今やビジネス会のアイドルといえば孫正義。
でも、昔は何と言っても「邱永漢」!
しょっちゅう名前を耳にしたなぁ。



何の人かと思ったら、「金儲けの神様」と
呼ばれる実業家、経営コンサルタント、
著作もたーくさんあり、自らの亡命体験を
綴った「香港」は直木賞も受賞したそうだ。
文学者的なイメージは全然無いけどね。
株の本ならわかるけど。。



最近名前を聞かない、、と思ったら
2012年に亡くなったそう。 88才。








孫さんは韓国系で、日本生まれの日本人。
邱永漢さんは台湾生まれ、父は中国人で
お母さんは日本人、久留米の人なんだって。
本が書かれたのは20年も前、
ネットは無いけど、バブルの時代!



戦中に日本に留学して東大を卒業し、
戦後台湾に帰るけど、蒋介石政権下の
独立運動で逮捕状が出て、香港に亡命した。
で、香港で大金持ちになる!






中国は、毛沢東の死後、華国鋒を経て
鄧小平で大きく進歩したんだなぁ。偉い!
経済特区により、みるみる経済発展。
「先に金持ちになる人がいて良い」=先富論
1年に三万人もの留学生を海外に派遣。
中国改革解放路線。やるなー。


1979年、鄧小平とカーター大統領





邱永漢さんの持論では、人々が宗教や、
主義思想に走るのは貧しいからで、
人間はある程度の所得水準に達すると
主義主張はどうでもよくなる、という。



24年間香港と日本で暮らし、邱さんが台湾に
戻った頃、国民党政府はまだ朝から晩まで
三民主義三民主義で、耳タコだったのに、
高度成長が始まるや、人々は金儲けに熱中し
大陸反攻のスローガンも、
孫文、蒋介石の肖像も掲げなくなる。



中国でも食堂で「小姐(お嬢さん)」と呼んだら
「小姐でなく、同志です」と怒られたけど、
今はそんな人いないし、共産主義の話
なんか誰もしてないよ、と。


「経済発展は、思想をゴミとして掃き去る箒」

ちなみに邱さんはそのラインを、一人当り
GNP1500ドル(当時)と計算している。さすが。









領土問題も、邱さんに言わせれば
余計な辺境の土地は利益を生むどころか
負担になるばかり、いつまでも過去の所有を
主張してないで、さっさと放棄すれば良い。
本当に過去を遡れば、全部原住民の土地だよ
と。   (-.-)y-~


「富の源泉は良質な労働力である」と
自ら証明した、日本のような先進国でさえ
尖閣・千島に未だ、目の色変えて固執する。


ましてや農業国で、土地最優先の中国、
さらに一歩も譲りはしないだろう。。しかし
もうノスタルジーは絶ち切るべきだ。
地下資源が見つかれば、共同開発すれば良い
だろ、、と。ドライに割りきっちゃう。






中国は戦後の毛沢東時代の「竹のカーテン」
のせいで、随分遅れちゃったんだなぁ。

中国で「人権」とはメシが食える権利のことだ
・・・って。今はどんな感じなのかな。


言論の自由が無かったり、人権が無視される
のは「中国の伝統」であって、
もともと無いものを欧米人にせっつかれても
無い物ねだりなのだ、と邱さんは言う。
でも、今や世界の超大国だもんね。
衣食足りて礼節を知る。






蒋介石の息子・蒋経国と鄧小平は
モスクワ中山大学の同窓生





台湾でも、蒋介石の時代は、政府を批判
したら銃殺だった。
でも息子の蒋経国が多党化や言論の自由を
推進、50年間の日本支配の経験もあって、
飛躍的に発展した。180度変わったんだ。



台湾は小さなモデルだけど、同じ中国人、
トップが入れ替わるだけで、大陸にも台湾の
ような進化が起きないとも限らない。
と、邱さんは期待する。

将経国の後継、李登輝総統と邱永漢は
高校のクラスメイト






さらに不確認情報だけど・・としながら
鄧小平が中国の統一のため、中華人民共和国
という呼称をやめ、国旗も変えようか?と
台湾に打診した・・って話も聞いたそうで。
うわ、大ニュース!?



でも鄧小平にできなければ、その後の指導者
には到底無理、束の間の夢だったなぁ、、と
邱さんは、とても残念がっていた。f(^^;





現在の中国は
◆22省の行政区
◆5自治区(新疆ウイグル・内モンゴル・
    寧夏回族・チベット・広西チワン族)
◆4直轄市(北京・天津・上海・重慶)
◆2特別行政区(香港・マカオ)

台湾(中華民国)の権利も主張。現状維持。
 


竹のカーテン・1959。鉄のカーテンから造語
赤が共産主義、青が反共産主義



ちなみに、鉄のカーテンは
冷戦時代のヨーロッパ、東西両陣営


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毛沢東と周恩来、人生丸かぶりなんだね。


毛沢東が5才年上。
1926年の第一次国共合作(国民党&共産党)
の頃から、共に共産党内で頭角を現し
以来半世紀、ほぼ常に一緒、でも常に敵対
・・・というか、、微妙かつ不思議な関係。


1976年、周恩来が77才で亡くなると、
その半年後に、毛沢東も世を去った。






蒋介石との国共内戦を戦った若き日、
最初は周恩来が上司だった。。でも
万事に控え目で、調整役に回る周恩来に対し
毛沢東は攻撃的反逆的な、超カリスマ
皇帝タイブで、いつしか地位は逆転。
周は毛という地球の周りを回る、月になった。


