まねブログ ”中学校生活が始まるにあたって・・・(発達障害7子ちゃん)" | 助産師さんの観察ブログ

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12人産んだ助産師HISAKOさんを観察しています。いつかいいね数を越えるのが夢 だったのに閉鎖されちゃった

12人産んだ助産師HISAKOさん、LITALICO発達ナビ かなしろにゃんこ。さん記事とGreenDaysさん記事のまねブログです。

 

LITALICO発達ナビさんのまねが発掘されたのは、

ママの感情、子どもにどう影響する? 

「できるようになる」には、ひたすら『時間』が必要です(発達障害)

発達に遅れがある子どものママは、周囲にどう関わられたら嬉しいんだろう

外でいい子。家で暴れる6歳児

2歳児の発語 ~発達のデコボコ~

全校生徒へ、障害名をカミングアウト!

に続き、7回目です。

 

元記事HISAKOさんブログの類似部分を、元記事の流れに沿って引用、並記しています。あくまでも一部抽出ですので、元記事の意図は十分に汲めません。興味を持たれた方はぜひリンク先をご一読ください。
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※2023年3月のHISAKOさんブログ一本化(アメブロ、noteを閉鎖)以降、削除されていることがままあります。削除理由は当方ではわかりかねます。
 
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2021-03-30

中学校生活が始まるにあたって・・・(発達障害7子ちゃん)

 

2021-03-31

中学校生活が始まるにあたって(2)〜発達障害(7子)ちゃん〜

 

元記事 1

LITALICO発達ナビ かなしろにゃんこ。さん記事

2018-10-05

 

 

青 元記事

小学生時代の息子リュウ太は、授業中にフラフラ~と抜け出しては、廊下でゴロン。

赤 12人産んだ助産師HISAKOさんブログ

授業中にフラフラ〜と
教室を抜け出しては校内を徘徊したり
教室の机の下に潜り込んで読書をしていたり、
陽の当たるの廊下の片隅で
上靴を脱いで干物のようにゴロンと寝そべって
日向ぼっこをして過ごしたり

 

ADHDと広汎性発達障害がある息子の自由奔放ぶりが、母は恥ずかしくてツラかった(涙)

それはそれは自由奔放です。

 

発達障害がある子の育児は一筋縄ではいきません。

発達障害のある子は

 

育児は
一筋縄ではいきません。

 

なにがこだわり?なにができない?

何がこだわり?
何ができて、何ができない?

 

育ててみないとわからないことばかり。
とにかく、育ててみないとわからないことばかりで、

 

できること・できないことのギャップの大きさも、理解を難しくさせていました。

できること、
できないことのギャップの大きさが
理解を難しくさせていたと思います。


そんな私が行きついたのが、イイ意味で「期待しない育児」でした。

たくさん迷ったり考えたりした中で
行き着いた答えは、
いい意味で「期待しない子育て」でした。

 

かなしろにゃんこ。さん

肝心なところが理解できないために
母として何をしたらいいのか、
どんな心構えでいるべきなのか
ずっと迷走してきました。

 

かなしろにゃんこ。さん

発達障害の専門書を読むと
どんどん混乱していきました。

 

本に書いてある
発達障害児の「よい」とされる子育て法は
女神様のように丁寧で細やかな子育てです。


その頃の私は、発達障害とはなんなのか?どうやって向き合っていいのか?

発達障害とはなんなのか?
どうやって向き合ったらいいのか?

 

知識不足もあり、息子への接し方が分からず苦しかったのでした。

最初はわたしの知識不足もあり、
いろいろやってみるけど空回りしてばかりで
(7子)への接し方がわからず苦しみました。


ADHDの特性はなんとなくわかったものの、広汎性発達障害(息子の場合、自閉症スペクトラムの特性)がイマイチ謎で。

やってるうちに一般論のASDの特性は
なんとなくわかってきたものの、

 

独特の自分ルールや、え?そんな風にとらえちゃう?という変わった解釈をする傾向にあるところなど、理解できないことばかり(泣)

一般論と外れた独特の(7子)ルールや、
「え?そんなふうにとらえちゃう?」という
変わった解釈をする傾向があるところなど、


専門書を読んでは不安になるばかりの毎日。

発達障害の専門書を読むと
どんどん混乱していきました。

 

本に書いてある「困り感がある子にはこうしてあげましょう」の言葉に、「こんな丁寧な育児ができるかな?」「すごい手がかかるんだ大変そう」とブルってしまい怖気ずくばかりでした。

