子どもは親を選んで生まれて来る(その1 子どもたちの証言)

子どもは親を選んで生まれて来る(その2 主体となる)

子どもは親を選んで生まれて来る(その3 クリスタルチルドレン)

子どもは親を選んで生まれて来る(その4 レインボーチルドレン)

子どもは親を選んで生まれて来る(その5 キューピット)

子どもは親を選んで生まれて来る(その6 死と向き合う)

子どもは親を選んで生れて来る(その9 子どもへの畏敬)

 

まだ続ける、茶番デッミック・・・

 

 

腹黒い、オーラが見えます。

 

 

そして、こちらで語っている人、

誠実なのが一目でわかります。

 

情報ではない、何かを私たちは感じることができます。

目に見えないものでありながら、確かな確信を感じることができます。

 

 

そして、このようなニュースに悲しさや、怒りを感じます。

 

 

3回も、4回も、打ちたければ打てばいいです。

それはカルマなので、ワクチンを打ってカルマを解消しているのかもしれないですから。

 

 

 

ここで、語られていることのポイントは、「メドベッド」を唯物論的に考えることの無意味さです。

そこには他力本願、依存があり、自分軸が決定的に不足しています。

そのような人はテレビに依存し、権威に依存し、恐怖から逃れようとし、ワクチンの釣り針で釣られていきます。

 

しかし、それも、生まれる前に描いたシナリオだというのです。

ですから、それらの人たちにとっては、完全なる依存体験をすることで、それまでのカルマを解消しようとしているのでしょう。あるいはさらに何度も何度も生まれ変わる若い魂なのです。

 

私たちはそれも、認める必要があるのです。

あっちの道に行ってはいけないと、自分のシグナルがなっているほうへ、誰かが向かっていることを、果たして止めることが最善なのかどうか?

 

私たちは失敗する必要もあります。

失敗を体験する必要もあります。

いや、むしろ、失敗をするために、この地球にやって来たのかもしれないのです。

でも、それが魂の要求であるなら、失敗が体験できることは成功なのです。

 

善悪を唯物論的に判断することが、一番間違っている。