共に長征(国民党に追われ脱出・転戦)の
指導者だった二人。





この本が書かれたのは2003年。

原題は『晩年周恩来』。  ニューヨークで
出版されて大きな話題となったけど、
中国共産党は、すぐ国内販売を禁止した。


文中には毛沢東の主治医・李志綏による
『毛沢東の私生活』からの抜粋も多く、
この作者も、中国共産党の中央直属機関で
党の歴史編纂に携わった、内部の人。


「文革史」と「周恩来研究」が専門だったけど
1989年の第二次天安門事件(六四天安門事件)
で衝撃を受けて共産党と決別、
アメリカに亡命したそうだ。


周は若い時日本に留学した。神保町の石碑。






この本では、毛周関係を理解するために
内戦時代からの二人の軋轢、地位の逆転、
二人の性格など解説されてて、貴重。


周恩来は、本当に「良い人」なんだなぁ。
そして聡明で気遣いがあり、謙虚で真面目で
緻密で意志も強い。リアル偉人。賢人。





毛沢東の側近で、一度も失脚せず、
政治生命を全うしたのは周恩来ただ一人。


毛沢東の主治医李博士は、周恩来が
毛沢東の面前、床に広げた地図に膝をつき
這い回って説明する姿に、一国の首相が・・と
目のやり場に困ったそうだけど、
この辺が周恩来にしかできない妙技なんだ~


1970年「ピンポン外交」。翌年には
キッシンジャーが「病気」と称して秘密訪中。
報道後は「ニクソンショック」で全世界震撼





あらんかぎりの忠誠心を見せつける。
自ら進んで積極的に自己批判し、へり下る。
ことで、つけ入る口実を与えない!


しかも人望、実績はあるわけで、
さすがの毛沢東も手が下せない。のだよ。
人呼んで太極軟功。太極拳的かわし技!だー



1972年2月ニクソン訪中が実現。
「周恩来外交」は世界の称賛を浴びた。







鄧小平との関係も興味深い。
毛沢東は文革で鄧小平を追放したけど、
元々お気に入りなので、周恩来排斥のカード
として復帰させる。


ところが、周恩来と鄧小平は共に常識人。
政治的にも共感があり、手を組んだ!

周恩来は死の間際まで、鄧小平を後継に、、
と推薦したけど、チト直情径行の鄧小平は
江青とやり合い、不信を買い、また追放・・・
復帰して活躍するのは、毛沢東の死後になる。


鄧小平は2回追放された。






鄧小平は後に、「もし総理がいなかったら
文革の状況はさらに悪くなっただろう。
しかし、もし総理がいなかったら、文革は
こんなに長引かなかった。」と言った。


確かに、文革に反対する元老は沢山いたし
人望もある周恩来が、もっと敢然と毛沢東に
立ち向かっていれば、、と思うけど、
そこは毛沢東怪獣の底知れぬ恐ろしさか・・?


1972年日中国交正常化。「侵略」の文字を
外す譲歩も。いつも相手の立場を思いやる!





毛沢東と周恩来。
この二人の濃すぎる関係は、一体・・・


毛沢東が一番恐れ、憎み、攻撃した周恩来。
なのに一番必要で、頼りにしたのも周恩来。
周恩来は毛沢東の最大の被害者でありながら
誰よりも毛沢東を理解していた。
そして本当に崇拝していた、、ようにも
思えるのだ。ここが一番不思議なところ。。


1966年、建国17周年天安門広場で紅衛兵に
加わる、毛沢東主席と周恩来総理。






毛沢東は周恩来の初期癌を知りながら
手術の許可を出さず、放射線治療もさせず、
、、そんなにも憎かったのか。。


周恩来が死ぬと、民衆は一家総出で続々と
天安門広場に集まり、嘆き悲しんだという。
皆は周首相が敬愛すべき、人民の味方だと
知っていたんだ。

1976年1月8日、77才で死去。




さらに「周を悼み、鄧を援護し、江を討ち、
毛に当て付ける」という運動が巻き起こり、
これを弾圧したのが第一次天安門事件。
(四五天安門事件1976・4・5)
毛沢東はショックだった。嫉妬した。
四面楚歌の中、9月9日死去。


天安門広場は毛沢東批判になった。




結局、生涯をかけた死闘の末、
周恩来は毛沢東に、、勝ったなぁ。

あの世にも恐ろしい猛獣の足下を
見栄も名誉もかなぐり捨て、這いずり回り、
服従し続け、ボロボロになって。
でも死んだ後、勝ったのは周恩来だなぁ。
結局は勝ったんだなぁ。。辛かったなぁ...
と思うと、、涙がぐっと溢れてくる。






田中角栄と、親日家・周恩来。









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毛沢東の主治医を22年間務め、
その死まで常に傍らに付き添った、李博士。



アメリカに移住し、毛沢東の死後20年を経て
この本を出版し、3ヶ月後に自宅浴槽で
遺体となって発見される。死因は心臓発作・・
・・・なんて、説明書き見たら、読むでしょ!