「困り感がある子にはこうしてあげましょう」

 

マジか・・・
めっちゃ手かかるやん・・・
こんなんやってたらわたしの心身がやられるわ・・・

正直、自分の心にブレーキがかかりました。

 

かなしろにゃんこ。さん

小学校時代は教室にいるのがしんどくなると
上靴を脱ぎ捨てて、メガネを投げ、
靴下も脱いで、
学校の廊下でよく寝っ転がったり

 

かなしろにゃんこ。さん

ふつうなら周りから変な目で見られるなど
人の目を意識した行動ができるはずなのですが

(7子)は、11歳らしからぬ、
そんなこと一切気にしていないかのようでした(T . T)

 

発達障害がある子を育てるときって…

発達障害がある子を育てるには

■障害理解しなくちゃいけない
■怒りすぎず、のびのび育てなくちゃいけない
■周りの人の目に脅えなきゃいけない
と、心をすり減らす毎日なのです。

〝障害理解〟というより
〝(7子)理解〟をしなくちゃいけなくて
怒りすぎずのびのび育てようとすればするほど
神経すり減らす日々。

 

親も、周りの人の目に怯えてちゃ
なんにも進みません。


なかでも私が困っていたのが、「息子が授業中に廊下で寝そべる」ことでした。

授業中に廊下で寝ること、
机の下で読書すること、
感情コントロールが効かず
ほんの小さなことで大爆発すること、

 

理解したいけどできない、のびのびホメる育児をしたいのに怒りたくなる、周りの目が気になるの三重苦です。

理解してあげたいと思うけどうまくできず

先生から、「教室にいたくない時は廊下で寝ながら過ごしてますよ。廊下から黒板を眺めることもありますよ」と聞かされる度に、気分はズドーン。
廊下で寝ながら黒板を見てることもあって
そんな話を先生に聞かされるたび
この子の将来どうなっちゃうんだろうと
気分はズーン・・

 

かなしろにゃんこ。さん

(7子)は、いろんなことに縛られない自由人です。

 

とにかく息子は、集団生活のルールから外れたことに注意を受けても「僕の行動があなたの人生を大きく変えるほどの何か悪いことをしましたか?」的な受け答えをして反省もしません。

集団生活のルールから外れていても
反省もなければ自己嫌悪もなく、
一般常識のルールは通用しませんでした。


息子に言わせれば「やりたいことをやりたいときにやりたいし、やりたくないことをさせられると気分が落ち込む」んだそうです。

彼女に言わせれば

「やりたいことをやりたいときにやりたい。
やりたくないことをさせられるのは無理」

 

恥ずかしいとか、空気を読むとかは息子の辞書にはありません。

恥ずかしいとか、空気を読むとか
周囲に合わせるとか
(7子)の辞書にはありませんでした。


世間のルールや常識を知っていて当然だと思っているから、話のすれ違いが起こったり、息子が逆ギレしてしまったりする。

つい、世間のルールを基準に考えてしまい
娘と母はすれ違うばかりでした。

 

どれもこれも、息子が世間のルールの意味や必要性を分かっていなかったことで発生するのだとようやく気づきました。
起こってくる問題はどれもこれも、
(7子)が世間のルールの意味や
必要性をわかっていないことで発生するのだと
5年間ぐらいかけてやっとわかってきて、


たくさん迷ったり考えたりした中で行きついた答えは、「この子は不思議な子、自由な星から来た宇宙人」だと思っておこう、ということでした。

たくさん迷ったり考えたりした中で
行き着いた答えは、
いい意味で「期待しない子育て」でした。

 

世間のルールも何も知らない自由星人なんだから私も丁寧に教える必要があるんだということ。
集団生活をうまく生きられる方法は、
大人がひとつひとつ、必要なノウハウを
手取り足取り丁寧に子どもに伝えていくこと、

 

診断を受けてしばらくたち、私も肝が据わってきました。

同時にわたしは肝が据わってきました。

 

かなしろにゃんこ。さん

 

そこで、学校で問題が起こっても怒りを抑えて仏の心で接するように心がけてみたりもしました。

「みんなは授業中に先生の指示でこうしているよ」とか「こんな受け答えをすると嫌がられるよ」とか集団生活の中で必要なノウハウを一つひとつ丁寧に伝えます。

集団生活をうまく生きられる方法は、
大人がひとつひとつ、必要なノウハウを
手取り足取り丁寧に子どもに伝えていくこと、


他人に興味がない子ですから、他の子がどう過ごして、どううまく立ち回っているのか気がつくことはありません。

(7子)は基本的に、
他人の行動に影響されることはなく
驚くほどの自分軸をしっかり持っています。

 

