子どもは親を選んで生まれて来る(その3 クリスタルチルドレン)
子どもは親を選んで生まれて来る(その4 レインボーチルドレン)
稲葉耶季 さん
稲葉耶季さんも、子どもは親を選んで来るとおっしゃっています。
もともと本質は、自分が生れるにふさわしい両親を探し、その子どもの肉体の中に入ります。
私たちは、両親が子どもをつくっていると思っていますが、それは肉体だけの話であって、本質の世界では子どもが両親を選んでいるのです。
虐待する親の子どもには、自分とともに親が学ぶために、あえてその親を選んだ本質が入ります。課題が大きいので、すでに多くの回数生まれ変わっている本質が、そういう選択をするのです。
また、障がい者として生まれるのは、すでにある程度高い段階の本質です。
そして、すべての人の本質は、何かをこの人生で学ぶためにこの世に生まれてきます。
自分にとって、その課題とは何なのか。
知りたいならば、必死になって「自分はなぜ生きているのだとう」と思えば、必ずヒントが現れてきます。
私は17歳の頃に、「何のために生きるのか」と問い、その問いによって、苦悩しました。
唯物論的に考えれば考えるほど苦しくなりました。
なぜ、何のために生きるかを考えれば苦しくなり、死のうと考えるのか? そこに気づいた時、唯物論がひっくり返ったのです。
その結果、「私は親や国や時代を選んで生まれて来た」という啓示が降りてきました。
その時は「仮説」でしたが、その仮説が確信に変っていきます。
不食を実践されていたこともありますが、少食に切り替えたといいます。
現代栄養学では、筋肉を強くするためにはたんぱく質、骨を強くするのはカルシウムなど、主要な材料となるものをとらなければならないといいます。
しかし、草だけ食べている草食動物はどうなるのでしょう。
草や木の葉、枝、根、果物といった植物だけで、あの巨体と牙を維持しているゾウは?
現代的な酪農で飼われているウシは、効率のよい飼料として穀物として穀物などを与えられます(さらに、狂牛病で問題となった肉骨粉(にくこつぷん)といった不自然きわまりないエサもありましたが、自然の中で放牧されているウシは草しか食べません。
→シュタイナーは、「草を肉に変える力を持っている牛が効率よく肉をつくりたいと肉を食べるとしましょう。草を肉に変える力が余ります。その結果、牛は気が狂うことになります。」そう言って、狂牛病を予言しました。
牡蠣でお腹をこわすと言っていて、私も2度、牡蠣で死ぬほどの腹痛と下痢を体験したので、よくわかります。
ホメオパシーについて、次のように書いています。
ご自身は「ホメオパス」をめざして、勉強していたといいます。
インドには、西洋医学、ホメオパシー医学、アーユルヴェーダ医学の三大医療がありますが、医師の数はいずれも同じで数十万人ずつです。大学の数もほぼ同じで、資格は三つとも同等の国家資格です。
インドで、貧困層の人たちが最も多く受ける医療はホメオパシーです。なぜなら、薬代がほとんどかからないからです。だからといって、ホメオパシーが劣っているわけではなく、それどころか多くの症状に早く強い効果を示します。
ホメオパシーの原理をごく簡単に説明すると、たとえば熱が出たら熱を上げる成分を、鼻水が出たら鼻水を出す成分を、動植物や鉱物などから抽出し、段階的に分けて水やアルコールで徹底的に希釈します。それをレメディーと呼ばれる小さな砂糖にしみこませたり、アルコールの液体にいれたりして患者さんに飲ませます。
用いる成分には、トリカブトやヒ素、水銀のような猛毒・劇薬もありますが、徹底的な希釈によって、物質の分子はもちろん、原子さえ残っていませんから、体に害になることはありません。
顕微鏡で見ても、砂糖の成分以外は何も見えません。では、そこに何があるかというと、もとの物質の波動(素粒子)だけが残っています。
脳のすばらしさは、波動を瞬間的に感知できることです。そして、「熱を上げるものが入ってきた、熱を下げろ!」「鼻水を出すものが入ってきた、鼻水を止めろ!」と、体の全システムに指令を出します。
ホメオパシーは、すべてこのメカニズムを使っているので、いまある症状と同類の症状を引き起こす物質(の波動)を用いるという意味で、「同類療法」と呼ばれます(「ホメオ」は似たもの、パシーは「病気」という意味)。
