子どもは親を選んで生まれて来る(その1 子どもたちの証言)

子どもは親を選んで生まれて来る(その2 主体となる)

子どもは親を選んで生まれて来る(その3 クリスタルチルドレン)

子どもは親を選んで生まれて来る(その4 レインボーチルドレン)

子どもは親を選んで生まれて来る(その5 キューピット)

子どもは親を選んで生まれて来る(その6 死と向き合う)

子どもは親を選んで生れて来る(その9 子どもへの畏敬)

子どもは親を選んで生れて来る(その10 唯物論からの離脱)

子どもは親を選んで生れて来る(その11 いのちの理由と死ぬ権利)

子どもは親を選んで生れて来る(その12 その認識と5次元)

 

 

私はずいぶん、非常識に生きてきました。

五人の子どもたちのなかで、まともに学校にはじめから行かせたのはひとりだけです。

長女と長男は無認可の学校に入り、長女が5年生、長男が3年生まで在籍しました。

その後、ホームスクールでした。次男、三男ははじめからホームスクール。

離婚したあと、さすがに一人で常識と戦いきれなくなり、公立学校に行かせたのですが、少人数の学校を選びました。

 

東日本大震災の後、放射能汚染から避難して、北海道に来ました。

それも少人数の学校をめざして、西興部村に来ました。

 

予防接種もほとんど受けていません。

末っ子は一度も受けていません。

 

非常識な生き方も、徹すると、誰も相手にしなくなり、それ以上は突っ込んできません。

当初は就学義務違反だとか、教育委員会で言われましたが、対話が成立しませんでした。

 

子どもに予防接種を受けさせないと言ったら、虐待を疑われたこともありました。

私は今でもコロナワクチンを受けさせることこそ、虐待だと思っています。

 

世間の常識と、私の常識は絶対に交わることがありません。

世間から見ると、私は非常識な人間ですが、私から見ると、テレビの情報を信じ、無症状感染を信じ、マスクをし続け、偽ワクチンを接種していることの方がよほど非常識です。

マトリックスを疑わず、洗脳されているとしか見えません。

 

私は子どもたちに勉強をしろと云ったことがありません。

それでも、長男は海技士の資格を取り、次男は二級建築士をとりました。

小学校時代は自然のなかで思いっきり遊んでいました。

だから、勉強に対する拒否反応はありません。

口酸っぱく、躾けられなかったから、人の言葉に拒否反応を示しません。

テレビをほとんど見なかったので、話を聞き流すことがありません。

添加物のお菓子やインスタント食品を食べなかったので、味覚が健全です。

 

私にとっては、子どもは自分の人生のシナリオを描いた、人生の主体です。そしてその主体として親を選んで生まれて来たのです。

その一本の縦軸に沿って、私は子どもと向き合ってきたので、その軸がぶれることが、私の非常識であり、無意味な躾けや、強制や、テレビや添加物を与えることは非常識で虐待です。