「私生活」の赤裸々もさることながら、
「毛沢東」の強烈さに、ただただア然。
「中国」とは、なんという国なのでしょう。。
衝撃的すぎて、気分悪くなった。。

1957年モスクワ。フルシチョフに招かれ
建国40周年祝に同行した。左に李博士。





昔、「毛沢東語録」っていう小さな赤い本が
流行ってた。自然、中国の偉大な指導者?
って思ってた。けど、毛沢東時代には


「大躍進」なる政策の失敗で餓死者2215万人、
「反革命分子」とされた処刑が87万3000人、
「文化大革命」での処刑が13万5000人、さらに
172万8000人が「異常な死」を遂げた・・という。


「中国には人が多い。千人二千人死んでも
たいしたことない。」     李博士によれば、
これがリアル毛沢東語録。


「この世で毛沢東を止められる物は何もない」
これは、李博士の言葉。

1954年、主席邸の前で。毛沢東は水泳大好き
プール大好き、毛沢東を示す隠語も「プール」







日本の高度経済成長の時期。
私が子供の頃ですよ。つい最近ですよ。φ(..)
でも、この本の毛沢東は千年も前の
唐代の皇帝を見るようだ。古代人ですよ。


西洋式を嫌い、諸外国の大使引見にも孫文の
「中山服」しか着ず、以後これが「毛沢東服」
として正装となった。
この時、国際的な西洋儀礼形式を進言した
儀典長は解雇され、のち自殺する。。

1956年嵐の長江(揚子江)で泳ぐ!と言い張る
主席に、李博士たちも死ぬ思いで付き合わさ
れる。以後、何度も川を泳がされた博士達。







15年でイギリスに追い付こう!という
不可能な「大躍進」の馬鹿馬鹿しさ。


近代化には鉄を生産だ!と、「裏庭煉鋼炉」
なるものが強制され、法外な目標の為に
男達は総動員で、鍋・鋤・門扉、何でも溶かし
民家には家財も料理道具も無くなった。


鉄の精製には大規模な製鉄所が必要だって
誰も知らなかったんだ。
その間、畑は放置され大飢饉となる。。
とても近代の出来事とは思えない。


1958年夏「大躍進」の頃の李博士と毛沢東





そんな状況でも、視察列車の周辺には実った
稲が植えられ、若い農娘が赤い服で手を降り
毛沢東を喜ばせる「大成功」が演出された。
北朝鮮みたい。

毛主席専用列車。写真は1969年天津に停車中
右端に李博士。







そして「文化大革命」とは、毛沢東を批判した
第8回大会の決定事項を覆し、
新首席の劉少奇や、鄧小平を追放するべく、
13年越しで練られた大報復だった!(*_*)



現職の国家首席である劉少奇夫妻を、
下級スタッフ達が取り囲み、ひきづり回し、
殴る蹴るの暴行。信じ難い、、気味悪い。。

1965年5月、文革目前、井崗山で民衆の歓迎
を受ける。毛沢東の右後ろに李博士。






この時の、ブルジョアジーと労働者の
「階級闘争」を煽るってやり方は、
則天武后が出自の低い官僚を焚き付けて
貴族の関隴集団を排除した方法と同じだなぁ


毛沢東はいつも史書を読んでいて、
紂王、始皇帝、煬帝、則天武后がお気に入り
っていうけど・・やることなすこと古代皇帝。
しかも全部ヤバい系。

1967年12月26日、毛沢東74才の誕生日
屋内プール側でスタッフ達と。右隣李博士。





1964年の「毛沢東語録」に並行する
「個人崇拝」もまた不気味。

人民は毛沢東思想を学び、歓喜する。
毛沢東から工場に贈られたマンゴー1個を
永久保存の為ワックスし、奉り、皆が拝む。
でも消毒を忘れて腐った!・・・すると巨大な
鍋で茹で、聖なる「ゆで汁」を一匙ずつ飲む。。
1968年、昭和43年。クレージー。

1966年11月、ジープに乗って紅衛兵を観閲
毛沢東の右に座る李博士。





李博士は毛沢東の妻、江青の機嫌取りを
しなかったので憎まれ、これまたクレージー
極まりない攻撃を受け続ける。
「私を毒殺しようとした!」
「注射で苦痛を強いた!」  ・・・完全異常性格。



この本、私は~思った。。と李博士の一人称で
リアルに感情が描かれる為、
ヒジョーに読みやすく、江青に対する
博士の嫌悪感もダイレクトに伝わる。
吐き気がするほどに。

晩年の毛沢東の言葉は、張玉鳳しか理解でき
なかった。この女性がまた、大問題で。。






中国って怖い。陰湿、意地悪、自分勝手、
意味わからない。理解できない。


◆知識階級、ブルジョアは貧しい労働者に
学び、思想改造せよ。自己批判せよ。

◆誰でも「反革命分子」に仕立てる魔女狩り。

◆父親が罪とされれば子供にもレッテルを
はり、何世代も犯罪者の烙印は永続する。


中国がいつまでも戦時の日本を、執拗に非難
し続けるのは、こういう習慣からだろか。。
だとしたらエンドレスだ。ほんと怖い。


1958年貯水池建設現場で自ら作業してみせる
「貧しい労働者に学べ」  李博士や政府高官も
数ヵ月の「労働」に送られた。



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中国読書の最中ですが、急遽インドへワープ
~~だって、あまりにも面白すぎて!



「魔法」というとおり、その計算メカニズムが
全くわからない!
わからないけど、超簡単に計算できる!


