子どもは親を選んで生まれて来る(その1 子どもたちの証言)

子どもは親を選んで生まれて来る(その2 主体となる)

子どもは親を選んで生まれて来る(その3 クリスタルチルドレン)

子どもは親を選んで生まれて来る(その4 レインボーチルドレン)

子どもは親を選んで生まれて来る(その5 キューピット)

を書きました。その続きです。

 

人は死後に、今世の体験を、他者の立場で追体験します。
自分が相手に行ったことを、相手の立場から自分の行為を追体験するのです。
自分は正しいと思って行ってきたとしても、相手にとってはそれは苦痛だったという場合、その相手の感じた苦痛を感じ、自分の行いを検証するのです。
それによって、今世での行いを反省します。そして魂の未熟さに気づくのです。
それらが、死後に意識が宇宙へ拡大し、月、太陽、惑星にそれぞれの観点で記録されていくのです。次に生まれ代わって来る時、それらの星々から運命づけられるのです。
ですから星占いは、そのような過去世の自分の性状が星々に刻まれた配置を読み解くのです。
 
 
精神世界はこの世とは反対であるというのは、ちょうどネガとポジの関係のように、自分から見ていた目は自分を見る目になるのです。自分が環境となり、自分をとりまくのです。
 
そのような意識が魂の本来の姿です。それを確認し、体験するために、地球の素材の身体を借りて、衣服のようにまとい、三次元の体験をして、モニタリングするのです。
その予定された体験が終わると、死を迎え、元の魂の故郷へ帰っていきます。
 
ですから、死後の世界は故郷であり、それが本来の居場所なのです。
そこから、肉体を借りて体験する世界は魂から見れば、モニターであり、バーチャルであり、仮の姿です。実在ではなく虚構です。
 
仏教はそれを説いています。
私たちの認識している世界が仮の姿なのだと説いているのです。
 
私たちはカルマを修復するために、次に演じる役を決め、人生のシナリオを設定して、現実という舞台で演じます。
他の人たちと、役を決めあい、演じあっているのです。
 
特に親子になる関係は過去世で恋人同士であるような関係が多いと言われています。
過去世の関係を、立場を入れ替えて、体験しなおしてみるのです。
 
そのようなバーチャルな現実世界では、カルマによって、過酷な課題が設定されていたりします。
それは自らが魂を成長させるために設定したシナリオであり、より大きな成長を望む魂は自らに過酷な運命を課してみて、自分を鍛えることにチャレンジします。
 
自分で課した課題ですから、必ずそれを乗り越え、乗り越えることで、魂が成長するとともに、歓びや意識の深みを体験できるのです。
 
ところが、私たちは生まれてすぐに、自分がシナリオを描いたことを忘れます。
一度忘れて体験しなければ、ネタバレになって、真の体験にならないからです。
 
しかし、過酷な課題に直面し、それから逃れたいと思う場面もあります。
そのような場合、いっそ死んでしまった方が楽になれると考えてしまいます。
 
ところが、自殺をすると、自分が課した今世の課題の消化ができなくなり、死後にその未消化の課題の解消ができずに苦しみます。
それは現世で困難に直面するよりも、はるかに苦悩に満ちた状況となります。
 
 
私たちが死を恐れるのは、死後が恐ろしい世界であるためではありません。死後の世界は魂の故郷です。
しかし、すぐに故郷に帰りたくなってしまっては課題に取り組むことができません。
ですから、私たちは死を恐れるようになっていて、課題が残っている限り、死を避けたいと思うようにできています。
課題が全て終了し、本当に人生を全うしたなら、死は恐怖ではなく、故郷と感じられるのです。
 
その死の門をくぐる、言い換えれば三途の川を渡るには、今世の課題を全て終了してなくてはなりません。ですから、そこに鬼が見張り、安易に川を渡らせないのです。鬼は川を渡るためには身包みをはぎ取れと要求します。
しかし、この世に課題を残している魂にはこの世に未練が残っているので、身ぐるみをはがされまいと抵抗するのです。
あるいは先祖の誰かがまだこっちへは来るなと追い返します。
これが臨死体験です。
 
人生の課題を全うした魂は、もうこの世界でやり残したことがないので、何の未練もありません。ですから、三途の川を渡るときは鬼の顔ではなく、菩薩の顔に見えるのです。
若くして亡くなる魂は、魂が次の段階へと進化するために、あと少しだけ課題をこなすだけで次の段階へ行けたのです。
ですから長生きし、多くの課題をこなさなくても良いのです。あるいはまた、若い頃から天才的能力を発揮して、すぐに故郷へ帰ってしまうのです。
 
音楽で云えば、尾崎豊などがそのような魂でした。
また、私はNSPの天野滋も、すばらしい歌をこの世に残し、本当に美しい魂だったので早くにこの世を去ったのだと思っています。