システムとしての“意味”も無ければ何の“必然性”にも支えられていないからです。

承認欲求こじらせた幼稚なオタクのズリネタで、“斬新さ”を履き違えた大いなる勘違い、
『面白い(と思ってるオレすげーカッケー)クソゲー』が、
『ユグドラユニオン』の正体です。

ところがコレで終わりではなく、後にPSPで発売された『グングニル(クソゲー)でも
クソゲー量産工場スティングの“逆”才能っぷりは健在でした(開発はスティングです)。

願わくばもう二度と戻って来ませんように

 

〈続く〉