他人をお手本にして見て自然とその行動を取り入れるというパターンがないので、集団生活を少しでもうまく生きられる方法は、一つひとつ手取り足取り教えなければいけません。

子ども自身が、周囲の友達をお手本に、
自然とその行動を取り入れていくことで
培われていきます。

集団生活をうまく生きられる方法は、
大人がひとつひとつ、必要なノウハウを
手取り足取り丁寧に子どもに伝えていくこと、


また、着替えや歯磨きなどルーティンなことはきちんとできるのに、毎日持ち物が変わる時間割や宿題などは全くできません。

着替えや歯磨き、
日々の規則性のあるルーティンは
人一倍きっちりできるのに、

 

できることもある分、全くできない苦手なことだって「本当はやれるんじゃないかな?」「今度こそやれるんじゃないかな」と期待してしまうこともありました。

できることもあるぶん、
できない苦手なことだって

「ホントはやれるんじゃないの?」

と期待してしまい、
ドツボにハマった5年生のときでした。


最初から「全くできないだろう」と思えることなら仏の心で接することができるのに、がんばればできそうなんじゃないかと思えることだと、「なんでこんなこともできないの?」とアホみたいに責めてしまい、さらに「怒っちゃダメじゃない」と自分も責めはじめ、もうグチャグチャ(涙)…。

最初から
「どうせできないから」と割り切れたら
神心で接することもできるのかもしれないけど

 

だからつい、
がんばればできそうなことだと

「やればできるんやからさ!
がんばってやってみようよ!」

過度な期待を押し付けられて
全身にじんましん。
そんな(7子)の姿を見て、

彼女の気持ちを無視した
無神経な対応をしてしまった自分に気づき、
わたしは自分を責めて、
もう何がなんだかわからなくなって
ぐちゃぐちゃでした。

 

頑張ってはいたものの、本当の意味で息子の困難さを理解することは、できていませんでした。

(7子)だけの個人的特性がいまいちナゾで
本当の意味で彼女の心を理解することには
本当に長い年月を要しました。

 

ところで、床が友達だった小学生時代の真相を、数年後に知ることになります。

教室にいると様々な音が耳に響いてきて情報処理しきれなくなって疲れてしまう。疲れてくると視界が真っ白になってしまう。

心を開けない教科担当の先生だったり、
難しい授業内容だったりすると、
それを受け入れようとするだけで
彼女の心は想像できないほどにザワザワ・・・
そこに座っていることさえモーレツなストレスに
なるのです。

 

だから息子は少しでも楽になれる廊下に逃げていたというのです。そうです、「聴覚過敏」が原因だったのです!体がこうなってツラかったと教えてくれたのは、高校生になってからのこと…。
上着、メガネ、靴、靴下を放棄するのは、
ストレスがかかったときに
皮膚の感覚過敏が発動するからだと
ハッキリ理解できたのは
恥ずかしながら、最近のことです。


廊下の床がお友だち状態だった小学生時代、私は、息子が授業を受けたくなくて怠惰な行動をとっていると思いこんでいて、適切な対処法をとってやれなかったと、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

廊下の床がお友達なのは、
決して(7子)が授業を受けたくなくて
怠惰な行動をとっているわけではありません。

 

かなしろにゃんこ。さん

一歩間違えたら甘やかし?
合理的配慮と甘やかしの線引きがわからず、
わたしの気持ちもザワザワ。

正解はわからないけど、
できないことが『障害』なんだから
寄り添って一緒にやっていくしかないと
思っています。

 

かなしろにゃんこ。さん

発達障害のある子を育てる親の心構えは、すぐには育ちません。

発達障害のある子を育てる親の心構えも
すぐには育ちません。

 

「きちんとやれる!」と期待して、やっぱりダメだった、荒れた、パニクったをくり返す。

「やれる」と期待して
やっぱりあかんかった・・・

逆ギレ、パニック、大暴れ
を繰り返すわが子に、
何度がっかりすることでしょうか。

 

「あぁそうだった、この子はコレができないんだった!」と、息子が20歳になった今も、日々自分に刷り込んでいる最中です。
「あ~そうやったー
(7子)はコレが苦手なんやった」

