子どもは親を選んで生まれて来る(その1 子どもたちの証言)

子どもは親を選んで生まれて来る(その2 主体となる)

子どもは親を選んで生まれて来る(その3 クリスタルチルドレン)

子どもは親を選んで生まれて来る(その4 レインボーチルドレン)

を書きました。その続きです。

 

子どもは親を選んで生まれて来る。

そして、自分も親を選んで生まれて来る。

そう考えた時、生きる意味、死ぬ意味が唯物的に考えていた時と、180度くらい変わってきます。

天地がひっくり返るように変わってきます。

親子の関係が変わり、

子育ての意味も変わってきます。

 

それをどのように再構築し、どのように変えるかはその人次第です。

 

肉体的な遺伝子が先祖代々伝えられ、バトンのリレーがあって今の自分があります。

それを縦の軸と考え、魂が輪廻転生する軸を横の軸とした場合、私たちの今世は縦軸と横軸の交わったところに位置しているととらえることができます。

それはまさに十字架です。

 

その中で私たちは人生を経験し、魂を磨いています。

それはまさに、宇宙が愛の法則で成り立っているからに他なりません。

私たちは数々の失敗を体験し、その失敗の中から学び取ります。

そして輪廻転生しながら、様々な立場を経験します。

自らの弱点や未成熟な部分を次の人生体験を通じて、成長させようと、自らに課題を与えます。

そのような宇宙の愛に対する信頼を持つことができれば、私たちは全てを受け入れることができます。

 

昔から「袖触れ合うも他生の縁」と言われてきました。

袖触れ合うような、出合いというのは、他生、すなわち過去世で縁があるから出会うのだということです。

その過去世で、何か因を作り、それが縁となって出合います。因縁が生じるのです。

因とは、その過去世の出会いの中で未消化だったり、何か問題をおこして課題、つまりカルマを

残したということなのです。

それによって、それを修復し、より互いの魂を磨きあうために、縁が生じ、出合い、過去世の問題を修復しようというのです。

 

このように、昔から「袖触れ合うも他生の縁」と言われてきたことは、先人たちはその宇宙とカルマの原理を理解していたということです。

 

同様に、キューピットのことは、まさに親を選ぶプロセスを表しているのです。

キューピットとは、クピド―のことで、アモールやエロースとも呼ばれ、まさに恋の間を取り持つ天使です。

 

シュタイナーによれば、生まれようとする魂は初めに母親を見つけ、母親の目を通じて、父親を選ぶと言っています。

つまり、恋とは、女性が産もうとする子どもの父親を見つけるプロセスなのです。

その恋する女性の心理状態では、いわゆる打算などではなく、盲目的に相手を受けれたいと願うのです。

その精神状態は、一種の催眠術やトランス状態に近いもので、それはある意味で自分の意志ではなく、生まれようとする子どもの魂に突き動かされた衝動なのです。それを表現したのがエロスです。

 

ですから、その魔力をキューピットの矢でハートを撃ち抜かれたと表現されてきたのです。

 

 

ですから、子どもたちに母親として選ばれる女性は、その魔力の虜になります。

それがある意味で正しい伴侶の選び方かもしれません。

男性が優位で、男性に口説かれて結婚を決意するというプロセスよりも、女性が男性に恋をして、その恋を果たしていこうとする方が、より自然な運命であるように思われます。

 

私たちの運命とは、人生の課題、過去世からのカルマを解消することにあります。それを通じて魂が磨かれていきます。

しかし、それは実に過酷でしんどいことでもあります。できるなら避けて通りたいような過去から背負った課題なのです。

それに対して、勢いよく取り組んでいくためには、地上的な判断力が働かない魔力が必要なのです。

気付いた時には子どもが居て、自分は親になっているのです。

性とは、肉体的には動物的本能であり、精神的にはトランス状態です。

子どもは親を意識的、主体的に選んで生まれてきます。

ところが、親の方は、主体的に親になるというよりも、魔力的かつ運命的に親にさせられているのです。

 

子どもを産みたいと願う女性に子どもが授からないという悩みもあります。

しかし、それを肉体的、唯物的に解消しようとしても、これまでの「子どもが親を選んで生まれて来る」という観点から見れば、少し違うのではと気づかれるでしょう。

問題は肉体的にあるというよりも、運命的に、あるいはカルマ的にあるのです。

唯物的に考えれば考えるるほど、選ぶ方の子どもの魂は敬遠していくのではないでしょうか?

 

 

上の動画を見て、我が家の子どもの小さい頃を思い出しました。我が家の那須での生活です。