12人産んだ助産師HISAKOさんのブログから発掘したまねブログのご紹介、300回目になりました。
すっごいな。
これまで見つけた「まねしたブログ」「まねされた元記事」を数値化すると、
複数取り上げた回もあるので、「まねした」方は既に300以上。
いくつかの元記事をつぎはぎされていることもしばしばなので、「まねされた方」は500はあるんじゃないかな。
記念()に、中でも現在最多のまねされ回数16回、HISAKOさんのネタ帳と化していたLITALOCO発達ナビさんの記事を続けてご紹介します。
WAIS-Ⅳを指していると思われる「数値化」解説は、心理オフィスKさんのまねでした。
これまでのLITALICO発達ナビさん発掘
・「できるようになる」には、ひたすら『時間』が必要です(発達障害)
・発達に遅れがある子どものママは、周囲にどう関わられたら嬉しいんだろう
・子どもが発達障害なら、ママは仕事は無理なのか?
・発達障害 きょうだいとの関わり
・ママ友断捨離
・ 苦手なこと、嫌なことからは全力で逃げ回っていい(発達障害)
元記事、田中康雄先生の思い。
「診察室で出会う、さまざまな言葉や思いとは。そして、臨床精神科医として僕ができることとは…。」
それを、締めまでまるっとまねされています。
2019-12-26
元記事
心理オフィスK
臨床心理士北川 清一郎先生
2019-05-31
青 元記事
それぞれ100を平均として得点化します。
どういう分類、意味になるか・・・というような
医学的指標のひとつとして用いられます。
全検査IQ 全般的な知的水準
・IQ(知能指数)ー全体的な知的水準
言語理解(VCI) 言語的なことに対する理解や把握の能力
ワーキングメモリー(WMI) 記憶や注意集中力に関する能力
処理速度(PSI) 手先の器用さやスピードに関する能力
WAIS-Ⅳも知能検査の一つにすぎないので、それだけで評価や解釈はできません。
数値化よりもなによりも、
日頃の行動、性格特性、生育歴など
たくさんの情報を総合して
その子の特性を知っていくことが大事です。
元記事
LITALICO発達ナビ
田中 康雄先生
2018-04-03
青 元記事
わが子のそだちに寄り添うなかに生じる違和感、「なにかが違うんです」という親の思い。
赤 12人産んだ助産師HISAKOさん
わが子の成長発達に寄り添うなか、
なにかが違う・・・と生じる漠然としたママの想い。
そこには、わが子のこころに自分のこころが重ならないことの悔しさともどかしさがある。
発達にでこぼこがあろうとなかろうと
子育てというものは、
子どもの心にママの心が重ならないことの連続です。
噛み合わない歯車に悔しさともどかしさを感じ
それが時に自分へのふがいなさとなり、自分を責めたり、
ときには、力量不足の自分を責めることもあるし、
わが子のわがままとしてつい追い詰めてしまう。
発達途上の子どもの行動を
「甘え」「わがまま」ととらえて、
改善しなければならない、しつけなければ!
と、子どもの小さな心を
追い詰めてしまうこともあります。
診断が下ったとしても、誰も責めあう必要はないのです。
大人の思い描く理想のペースで
子どもが発達してくれないことは
ママの育て方のせいではありません。
・・・というか、誰のせいでもありません!