なんで?なんで??
と言いながら、スイスイ練習問題に正解する
自分にびっくり。
インド人もびっくり。あ、この諺は死語か。




因数分解で早くも挫折した、超数弱の私。
でもね、
超カンタンだから、どんどんデキちゃうの。


基本的には
1を足したり、引いたり
2×5  25×4とかで10100を作って
式を簡単にする。簡単になっちゃうんだ~


「インド人もびっくり」っていつも言ってた・・1964年発売




で、簡単にする以外に、全く理解不能な
「計算式にあてはめる」系。信じられナーイ。




たとえば十の段の九九。

13×12を計算する私は、
なぜか13に、12の2を足して
解答欄に15と書き、
次に何故か13の3と12の2をかけて
解答欄の15に続けて6と記入。
つまり答えは156

意味ワカラナーイ。でも答え合ってるー。


9世紀。「インドの数の計算法」





もっと気持ちいいのが、100に近いかけ算。

97×95を見れば、
97はあと3で100、95はあと5で100
と、すぐわかる。

そこでおもむろに私は、
100から3と5を引いて
早くも解答欄に92と書き込む。
そして何を思ったかその3と5をかけて
解答欄の9215をくっつける。
答えは9215。これでいーのだー。


91×94も、93×96も、98×92
下書き計算なしで、ホイホイできる!
答え合ってる!!
夜中に一人で、だぁーはっはっ!って
チョイ大きめに笑っちゃうのも当然でしょ?







こういう信じられない、「魔法」パターン
がいくつもあって、ドリルの練習問題は
サクサクできる。ただ問題は、実際突然に
43×56は?   とかフラれた場合、
どのパターンを当てはめるか、迷う!

そして、「魔法の計算式」自体があまりに
荒唐無稽なので、すぐ忘れてる!



てことで、実生活に使うには、
なかなかの練習と訓練・・・新しい言語を
ひとつ覚えるような、根気が必要みたい。



夜な夜なコレやって、笑う。だーはっは。





とはいえ、私すでに、
千円、五千円、一万円からのお釣り暗算は
パーペキにマスター致しました!

10000-4582円は・・・・
ハイ、頭から。
9から引く!
9から引く!
9から引く!
10から引く!
つまり5・4・1・8円。   ご名算!

どうも。キャリア・ウーマンです!



「中国と台湾を支配した独裁者の虚像と実像」
てことで。


「蒋介石神話」なるものは日本にもあって、
いわく「天皇制を護持してくれた」
「対日賠償請求権を放棄してくれた」とか。



私も初耳だし、これらの虚偽は既に明らかな
ようだけど、この手の「造神活動」は、
蒋介石父子が40年間君臨した台湾で多く、
著書の「中国之命運」は高校生必読の書だし、


「革命の為敢然と辮髪を切り」日本留学した?
軍人のエリート「陸軍士官学校」を卒業した?
とか、神格化の為の嘘は沢山あるそうで。








辛亥革命後の中国って、本当に
めちゃめちゃだったんだなぁ。。
孫文政権は3か月もたず、袁世凱に譲り
その後も、広東政府を三度樹立して、
三度とも内紛で崩壊したという。



孫文死後は、国民政府三派の内紛、
張作霖勢力の北伐、中国共産党との抗争、
監禁!暗殺!戦争! 暗殺!暗殺!
武漢、南京、北京、重慶など各勢力が勝手に
政権を立てる、、正に仁義なき戦いですよ。

権力を掌握した頃。1926年



「中国というのは軍事力で全てを決する」

「中国は武力がないとやっていけない社会」

という事が、この本には何度も書いてあって
「銃口から政権は生まれる」
「馬上天下をとる」   というように、

中国人にとって、暗殺は革命の為の最も
有効な手段。
蒋介石も、何人も暗殺し、監禁し、粛清し、
謀略の限りを尽くして地位を築いたし、


孫文だって「支那暗殺団」を持つテロリスト、
ペテン師で口八丁のほら吹き、とこの本では
ミソミソに口撃されている。事実らしい・・
けど、全員そんなんだからそーなんだろう。



中国は人間不信の社会であり、だからこそ
すぐに義兄弟の契りを結んだりするのかなぁ


四人目の妻宋美齢は、孫文の妻の妹なのだ。






蒋介石は辛亥革命当時、まだ25才で
青年軍人実習生として日本にいたんだけど、
孫文配下に馳せ参じ、上層部が度重なる内紛
で消えていくにつれ、存在感を増していく。


実際は陸軍士官学校に入学せず、
新潟の第13師団高田連隊の実習生。
孫文の変名「中山」に倣い、「中正」と称する。







蒋介石はスターリンにも期待されていた。

自前の革命軍隊を造るため、孫文がソ連に
抱きつき、金、人、全て提供をしてもらった
「黄埔軍官学校」で、蒋介石は校長となり、

中国国民党と中国共産党の「国共合作」
というのが、始まるんだなー。

黄埔軍官学校の入学式。
中央が孫文で、後ろに蒋介石。







しかし、その後蒋介石は共産党排除に転じ
40万50万300万人?とも言われる血の粛清!
(上海クーデターor  四・一二事件、1927)



さらに「中原大戦」という国民党内の内戦
は、天下分け目の大決戦。(1930)