日々わたしも、自分に刷り込んでいる
最中です。


できないことに子ども自身も困っているし、なんでできないのかもよく分からず混乱しているかもしれない。

なんでできないのか・・・
やろうと思うのに、
どうしてもできなくて・・・

それが障害と言われるゆえんだと理解してる上で、
そんな自分がもどかしく
混乱しているのだと思います。

 

だから、今も息子に対して心がけていることは次の二つ。

だから、(7子)に対して
わたしが心がけていることは


■できないことはお手本を何度も見せて覚えさせる。ある程度手助けが必要
■どうしたらできるようになるか子どもと一緒に考えたり、お互いにイライラしないで生活できる方法を話し合う
どうしたら少しでも彼女が
心地よく過ごせるようになるか

一緒に考えたり、
お互いにイライラせずに
生活できる方法を何度も話し合うこと。


ちなみに、20歳になった息子、現在は自由星人から地球の日本人になろうと頑張っています。お互いの意見を尊重したり話し合いができるところまで成長したのです!和を尊ぶことを知る、それだけでも万々歳です。

6年生になって、お互いの意見を尊重したり
話し合いができるところまで成長しました。
それだけでも万々歳なんです。


自由星人だけあって、クリエイティブなすばらしい面もあるし、できないことが全部できるようにならなくたっていいかも。

自由人だけあって
クリエイティブなすばらしい面もある
(7子)
できないことが全部できるようにならなくても
いいんです。


イイ意味で「期待しない」のです。
いい意味で、(7子)には
「期待しない」んです!


できないことを認め、必要な手助けはなにかを探る方が、仲良く暮らせるな~♥なんて感じる今日この頃です。
できないことを認め、
『必要な手助けは何か?』
を探るほうが

生きやすくなるだろうな~
なんて思う今日この頃です。

 

12人産んだ助産師HISAKOさんブログ  3

2021-04-01

中学校生活が始まるにあたって(3)〜発達障害ななちゃん〜

 

元記事 2

LITALICO発達ナビ GreenDaysさん記事

2016-11-08

 

青 元記事

その中でも、娘の口からよく飛び出すのが「お姉ちゃんの物に触らないで!!!」という言葉です。
赤 12人産んだ助産師HISAKOさんブログ

彼女の口からよく飛び出す
「人の物に勝手にさわんな!」という言葉。


例えば娘が勉強している最中、息子が食卓の娘の座席にちょっと腰をかけたときなどは、その瞬間に「そこはお姉ちゃんの席!自分の席に座ってちょうだい!」と怒りモードに突入してしまうのです。

例えば自宅では
食卓の自分の座る定位置(安全地帯)は決まっていて
きょうだいがちょっとはみ出て
(7子)の場所に座ったときなど
「じゃま!そこオマエの場所じゃない!」
ものすごい怒りモードに突入してしまいます。


娘の怒りの対象は息子だけでなく、母親である私以外の人物が娘の物を使用したときに、強いストレスを感じます。

怒りの対象はきょうだいだけじゃなく、
学校で友達や先生が
(7子)も物を触ろうとすると
強いストレスを感じます。


「これ使わせてね」ときちんと断りを入れてからだと、何とか許そうとはするのですが、「いいよ」と答える時の娘の顔はひどく歪んでいます。

「これ触るよ~
これ片付けていいかな?」

きちんと断りを入れてからだったらOK。


「今使っていないんだからいいでしょ?」と諭してみますが、「そういう問題じゃない」という答えが返ってきます。

友達は気を利かせて片付けてくれたんだよ?
と諭しても、「そーゆー問題じゃない!」
と怒りの答えが返ってきます。


警戒心が強く、嗅覚過敏も合わせ持つ娘。

(7子)のように警戒心が強く、
常に誰に対しても戦闘モード、
感覚過敏も併せ持つタイプもいて

 

大切な毛布が元の状態で返してもらえるのか、汚れたり傷つけられたりしないか、いつもと違う匂いがついてしまわないか、常に見張っていなければなりません。

大切な自分の物が、ちゃんと手元に戻ってくるのか、
汚れたり傷つけられたりしないのか、
いつもと違う状態で戻ってきたらどうしよう・・・
など、常に過剰な不安がつきまとうのかもしれません。


毛布の例を挙げましたが、私と娘は、家にある全ての物にこの「大切な宝物」か「どうでもいいもの」なのかの判定を行っています。

彼女の周りにあるすべてのものは
「大切なもの」「どうでもいいもの」の判定が行われ

 

色、形、匂い、思い出…。様々な要素が判定材料となり、他人に触れられたくない「大切な宝物」は山のように存在します。

色、形、匂い、思い出、さまざまな要素が判定材料になって
他人に触られたくない強固なこだわりを自分の物を触られたくない・・・!