親は「私の育て方でも、この子が私を嫌っているからでもないのですね」という安堵と、「でもこれからずっと、その特性と私もこの子もつき合っていくしかないのですね」という
わたしもこの子も、これから先もずっと
この、個性的でもあり面倒でもある特性と
付き合っていくしかないんだなぁ・・・ということです。
荷を背負う覚悟を、時には疲れ果てた思いとともに、語る。
ばぶばぶでは、
(第7子)よりもっと重度の自閉症の子のママが
荷を背負う覚悟と同時に襲ってくる
崩れてしまいそうな自らの心の内を話してくれたりします。
診察室で話をしながら、僕は、この子と親が自宅で悪戦苦闘している姿を空想する。
きっと、想像を絶する苦痛が
そこにはあるんだろうなと思いを馳せます。
リビングで、食卓で、トイレの前で。ゲーム機やタブレット、携帯を間に、激しい言葉のやりとり。モノが飛び交い、時に破損していく姿。そうした光景を走馬灯のように頭のなかで巡らせながら、僕はその子と親を診る。
リビングで、玄関で、寝室で、お風呂で
何気ない生活の一場面で
ママがわが子と心を通いあわせようと
必死で向かい合っている姿を
想像しては胸が痛くなります。
わが子のそだちにつき合っていくのは、もちろん楽しみでもある。しかし、苦痛でもある。
わが子の成長を垣間見られるのは楽しみです。
反面、苦痛でもあります。
先のゴールが見えないだけでなく、
子育てのゴールってなんでしょうか。
今歩いているこの道さえも、本当に正しい道かどうかすら、誰からも正しい助言を、親はもらえない。
今歩いているこの道さえも
本当に正しいのかどうかわからなくなり不安が募ることだらけです。
「日々のわが子の言動に迷いと途方にくれる思いを持ちながら、眼の前のわが子の言動に一喜一憂しながら、親としての時間が過ぎていく」
日々のわが子の言動、
迷いと途方にくれる思いに揺れながら
目の前のわが子の言動に一喜一憂、
「こんな苦労もそのうち終わると思っているのですが、ひょっとして終わりのない苦労なのじゃないかと思うのです」
この苦労は終わりのない苦労なのだろうか・・・
「いつまで私はこの大変さとつき合っていかないといけないのでしょう」
いつまでわたしはこのたいへんさと付き合って
いかなければならないのか・・・
「家族ですら、私の気持ちを分かってくれる人はいません。本当に疲れてしまいました」
子どもの発達に悩む複雑な気持ちを理解してくれる人に
巡り会えず心身ともに疲れ果てているママを
わたしは何人抱きしめたことか・・・!
育ちの見通しを明確に告げる予言は僕にはできない。
児童精神科の医師ですら、
子どもの発達の見通しを明確に告げることはできません。
僕にとってそれほど的を外していないと思われる言葉であっても、今の眼の前の親には届かない場合もある。
適切だと思われる言葉を贈っても
目の前のママにはまったく響かない場合もあります。
今、最大限伝わると思われる言葉を選りすぐり、僕は親に言葉を贈る。
最大限に伝わると思われる言葉をよりすぐって、
語り合うなかでの、微妙な表情の変化を読み取り、僕の言葉がシャットアウトされていないか、スルーされていないか、誤解されて伝わっていないか、恐る恐る微調整していく。
相手の微妙な表情の変化を読み取り、
わたしの言葉が跳ね返されているのか、
それとも浸透したのか、
スルーされていないか、
誤解されて伝わっていないか、
慎重に微調整しながら話します。
そもそも、育ちという先の見えない、しかも、すべてが例外という育ちを、
子どもの成長発達は
全員が異なる中身とスピードで各々が進んでいくものなので
『すべてが例外』と言えると思うんですよね。
平均的に説明すればするほど、眼の前の子どもの有り様が消えていく。
平均・普通・標準的に
説明すればするほど目の前の子どもの
素晴らしい個性をすべて潰していくとさえ感じます。
発達障害臨床、あるいは子どもの精神医療とは、マニュアル、ガイド化しにくいもので、診断名がついたことで、先が見えるというものではない。
発達障害は
マニュアルやガイド化しにくく
診断名がついたことで
先が見えるというものではないので
答えのない疑問を共有し、今できる小さいことを提案し、それを積み重ねていく作業を応援していく、それがそだちに関わる僕の仕事である。
答えのない疑問を共有し、
今できる小さいことを提案し、
それを積み重ねていく作業をただ応援していく・・・
わたしには、それしかできないけど・・・
子どもの育ちの速度を変えることは僕の臨床ではできない。
子どもの発達の速度を変えることも、
子どもの力を一新することも、僕にはできない。
子どもの能力を都合よくアップデートすることも
誰にもできません。
そのためには常に、大きく貢献してきた親への感謝と労いを、言葉にすることが重要なのである。
一生懸命、子どもに向き合い、
子どもを愛していくママに敬意を表し、
感謝と労いを伝えたい・・・
「よく、ここまでそだてましたね」
「この子に上手に寄り添っていますね」
「この子も安心していることでしょうね」
「お疲れさまです。ちょっと休んでよいかと思います」
辛かったね。
しんどかったね。
よくここまでがんばってきたね。
いくら言葉にしても、足りないくらいである。
言葉なんかじゃ足りません。
僕は、日々を送られる子どもたちとその親を、こころから応援したいと思っている。
一生懸命、子どもに向き合い、
子どもを愛していくママに敬意を表し、
感謝と労いを伝えたい・・・
がんばるママの力になりたいです!
そしてそれを支える周囲の生活者に敬意を払いたいと思います。
※恐らくは園や学校、療育や医療の先生方を含む、「周囲の生活者」への敬意は、HISAKOさんブログでは採用されませんでした。



