子どもは親を選んで生まれて来る(その3 クリスタルチルドレン)
子どもは親を選んで生まれて来る(その4 レインボーチルドレン)
子どもは親を選んで生れて来る(その11 いのちの理由と死ぬ権利)
私はずいぶん、非常識に生きてきました。
五人の子どもたちのなかで、まともに学校にはじめから行かせたのはひとりだけです。
長女と長男は無認可の学校に入り、長女が5年生、長男が3年生まで在籍しました。
その後、ホームスクールでした。次男、三男ははじめからホームスクール。
離婚したあと、さすがに一人で常識と戦いきれなくなり、公立学校に行かせたのですが、少人数の学校を選びました。
東日本大震災の後、放射能汚染から避難して、北海道に来ました。
それも少人数の学校をめざして、西興部村に来ました。
予防接種もほとんど受けていません。
末っ子は一度も受けていません。
非常識な生き方も、徹すると、誰も相手にしなくなり、それ以上は突っ込んできません。
当初は就学義務違反だとか、教育委員会で言われましたが、対話が成立しませんでした。
子どもに予防接種を受けさせないと言ったら、虐待を疑われたこともありました。
私は今でもコロナワクチンを受けさせることこそ、虐待だと思っています。
世間の常識と、私の常識は絶対に交わることがありません。
世間から見ると、私は非常識な人間ですが、私から見ると、テレビの情報を信じ、無症状感染を信じ、マスクをし続け、偽ワクチンを接種していることの方がよほど非常識です。
マトリックスを疑わず、洗脳されているとしか見えません。
私は子どもたちに勉強をしろと云ったことがありません。
それでも、長男は海技士の資格を取り、次男は二級建築士をとりました。
小学校時代は自然のなかで思いっきり遊んでいました。
だから、勉強に対する拒否反応はありません。
口酸っぱく、躾けられなかったから、人の言葉に拒否反応を示しません。
テレビをほとんど見なかったので、話を聞き流すことがありません。
添加物のお菓子やインスタント食品を食べなかったので、味覚が健全です。
私にとっては、子どもは自分の人生のシナリオを描いた、人生の主体です。そしてその主体として親を選んで生まれて来たのです。
その一本の縦軸に沿って、私は子どもと向き合ってきたので、その軸がぶれることが、私の非常識であり、無意味な躾けや、強制や、テレビや添加物を与えることは非常識で虐待です。