全ての派閥総動員で激戦7ヶ月、死傷者30万。結果、張学良の寝返りで勝敗が決し、
蒋介石が天下人になる・・ってまるで関が原。

蒋介石夫妻(右)と張学良夫妻(左)
張学良は国民党ナンバー2だったけど、1936
西安事変以降、半世紀も軟禁されたのだ。。







第二次世界大戦後には、4年間の国共内戦!
で、毛沢東に敗北した訳ね。。。ちなみに
毛沢東は5才年下、全く同じ時代を生きた
違うタイプの英雄だったんだなぁ。

1945年には、終戦の祝杯を毛沢東と。。






台湾に逃れ亡命政府を樹立すると、88才で
死ぬまで終身総統として君臨する、、
でも、台湾の土にはならん、、と棺は地面
から3尺浮かせてある、、とか。



多元的文化で多民族、多言語。
中国では、誰かが絶対的権力を持って
独断専行しないと、統一なんて不可能だと。

中国五千年の文化伝統では選挙などできる
ものではない、問答無用に腕っぷしの
強いのが勝ちなのだと。。ハゲしいわぁ。


ちなみに蒋介石はハゲではなく、短髪なだけ
なのに、台湾の教育関係者がいらぬおべっか
で、中学生を丸坊主頭に規定した。
これを聞いた蒋介石が、「私はハゲでも坊主
でもない。丸坊主強制はダメ」と、関係者を
叱った「中正頭事件」。これだけ笑えたよね。



●張作霖 @白雲荘主人

テーマ:
張作霖爆殺事件は昭和3年、中華民国17年の
出来事で、(1928)   満州の指導者であり、
中華民国大元帥を称していた張作霖を
日本の関東軍が暗殺した、、と。



満州の支配を巡り、張作霖はロシアと敵対、
日本とは協力関係だった。なのに何故?
というと、蒋介石の国民政府軍の仕業・・と
思わせる計画だったと。



後に真相を知った、息子の張学良は怒って
蒋介石の元に走ることになるんだけど、、



当時、孫文・袁世凱は既に亡く、
奉天軍閥の張作霖、蒋介石の国民政府、
毛沢東の中国共産党が、めちゃめちゃ複雑な
争いをしているようです。。






この本は、事件直後の昭和3年に書かれ
「一代の梟雄、近世東洋の風雲児」である
張作霖の死を悼み、好意と尊敬をもって
その人となりを紹介している。



作者の白雲荘主人というのは誰なのか、
いかにもペンネームだし、リアルタイムで
生きてる人達もいる訳で、、事情もあってか
抽象的な表現が多く、ちと解りづらい・・・
けど、張作霖は日本の浅漬けが大好きだ、
というから、非常に近い人物なんだろう。


張作霖爆殺事件。首謀者は関東軍河本大作。
らしい。けど、終戦まで詳細は伏せられ
「満州某重大事件」なる名前で呼ばれた。怪!







とにかく文章が高尚なのと、後半の政争が
複雑すぎて、基礎知識無しの頭は???。。
けど、張作霖さんの生いたちや、
なかなかのナイスガイであった!と言いたい
のは、よく伝わったのだ。



張作霖は奉天に産まれた漢人だけど、
祖父の代から流人として満州に逃れた貧しい
育ちで、青年期は馬賊の頭目・・というから
ヤクザか泥棒団の親分みたいな感じ。


1910年代。中央が張作霖。





それが資産家の娘を堂々と貰いに行って
妻とし、嫁の実家の財産を上手く使って
地位を築き、認められて、遂には清国政府の
地方自治を担う官兵になったんだ。



清末期の乱れた世とはいえ、金には綺麗、
大胆で人気もあり、たいへん魅力的な人物で
日本の捕虜になった時、児玉源太郎さんも
見所あり、と命を助けてあげたとか。




一般的には織田信長に似てる、、と評される
そうだけど、作者はプラス秀吉の可愛げ、
智謀も兼ね備えていた、そして、外見は
お姫様みたいだった、と。ほんとかいな。







張作霖の目指すところは、支那による
満州自治を取り戻すこと。
ロシアの傍若無人な侵入ぶりや、袁世凱やら
他の派閥との抗争、日本の介入、、




なんだかとっても複雑なのに、この本初心者
には難しい。。事情を解ってからもう一度
読んだらわかるかなー
わっかんないだろーなー。  (´▽`;)ゞ
ま、そゆこともあるやね。

奉天軍閥の旗。中国東北部で満州を支配。




中国のどの時代の本を読んでも、ドラマを
観ても、必ず皇帝の側には宦官がいる。
当たり前のようにいるんだけど、、
いやこれって、相当不思議でしょ。



制度上、宦官が消滅したのは、辛亥革命で
中華民国ができた後の、1912年。
でも、その後もラストエンペラー溥儀の元
には百人ほどの宦官がいたし、
1964年の全国政治協商会議には、清末の宦官
20人が参加したという。ほんの50年前~!







