古墳探訪記

古墳探訪記

関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

3月24日に訪れた奈良県桜井市の纒向古墳群、続きですニコニコ

 

見た順番ではなく、築造が古い順でアップしてきます。

 

昨日は纒向石塚古墳を取り上げましたが、今日は纒向矢塚古墳ですウインク

 

↑(纒向)矢塚古墳、北側よりカメラ

左側が「後円」部、右側が「前方」部の前方後円墳。

場所はこちら: 34.546201, 135.833843

 

 

 

↑(纒向)矢塚古墳の解説板(弥生時代の墳丘墓扱いの解説板)

全長93メートルの前方後円形の墳丘をもつ大型墳墓。発掘調査により後円部は南北約56メートル、東西約64メートルとやや東西に長い形態であることが判明しました。周濠状遺構より出土した土器などから、定型化した前方後円墳が出現する以前の3世紀中頃の築造と考えられています。

 後円部径と前方部長の比率が2:1となる「纒向型前方後円墳」の一例であり、纒向石塚古墳とともに前方後円墳の出現を考える上で重要な墳墓であるといえるでしょう。

 

 

 

↑纒向矢塚古墳、南側の様子カメラ

 

 

 

↑左奥には明日アップする纒向勝山古墳、右に纒向矢塚古墳。

 

 

 

 

オマケ・・・・

↑すぐ隣にある纒向小学校。この小学校の敷地内から弥生時代終末期~古墳時代の水路(幅約5メートル、深さ約1メートル)が見つかっています。その小学校にある築山、前方後円墳状ですね爆  笑

3月24日に訪れた奈良県桜井市の古墳ですウインク

 

今日からいよいよ纒向(まきむく)古墳群をアップしていきますおねがい

 

邪馬台国の大和説を主張する人々の根拠となるのが纒向古墳群。

 

日本各地にある前方後円墳の原形が、この纒向古墳群から始まったと唱える方はとても多いですびっくり

 

↑国土地理院の航空写真(赤い文字はふっき~が加筆)

地理院地図 / GSI Maps|国土地理院

 

 

纒向小学校の東側にあるのが纒向石塚古墳です。

↑纒向石塚古墳、北側よりカメラ

調査によって見つかった土器から、3世紀初頃・3世紀前半・3世紀中頃と築造時期は3説あります。

墳長約96メートル、「後円」部径64メートル、「くびれ部」幅15〜16メートル、「前方」部長さ2メートル。周濠は「後円」部側で幅約20メートルの規模。「前方」部前面では幅5メートルの規模。

周濠内部からは土器、鋤、鍬、横槌などの農具。鶏形木製品・弧文円板・建築部材などの木製品が出土。

 

 

 

↑纒向石塚古墳の解説板

こちらは弥生時代終末期の「墳丘墓」と古墳時代初期の「古墳」、両説を併記しています。

 

のちの前方後円墳の原形となるような存在であるとの指摘は多いです。

 

 

↑徳島県の萩原2号墳は3世紀初頃築造・・。

萩原2号墳も前方後円墳の元になった古墳と言われていますキョロキョロ

 

 

 

2018年3月のブログで触れた奈良県橿原市の瀬田遺跡で見つかった2世紀中頃の円形周溝墓は台形の陸橋付き。こちらも前方後円墳の原形のような印象を受けます。

 

 

 

↑纒向石塚古墳、「前方」部から「後円」部方向

「前方」部はほぼ喪失。「後円」部も戦争中の高射砲陣地造営のため、大きく変形を受けています。

 

 

 

↑南側よりカメラ

奈良県墳活一人旅三日目、3月24日に訪れた古墳を今日からアップしていきますニコニコ

 

↑国土地理院地図より(赤い文字はふっき~が加筆)

地理院地図 / GSI Maps|国土地理院

 

訪れてみたいのは当然、纒向古墳群ですが、まずは小さな古墳から先に行ってみました。

 

 

朝イチ、6時50分に到着したのは桜井市大豆越(まめごし)にある二反田古墳。

↑二反田古墳、南西側よりカメラ

遺跡番号11D-0474 一辺約15メートルの方墳。

場所はこちら: 34.550508, 135.832154

 

 

↑二反田古墳、北東側より

 

 

 

 

 

↓二反田古墳のすぐ近くですが、こちらは天理市になります。

↑四丁田古墳、北東側より

遺跡番号11D-0013 方墳?

場所はこちら: 34.550137, 135.831443

 

 

↑四丁田古墳、東側より

前方後円墳という可能性もありそうな現状です。

 

明日からいよいよ纒向古墳群ですウインク