自分は親を選んで生まれて来たのではないか?

 

多くの場合、子どもが2~3歳頃に、その生まれる前の記憶を話すことがあります。

まだ、地上に降り切っていなくて、半分精神世界の余韻を残している時期に、精神世界の様子を話すのです。

 

ところが、自分は親を選んで生まれて来たのではないか?

私が、そう気づいたのは17歳の頃でした。

 

今では池上明先生の本もあり、

 

 

 

普通に胎内記憶や親を選んだという話がちまたに出回っています。

 

 

 

 

 

しかし、当初、私が苦悩にあえいでいた頃には、そのような本とは出合えませんでした。

 

私は「自分は親も国も時代も選んでいないのに、何のために生きなければならないのか?」と悩んでいました。生きる意味がつかめなかったのです。

時代は冷戦の真っただ中。核のボタン一つで地球が滅亡するとも言われていました。

 

どうせ死んだら、無になるだけ。どうせ無になるのに、なぜ学ぶ必要があるのか?

受験勉強の逃避と重なり、何もする気が起きませんでした。

最後はゼロになるのが分かっているのに、いくら積み上げても、そこに意味を見つけることができませんでした。

 

そして、究極まで自分を追い詰めていきました。

 

自分が親も国も時代も選んでいないのに、生かされるのであれば、自分の意志はどこにあるのだろう?

唯一、自分の生を否定することだけが、自分が示せる意志ではないだろうか?

 

そう考え、自殺こそが、自分の「意志」、生を否定する「意志」を示す唯一の手段ではないかという結論にたどり着いてしまったのです。

 

「自分が意図(意志)しなかった生きること」を否定することこそが自分の意志であると考えたのです。

 

そして、夜眠れなくなり、金縛りにかかりました。

苦しくて、もがきました。

 

しかし、その究極まで自分を追い詰めた時、ふと、気づいたのです。

啓示が降りたと云ってもいいでしょう。

暗闇からスポンと抜けたのです。

 

なぜ、自分は生きる意味を知ろうとして、死を考えるのだろう?

それはもしかしたら、前提としていたものが間違っているのではないか?

 

それに気づき、自分がそれまで前提としていたことをひっくり返してみたのです。

「自分は本当は生まれたいと意志して、親を選び、国や時代を選んだ。」

そう考えた時、胸の中でもやもやしていた霧が、すっと晴れていくのを感じました。

 

そうだ、自分が生まれたいと意志して、親や国や時代を選んだと仮説を立ててみよう。

そして、その仮説を元に生きてみて、もし、その仮説が間違いだと気付いた時に死ねばいいのだ。

そう考え、自殺することを保留しました。

それでも、その後も、苦悩は続いていました。

自分がその仮説を信じ切れていなかったのかもしれません。

 

二十代を過ぎ、二十代でユング心理学の本を100冊以上も乱読し、その後シュタイナーの本と出合います。二十代後半だったと記憶しています。

そしてシュタイナーの本の中に、

「生まれようとする子どもの魂ははじめに母親を選び、母親の目を通じて父親を選んで生まれてきます」と書かれていたのです。

 

私の17歳の仮説を、はじめて言葉にする本と出合ったのです。

 


 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は、愛子様も胎内記憶があるといいます。
 
 

 

2004年の春、愛子さま2歳の頃…

「雅子さまは、中傷記事などつゆしらず、楽しそうにピアノとハープで遊ぶ愛子さまに、ふと『愛子はどうしてパパとママのところにきたの?』と聞いてみたのです。すると愛子さまは、いたって自然な口調で『だって、ママが寂しそうだったから』とお答えになりました。それを聞いて、嬉しくなった雅子さまは、さらに『おなかの中にいた頃のこと、覚えてる?』とお聞きになったのです。

愛子さまはこう仰いました。『覚えてるよ。おなかにいる愛子にタッチしてくれてたでしょ?ママとパパが仲良く笑ってるお話、ずっと聞いてたよ』と」(元東宮御所使用人筋)

(2004年の愛子さま)

軽い気持ちで聞いたことが思わぬ話に展開したらしい。

 

両陛下を「お選び」になって生まれた愛子さま

「思わぬ展開を見せた話に、雅子さまは『じゃあ、愛子はおなかの中に来る前はどうだったのかな?』と冗談半分で聞かれました。

すると愛子さまは、同じように自然な口調で『生まれる前はね、お空にいたの。お空からパパとママのこと見て、とっても仲が良くて楽しそうだったから、ぜったいこのパパとママだ!と思って、ママのところに決めたんだよ』と仰ったのです!」(元東宮御所使用人筋)
 

ママ、愛子ね、本当は生まれてくる前にママのところに一回来てたんだよ。でも、お空に忘れ物して取りに戻ったの。愛子がお空に戻る時、ママ泣いてたけど、ちゃんとママのところに帰って来たんだよ。だからママ…泣かないでいいんだよ
 
と。このご発言に雅子さまは、ハッと驚き、手で胸の辺りを抑える様にして、涙されたのでした」(元東宮御所使用人筋)

 

雅子さまが涙された理由は本サイト読者ならお分かりだろう。そう、愛子さまが生まれる2年前の1999年の12月、雅子さまは妊娠数週目に流産を経験されていたのだ。

(2004年の愛子さまと雅子さま)

「当時は、事あるごとに思い出すのでしょうね、『産んであげられなくて、ごめんね、ごめんね』と涙される雅子さまに、そっと皇太子殿下が背中をさすっていらしたことを覚えています。お世継ぎをお流しになってしまったというよりも、むしろ、おなかに宿った大切な命を亡くしてしまった罪悪感が強いのだろうなと、雅子さまも皇太子殿下も一人の人間ですしね。当時はそう思いました。

 

考えても見てください。わずか2歳の愛子さまが、その5年前に流産があったことを、どうして知る事が出来るでしょうか?その場にいた使用人も、流産の時のことは皆知っていましたから、みんな涙を抑えるのに必死でした」(元東宮御所使用人筋)

 

ママ、泣かないで…いいんだよ

だからママ、泣かないでいいんだよ… 愛子さまの優しさが伝わる。

「胎内記憶」は、それを覚えている子供でも4歳以降になると忘れると言われている。愛子さまもその例にもれず、今ではすっかり、忘れてしまったらしい。

 

「4歳を過ぎたころから愛子さまは、もうその話をされても『覚えていない』とおっしゃるようになりました。