じゃあ、いつから宦官がいたかというと、
これがまた古くて!紀元前13世紀頃の商王朝(殷)には既に記録があるし、続く周の時代
には完全に制度として確立していたそうだ。



以後、19世紀の清まで一度も途切れること
なく、宦官は宮中に存在し続け、
時に皇帝を弑逆し、政権を簒奪し、ほぼ
良い事なし、悪事の限りを尽くしまくる・・・

悪名高き趙高。始皇帝の遺言を書き換え、
二代目の胡亥を籠絡、挙げ句殺した。







最初は異民族を「奴隷」として使うために
切除した「閹人」として「製造」されていたのが
死刑を一等免じた「刑罰」として採用される。



「宮刑」という名は、この刑のみ風が入らない
室内で手術が行われたから。排尿がしづらく
なって、臭うので「腐刑」ともいわれる。。



宦官は人間以下の奴隷であり、家族を持てず
外部との接触も一切禁じられる。
使い物にならなくなれば、寺で朽ち果てる
まで捨て置かれるのみ。なのだ。。。

「蒼穹の昴」より。引退した宦官の末路。





そんな悲惨な存在なのに、
なぜ宦官が無くならないか、というと
必要だったからで、主な理由は「後宮三千人」
なる皇帝の女性関係にある。



三千どころか、数万人の女性が皇帝の寵愛の
為に控えていて、そのお世話をする宦官は
いくら補充しても足りないんだ。
どの王朝もずっとこの状態。なんてことだ。

「武則天」より。後宮に若い美女ずらずら。





そして、なぜ力をつけたかというと、
皇帝の側で寝食の世話をし、皇帝の為だけに
尽くし、身分も身寄りもない、人畜無害な
存在、という事が無条件に信頼されたから。



奴僕でしかなかった宦官を、皇帝への文書を
取り次ぐ尚書に取り立てたのは漢の武帝から。
男でも女でもない中人だから「中書」と言われ
重要な役割を果たすようになった。


「蒼穹の昴」宦官の師弟関係はチョー厳しい。







かくして皇帝の忠実な手先となり、国政を
専横する外戚勢力や、儒教的な官僚勢力と
死闘を繰り広げることになってゆく。



特に儒教では「子孫を残さないことは悪」
な訳で、宦官の存在そのものへの憎しみや
嫌悪は尋常でなく、正に宦官の天敵。


儒者は宦官を徹底的に見下げた。







宦官には道徳なし、向上心なし、勉学なし、
情も誠意もなし。あるのは連帯感と阿諛追従。
そういう人格になっちゃうんだって。


遂には皇帝をも自由に操るようになり、
特に漢、唐、明において宦官禍が酷かった。

死ぬまでに切除した「お宝」を買い戻さないと
雌のラバに生まれ変わる、と信じられた。






唐の衰退も宦官のせいだし、明の朱元璋は
宦官重用を禁じ、宰相も廃して皇帝独裁に
頑張ったけど、そのうち元の木阿弥に。。



清朝だけは、宦官の人数を減らし、
(といっても、9万人を9千人にしたっちゅう..)
役職も制限し、ようやく統制に成功した。
遅いけど、、満州族は偉かったー。

西太后の輿を運ぶ宦官。右が高名な李英蓮。






宦官は中国固有のものではなく、古代の
ペルシア、ギリシャ、ローマにもいたし、
インドにはそういう「閹人」が今でも十万人
いて、運賃を払わない特権があるとか。

イスラム諸国の宦官。





しかし!中国から何もかも輸入してきた
日本に宦官が無いのは、なぜでしょう?

この本は中国人夫婦の著作だからか、
その辺の検証がなくて残念で。。

本当に不思議だけど、本当に良かったー
ありがとう、昔の日本人。


19世紀後半の中国史はあらゆる事が
李鴻章と関わりがある、という。
もちろん名前は知ってる。けど名前だけ・・


これは日本人に共通した認識らしく、
諸葛孔明の伝記は、偉い歴史家達がこぞって
著すのに、李鴻章は戦後誰も書いてない。


どちらが直接日本人と関わり、大きな影響を
与えたかは火を見るより明らかです、
これでは実に困るのです、と作者の岡本さん。


江戸と明治を知らなければ、現代の日本が
解らないのと同じで、現代中国は清末を
知らないと理解できない。
つまりそれが「李鴻章」なのだと。







李鴻章の立ち位置はヒジョーに不思議で、
約50年間の西太后時代の外交、対フランス
ロシアイギリスアメリカ日本・・を一手に担い
ほぼ全ての条約を結ぶ。でも一地方官。



自前の軍隊「淮軍」と「北洋艦隊」を持ち、
これ清国最強なので、代表で戦争するんだ。
薩摩の島津斉彬が国を守ってる感じか?



いやいや、それ以上。どの国も
「李鴻章とじゃなきゃ話にならない」ってほど
で、清国で唯一近代的な視点を持つ存在。


1871年49才  フランスの教会と大事件、
「天津教案」を収め、名声が上がった頃。





一つ、大問題の条約があって、それが
●1871年の日清修好条規。


明治新政府が、開国の際の不平等条約を改正
するにあたり、一応清国とも西洋的な提携を
結んでおこう、というだけのもの。しかし
これが!李鴻章の外交手腕にしてやられる。



伊達宗城が李鴻章の原案をほぼ飲む形で
調印しちゃったガンが、「所属邦土」の不可侵。
清国の意図では朝鮮を指す。朝貢国=「属国」
とみなす中華理論を、日本は見抜けず
のちのち、大争点になる。

1872年50才  日清修好条規、江華島事件から
日本の台湾出兵、琉球処分・・・関係悪化の頃。






日本を軍事的な脅威とみるこの時期の政策
は、李鴻章の強い警戒感が基礎になった。
その思考の元は明代の倭寇、秀吉の朝鮮出兵
・・・って言われると、、まぁねえ。。


1878年56才。 朝鮮を巡り日本と対立の頃。





孫文いわく「日清戦争は日本と李鴻章の戦」。
一般清国民の大多数は、日本と戦争してる
ことすら、知らなかったという。



李鴻章は負けると解っていたので、開戦を
避けたかった。それを陸奥宗光が強引に戦争
に持ち込んだ、作戦勝ちなんだけど、、



その後直ぐ起きた三国干渉は、李鴻章の
差し金だ。ロシアに干渉を要請し、
全て承知の上で下関条約に調印したんだって。
知らなかったー。さすが百戦錬磨。つまり、
李鴻章は日露戦争の原因も作ったことになる。