このしくみにより、症状や体質に合わせて処方されたレメディーは、即座に効果を発揮します。口に入れたら間もなく熱が下がり、鼻水が止まるのです。
ホメオパシーは、日本では、いっとき新聞でネガティブキャンペーンが行われたこともあって、「怪しいもの」「うさんくさいもの」と見られがちですが、体を痛めずに治す、すぐれた医療です。
イギリスの王室で行われる医療はホメオパシーが中心で、王立ホメオパシー病院や王立ホメオパシー大学もあります。
人の死ぬ権利について(元裁判官でした)
ヒンドゥー教の「四住期」
1.学生期→学ぶ時期
2.家住期→社会で仕事をし、家族を養う時期
3.林住期→引退して林に住み、真理について考える時期
4.遊行期→死ぬ準備をする時期
「自分は長く生きてきて、もうこれ以上生きなくてもいいな」と思った時点で「お水だけにします」といって、ベッドで過ごす生活に入るのです。
家族は「ああ、その時期が来たのだな」と了解して、水だけをあげます。
親族や友達が訪ねて来て、いっしょに楽しく過ごし、一カ月くらいでスーッと静かに亡くなります。ですから、長患いで延々と介護されるなどということは起こりません。
それに対して現代の日本は、病院に入院し、息が苦しくなると気管挿管をして人工呼吸器、栄養を補給する点滴の管、排尿のために管を入れ、血圧・脈拍・心電図・血液の状態などを測るセンサーでたちまちチューブとコードだらけ。(スパゲティ症候群)
苦しいので動こうとすると、ベッドの柵に縛られ、手足を拘束され、気の狂いそうな苦しみを味わいます。
日本の終末期医療は魂を苦しめます。
肉体の最期が近づき、魂が死後に行くべき世界に移ろうとしているのに、それを強引に引き止めて行かせないからです。
人間の本質から見れば残酷な行為です。
人には安らかに死ぬ権利があります。
人の安らかに死ぬ権利を奪っている医療は、同時に、自然に出産する権利も奪っています。
誕生の際に、唯物論者の立ち合いが、生まれて来る子どもに害があるように、死の際にも唯物論者は害になるでしょう。
チベットの死者の書は私も読みました。
もうご存知の方もいらっしゃるかもしれないけれど、
実は、その稲葉先生が今月、1月14日に光に戻られた。
御病気で療養中だったというが、
近しい人でさえ、ほとんど知らなかったという。
そして、18日に、近親者だけの、
葬儀をされたということなのだが、
そこにいかれた方からの話によると、
もう、なんとも稲葉先生らしいというか…、
温かくて、大きくて、涙が出て来る。
先生の遺言により、
葬儀の際のドレスコードもあったそうで。
服装は黒以外。できれば白で。
お線香もご焼香もない葬儀会場は、
花々に包まれ、美しく華やいだ空気さえ漂っていたそう。
そこに眠られる先生のお姿は、
まさしく、即身仏のようだと誰もが思ったらしい。
そうか…即身仏か。
まさしく先生にぴったりの表現だ。
ふと、想いがどんどん確信に変わってくるのだけれど、
もともと、高次の仏の世界にいらした方が、
ディセンションしてこの世に舞い降りて、
きちんと人間的な御苦労を重ねながらも、
己の御魂の望みに従い、
皆に示して下さった、
いわばアセンテッドマスター
として来られた御方だったんじゃないかと、
ふとそんな想いがしてならないのだ。
稲葉先生が親族の方に伝えられた、
お別れの言葉が、
荼毘に伏される前に読まれたとのこと。
「地上に生を受け、
多くの経験する機会を与えてくださいました
大霊に,心から感謝申し上げます。
そして、地上においてご縁のありましたすべての方に、
地上,及び宇宙に存在する,ありとしあるものすべてに、
感謝申し上げます」 ・・・稲葉耶季
この言葉を託して、
穏やかに、軽やかに、
肉体を脱ぎ去って行かれたとのこと。
著作の中に次のように書かれていて、お葬式の様子と重なります。
ふるさとに帰るのは、誰にとってもなつかしさと喜びに満ちあふれた、うれしいことです。
自分の「死」という旅立ちのときは、恐れずに、ぜひ楽しみにしていましょう。
生まれて来る理由と死ぬ理由は、対になっています。
ですから、死ぬ理由を考えなければ、いのちの理由が分かりません。