諏訪信仰を探る第2弾。
まずは信濃全体について、
弥生後期から~古墳の発生期を分類する。
古墳や副葬品の理解は、専門的で難しいなぁ。
弥生後期の信濃は
北信→箱清水式文化。(長野市箱清水遺跡)
千曲川流域の水稲農耕
南信→中島式文化。(飯田市の中島遺跡)
諏訪湖から発する天竜川の伊那谷
段丘上に陸耕的。って、、
・・・段段畑とか、焼畑ってことかな。
諏訪は南と北のまん中。長野のヘソだ。
で、諏訪に限って古墳を分類すると、、
私には難しいので、特徴的なのだけメモる。
第一期→フネ古墳は副葬品が特異。
(諏訪市湖南の守屋山麓・5世紀前半)
*信濃では他に見られない蛇行剣
*舶来品らしい珍しい素環頭大刀
*古式で呪術性の高い、鹿角装剣など。
*反大和的な色彩が濃い。
◆風と雨の神である守屋山を祀る、在地民族
守矢氏が、呪術力で諏訪を支配した。
第二期→小丸山古墳など。(6~7世紀)
*朝鮮からもたらされた新葬法である、
横穴式石室が出現。
*副葬品は呪術から実用へ。
◆畿内勢力の進入が伺える。
第三期→諏訪唯一の前方後円墳出現。(7世紀)
*在来勢力のある湖南・守屋山麓を避け
反対の湖北に位置する。
*青塚古墳はかつての下社秋宮の場所で
諏訪神社下社を主導する、
のちの金刺大祝の系譜であろう。
第四期→石槨の無くなった無石槨墓(8世紀)
第五期→火葬墳墓出現(9世紀)
えーっ?!と思ったのは、
上社と下社が敵対関係!ということ。
諏訪湖南に古くからある上社(前宮)は、
呪術力を持つ守矢氏が守屋山麓を占拠し、
守屋山の風と雨の神を祀り、
土地神であるミシャグジも奉祭して
古代諏訪の「クニ」を統一したことを示す。
出雲から来た大祝神氏を受入れた後も
祭祀の実権は守矢氏が握り、
上社は大和勢力から独立を保っていた。
この守矢氏に対し、古墳第三期辺りから
湖北周辺に金刺大祝の系譜が跋扈し始め、
下社成立の有力な経緯として浮上するのは
なんと、壬申の乱!
不破の関を固める天武天皇勢力が、迅速に
集まったのは、太安万侶の父である多氏と、
その同族・金刺氏の功労が大きかったという。
信頼を得た金刺氏は、諏訪の上社勢力を
懐柔するべく、下社の主祭者として現れる。
(左)上社前宮(中)神長守矢氏屋敷(右)上社本宮
そしてなんと!
中世には上社と下社が一大抗争の時期を迎え
1518年、下社大祝金刺昌春が討ち取られ、
金刺氏は滅亡してしまう。
上社付近の大熊城に昌春の首を晒したとか・・
上社と下社って、一連だと思ってた。。
でも諏訪上下は、成立が全然違うのだ。怖~
で、再び諏訪信仰の根源的な問題に戻るん
だけどね、、、色んな信仰がくっついて
どれが先やら、一緒やらわからない~(--;)
●全国にあり、諏訪でも有名な「竜蛇信仰」は
蛇の冬眠→脱皮の、再生パワーリスペクト。
●日本民族が古来から持つ「タマ」の信仰。
宇宙間の万物はみな霊魂を持ち、あらゆる
時物は霊魂の作用で生長発展するから、
→冬はタマが「殖ゆ」。大祝は御室(みむろ)で
厳格に物忌し(冬眠)、春にはタマが更新する
新玉(あらたま)。(脱皮) →蛇パワーと合体。
●天白神の難易度が高い!
・麻の種を植え導いた神と言われ、
・星を祭り・天狗を使いとし・水に関係がある。
・麻績神社は建御名方の妻八坂刀神の実家。
・「諏訪の二十八天白」という言葉がある。
・各地に天白社、「大天白」と呼ばれる家も有。
・おしら様と関係がある、という説もある。
・鈴鹿を越えて西には存在しない。
・祟りが強烈なのが特徴。死人も続出。。(*_*)
とにかく謎だらけ、、だという。
したデータもたくさんあるのだ。
古部族研究会の野中さんは、信州南端の
遠山地方で行われる、「霜月まつり」で
天伯神を見る。一晩中行われる祭りの
最後に登場する天伯神は、真っ赤な天狗を
さらにグロテスクにした迫力。
続いて、坂部の冬まつりを見た野中さんは
クライマックスの「たいきり面」で、
同じく真っ赤な天狗の踊る所作がまるで
「焼畠農業をする人間」であることに気づき、
思わず息を飲んだ、という。
水稲以前の焼畠農業は、
きっと縄文時代から行われていたはずで、
火の粉で顔を真っ赤にして、
耕地を作ったかつての山人は、
土地を追われて天狗とされ、
同じく古い水の民は、河童になったのでは・・
なんて思えるわけで、、、となると
まじで天狗と河童は我ら祖先の姿かも。。
見る目を改めよう。
「立派な社殿に神はいない」・・と言う。
古い神様はそこらの野山や、辻の祠に
きっと、ずっーと、いるのだろう。