しかも、その後の露清密約でシベリア鉄道
を認めた事が、満州事変、日中戦争の原因・・
となれば、、、日本人にとっての李鴻章、
確かに知らない、では済まされぬ。


1896年74才。棺桶持参で世界一周・露清密約





とはいえ一冊読み終え、その功罪を知った
李鴻章に、意外なほど不快感は無く。。


本当は改革派に劣らず、清国の近代化を
望んでいた。。。でも国の代表として、現況
の国益を最大限に守る事に徹する!という
政治家の矜恃、手腕には、感服してしまう。



1900年義和団事件の時78才。
北京の騒乱をよそに南方で平和外交を進めた
から、清国は全面的な破局を免れたそうだ。
これを「東南互保」という。

1900年78才。義和団事件。
翌年講和条約(北京議定書)を結び、死去。。






孫文たちには敵対視されちゃったけど、
実は官民一体の近代化を急速に進める日本に
畏敬の念を抱いていたし、
共に「東洋のビスマルク」と呼ばれた伊藤博文
とは好敵手として認め合う関係。
勝海舟も敵ながらあっぱれ、と称賛する、、


常勝将軍李鴻章。
唯一の失敗は露清密約。という識者が多い中、岡本さんは、いや、
日清戦争に持ち込まれてしまった事だろう、

もっと言えば、「日本を敵視したこと」だと。
この意味は大きいのかもしれない。



20世紀の中国を象徴する強烈な支配者、
といえば、孫文、蒋介石、毛沢東。
だけど19世紀代表は、西太后しかいない!
って訳で、それは気になる~読んでみる~



とにかく悪い女!のイメージだけど、
西太后の悪女伝説にはウソが多く、理解する
には注意が必要ですよ、と作者の加藤さん。
奥さまは中国の方。現代中国の歴史教育で
西太后は特A級の悪玉だそうだけど・・・







特徴は、「良くも悪くも女性的」ということ。

男勝り系悪女の則天武后や呂后とは違い、
西太后は政治のトップに君臨したい!って
ワケじゃなかったようで、、


頭は良く、度胸もあり、好悪も激しく、
威厳もあって、皆が恐れをなす。。
けど中身は、結構無邪気な乙女で、細やかな
可愛いおばさん。デヴィ夫人みたいやなー



西太后  (せいたいこう)





「西太后」というからには「東太后」がいて、
その人が咸豊帝の皇后だ。
西より東が上位であり、西太后はあくまで
2番の「妃」。生涯「皇后」より下だったけど、
次期同治帝の「生母」として皇太后となった。


咸豊帝の死後は、親族たちが共同で幼い新帝
を補佐してたんだ。
東・西太后が協力して叔父を排斥したことも
あったし(辛酉政変)、そのうち皆が死んで
自然と、西太后の独占になっちゃった。

東太后は控えめな人で、子もなかった。




西太后には理想の人がいて、三代乾隆帝の
生母である崇慶太后。
清国の栄華を極めた乾隆帝は、母を超大事に
し、贅沢三昧、旅行三昧の親孝行を尽くす。
60、70、80の誕生祝は豪華絢爛国家事業だ。

皇帝たる息子に大事にされ、皆にかしづかれ
至高の生活文化を満喫する、崇慶太后の再来。
これこそ西太后の「野望」だと。






事実、彼女は光緒帝に政権を譲った。
でも光緒帝は血気に逸って、改革の詔を連発
政治は混乱してしまう。挙げ句、西太后を
幽閉しようという、謀反まで発覚する。

西太后は怒った。逆に光緒帝を幽閉。1898
戊戌政変。西太后64才。悲しかっただろう。


短かった「百日維新」。ちなみに裏切って
謀反を密告したのは、袁世凱だ。


簾の陰から垂廉政治。
実の息子の同治帝は19才で死去、次の光緒帝
は妹の子供で、幼い頃から息子として育てた。







面白かったのは、義和団事件で北京から逃げ
ると、西安で贅沢三昧の暮らしをする。
実はこれこそ西太后の戦いで、度の過ぎた
贅沢ぶりを見た列強は、彼女をストロング
ウーマンとして認定、清の存続を勝ち得る。


「蒼穹の昴」  西太后役・田中裕子。とても良い。






さらに鉄道を整備し、お召し列車で漫遊しな
がら悠々北京に帰還する。その豪華絢爛さは
まるでお伽噺を見るようだった、とか。



「彼女は勝ったから凱旋したのではない。
凱旋したから勝ったのだ」


これが中国の論理。くえないなぁ。。
でも西太后は政治家として、やり手だった。
力量があった。それは確かなのだ。


清朝は家柄重視で皇后を選んだので、
みんな不細工だった。。西太后は美人の部類。






そして!   帰ってくるとすっかり洋風好きに
なり、あれほど弾圧した改革派の政策を
パクってどんどん実行しちゃう。。



もともと合理的な思考の持主。
便利で綺麗で良いものが好き。国が豊かで
安定すれば、政治の方法はどうでもいい。
則天武后も同じこと言ってたなぁ。
女は現実的なのだ。