私は子育てをしているうちに、自分のことより子ども優先の生活になったので、最近マシになりましたが、娘は宝物に囲まれて幸せな反面、常にそれが壊されないか気にかけなければならず、苦しいだろうな…と思います。
常に神経を尖がらせながら生きているのって
とても疲れるだろうな・・・。


2つ目に、自分の安全地帯を他人に侵されたくない、という気持ちがあります。

彼女は、
自分の安全地帯を他人に犯されたくないという
気持ちが強い子です。


しかし、私にとっては1度利用した経験のあるトイレこそが安全地帯で、その他のトイレはよくわからない不安に満ちた場所です。

(7子)にとっては、
今まで見えていた世界こそが安全地帯。
その他の席から見える風景はよくわからない
不安に満ちた場所なんですよね。


自分がいつも座っている定位置というのは、家の中でもとりわけ安心できる場所です。そこから見える景色、その椅子に座った感触、右側にあるもの、左側にあるもの、全てをきちんと把握してあるからです。

教室の、いつも座っている定位置は
そこから見える景色。その椅子に座った感触、
右側にあるもの、左側にあるもの、
すべてをきちんと把握しているため
とりわけ安心できる場所のようです。


私と娘にとっては大切な「安全地帯」ですが、夫や息子にはもちろんその境界線が見えるはずもなく、「今は使っていないのだから構わないだろう」とあっさり侵略してきます。

(7子)にとって大切な安全地帯。
ですが、友達も先生もきょうだいたちも
もちろんその境界線が見えるはずもないので
あっさりと侵略してきます。


大切な安心できる場所が誰かに荒らされている(ように私たちの目には映る)のを見た瞬間、やはり大きなストレスがかかり、怒りに直結してしまうのだと思います。
大切な安心できる場所や物が
誰かに荒らされている(ように彼女の目には映る)のを
観た瞬間、大きなストレスがかかり、怒りに直結して
しまうのだと思います。


長時間一緒にいる家族だからこそ、理解し合い、譲り合って過ごせたら、お互いが楽になるはずです。
ムズイから無理!で終わらせるのではなく
長時間一緒にいるクラスメイトだからこそ
いろんな特性を持つ友達も含め、
みんなが思いやりをもって、理解しあい、譲り合う
いい機会を、
(7子)が与えているとも思います。

※家族の心がけをクラスメイト対象に大転換、さらに「機会を与えている」目線


まずは私が架け橋となり、息子には「これはお姉ちゃんが大切にしているものだから、触らないようにしようね」と、どれがお姉ちゃんにとっての宝物なのかを教えるようにしています。
まずはわたしが架け橋となって
(7子)が大切にしている物のこと、触っちゃいけないパターンのこと、
教えていこうと思っています。


他人の感情をくみ取るのが苦手な息子にとっても、一番身近なお姉ちゃんの感情を学ぶことはとても良い経験になってくれると思います。

でも、身近な(7子)ちゃんの感情を学ぶことは
彼らにとっても、きっととてもいい経験になってくれると思います。

 

そして娘には、

●この感覚は、皆が持っているわけではないということ
●物を大切にし過ぎるあまり、大切な人を傷つけてしまわないようにすること
●「これは私にとってとても大切なもの」と自分で他人に伝えられるようになれればいいこと

を話している最中です。

そして、(7子)には
この感覚はみんなが持っているわけではないこと
物を大切にするあまり、
大切な人を傷つけてしまわないようにすること、

拾ってほしい、触らないでほしい、は
自分で他人に伝えられるようになればいいこと
ゆっくり何度も話している最中です。


これから少しずつ娘が許容範囲を広げ、自分の「安全地帯」に誰かを招き入れることができるように、「ここは絶対に人を入れたくない場所」を1つに絞り、皆と共有できる場所を増やせるよう、工夫を重ねていきたいと思います。
その他は、少しずつ許容範囲を広げ

 

教室だったり、ロッカーだったり、
『自分の安全地帯』に
仲間を招き入れることができるよう

 

「ここは絶対に人を入れたくない場所」は
1箇所に絞り、


みんなと共有できる場所を増やせるように
工夫を重ねていくことを

〝楽しみながら〟←ここがポイント!!

続けていくぞー!

オー!!!♪───O(≧∇≦)O────♪

・・・と、
必死で自分に言い聞かせているわたしです。(笑)