(再録)早生まれの憂鬱(加筆修正) | せいぜいひまつぶしの小話

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5年目から創作系ブログとして新装開店しました。
色々と思うところ書いてます。講談社への抗議不買は一生続けます。
2022年12月からは小学館もリストに加わりました。
「人を選ぶ」とはつまり「自分は選ばれた」ということです。

むか~し、むかしの、ぼくがまだ小さかった頃。
近所に住んでいた隠居のじいさんは、ぼくに色々な昔話を聞かせてくれました。

というわけでメイドイン昔話のお時間ですが、
今回は趣向を変えて、ぼく自身の昔話をしようと思います。

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むか~し、むかし。
早生まれのぼくは、クラスのみんなより1コ下で、
それが解消されるのは、毎回冬休みを過ぎた3学期の始めの頃でした。

といっても、学校生活で特にそれを意識するようなことは無く、
それ以外の実生活でも、別段何の問題も無く過ごしてきました。

ところが高校3年の歳になったぼくは、その変えようがない
残酷な事実に打ちのめされ、ひどく苦しめられることになるのでした。

「18歳未満の人は、借りちゃいけないんですよ」
「…そうですか」

そう、借りちゃいけないんです。

クラスのみんなは堂々と借りに行けるのに、
ぼくだけが、まだ借りちゃいけなかったんです。

このときばかりは自分の早生まれと自分を産んだ両親を恨み、
激しく呪いました。殺意を抱いたほどです。

「来年まで待てばいい」

そう言われたなら、当時のぼくは迷わずソイツをぶん殴っていたことでしょう。
そんな他人事の正論で思い止まれるようなものでないことは、男なら誰でも分かるはずです。

見たい、見たい! とにかく見たい!

そんな見たい盛りの年頃の男の欲求は、むしろ我慢すればするほど強まるばかり。
考えに考えた末、ぼくは“ある方法”を思いつきました。

「今度会った時に、ちゃんと返してくれよ」
「ああ、ありがとう」
「…がんばれよ!」

考えに考えた割には何のヒネリも無いと思うでしょう。
実際その通りなのだから、返す言葉もありません。
他県の、違う高校に通う近所の友達(18歳)は、中学の頃からの付き合いでした。
この方法なら、万が一にもクラスメイトにバレる心配はありません。

当時のぼくは、この上ないグッドアイデアだと思っていたし、
何より、ぼくのために会員カードを貸してくれた友達(18歳)の親切と真心に、
ぼくはなんだか、背中を押されたような気がしていました。

見たい盛りの思春期の欲求は、友情と化学反応を起こし、
ある種の奇妙な使命感へと、すり替わっていたのです。

「……………」
「2560円です」

初めての領域に足を踏み入れる興奮と感動、
いつバレるんじゃないかという不安と緊張、
家に帰れば待っているお楽しみの時間…いやがうえにも膨らむ期待と妄想で、
背筋がゾクゾクしたのを今でも覚えています。

そんなぼくも18をとうに過ぎ、今や誰憚(はばか)ることなく堂々と、
大手を振って借りに行ける年齢となりました。あの頃のようにゾクゾクすることはありません。

そんな今の自分が、フとあの頃の自分を思い返すと、
なんだか大切なものを失ってしまったような、なんともいえない気分になります。

でもあの時の友情だけは、決して失ったりしません。

持つべきものは、早生まれのぼくに会員カードを貸してくれる友達だ、ということです。


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