スチームして、美顔ローラーも。コレほんと





「中国四千年」の真の意味は清朝に始まる、
という。中国人という意識、北京語、京劇、
満漢全席、軍閥、そして反日愛国運動や
領土問題までも。尖閣諸島の根拠だって
西太后手書きの文書(1893)にあるんだとか・・



そして明治維新をお手本に国体を変革しよう
という維新派も、日本を好意的に見ている訳
じゃなく、それどころかロシアよりフランス
より、何より日本憎し。
「反日愛国」のための改革論であるらしい。



伊藤博文役は平田満。維新派は伊藤を顧問に
招こうとしたので、西太后は激怒した。



義和団事件で活躍した柴五郎も登場。



浅田次郎原作(読んでない)、日中共同製作。
主題歌は浜崎あゆみ、日本語語り松平定知、
演者は殆ど中国人。面白かった!





西太后の死後、僅か3年で清朝は滅亡する。
どうせ今度もダメだろう、、という武装蜂起
があっさり成功し、瞬く間に瓦解したんだ。



小説じゃないけど、読みやすくって、
解りやすくて、とても勉強になりました(^^)



DREAM THEATER 、通称ドリムシ?
アメリカ出身、プログレッシブメタルバンド。
とっても変わってて、面白いんだ。


ノリがいい、イカしてる、元気になる、
盛り上がる、反抗する、発散する、、とか
でわなく!!


ひたすらに音楽性を追求し、超絶技巧で
テーマに沿った世界観を表現する職人集団。
これがまた、カッコいいんだよ。



今回は超ヒットした2枚目のアルバム
Images and Words発売25周年、てことで、
この至高の世界を完全再現する!と。
うひょー




私にとっては初ドリムシ、初外タレ。
チケット一万円しちゃうからさ、安い方に
したら、なんと最上段最後列!なぬー?
後で座席表みてビックリだ。こらあかん~



そして、途中休憩あり!のライブなんて
初めてだよ。2部構成。ほんと音楽会っす。
とにかく面白いこといっぱいなのよ。



まずドラム。マイク・マンジーニ
ちなみに写真は全て、BABYMETALも出演の
イギリスのメタルフェス、2014ソニスフィア
より。武道館、遠くて見えなかったからね。

この屋台みたいな、お店開けそうな中に籠り
恐ろしく沢山の色んなモノを叩きつづける。
これ、近くで見たかったよなー




それからキーボード。ジョーダン・ルーデス
この人かっこ良くてとても好き。
このキーボードセットは、くるくる回るのだ。全方位式。スゴいだろ。
途中前に出て、ギターみたいの弾いてたから
オペラグラスで覗いたら、ギター部分は
iPadみたいな画面だったよ。何でも弾くー




ギターはジョン・ペトルーシ。
コワモテで無表情に奏でる~。
バークリー音楽院の仲間で結成した
初期メンバーの一人。貫禄です。上手いです




ベース、ジョン・マイアング。初期メンバー。
この人がソロをとると、客席が異様に
盛り上がっていた。相当スゴいらしい。。




で、ボーカル、ジェイムズ・ラブリエ。

私は男のハイトーンボイス、苦手なので
ラブリエさんの男らしいテノール、とても
好きだけど、この日は高音が出ないのか
出さないのか、なんかおかしかったなぁ。。





でも何より面白かった、ラブリエの隠れ家?

写真のソニスフィアでも1時間で2曲しか
演らなかった・・って位、長い演奏パート中
ラブリエさんは何してるんだろ?
って、疑問だったんだけど・・・



この四角く積んだアンブの後ろに隠れる!
立ってると見えちゃうから、座るんだろう・・
で、歌パートになると、シレッと出てくる!
この繰り返しがめっちゃツボでした。ぷぷ







でもさ、こんな凄腕演奏隊を前にして
生歌歌うラブリエさんのプレッシャーは
半端ないだろう。ヘタしたらぶち壊しだもの。

喉の調子でも悪かったもんなら、
隠れ家から出てきたくないだろうにゃ。


ドリームシアターのマークもカッコいい。





最上段最後列の風景はこんなで、
すぐ上は天井、後ろ壁、やっば遠い!




いつもエレカシを前の席で見ていて、
ドラム振動が心臓にズンズン響き、
全身爆音に包まれる感があるわけで、、

流石にこの位置では、無理でした。
前方の演奏を柵にしがみついて眺める感じ
貧乏主婦に一万円以上出せ、と仰るか。。


名盤  「Images and words」
「英雄たちの選択」で磯田先生が挨拶するとこ
どうしても、メトロポリスPt.1に聴こえる・・





とはいえ、第二部でImages and wordsの曲が
始まると、後ろでも黙ってられませんわ~
みんなの大喜びも伝わってくる!


特に、ドラムソロ以降の盛り上りは凄まじく
しばし手を膝に置き、「謹聴」してしまう。

気がつけば、隣の歌ってたおじさんも、
隣の膝ドラムのおじさんも、手はお膝。
圧倒的っていうの、これ。


こうなるとドリムシは、やんちゃな
「ほぼ交響曲」なわけで、どうせなら
サントリーホールとかで聴きたい!と、
思うのです。ええ、2万円まで出しましょう!