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民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

                                               

 

長い人生において「素敵なタイミング」に遭遇することは多くはありません。

 

“そう思えるかどうか”は個人の問題でもありますし・・・・

 

只今、「米田建築史学シリーズ」を立ち読みして頂いておりますが、第3書『東アジアの悲劇』の中で石山寺が登場します。

 

 倭国の時代、石山寺は現在の福岡市の名門 筑紫丘高校に接する(敷地内?)位置にあり、そのことを生徒諸君に伝えました。

筑紫丘高校生諸君へ

 

そして大学に入る以前に真実を追求する歴史研究の必要性(受験日本史のハードルがありますが)を旭丘高校生に向けてブログしました。

  新しい歴史書に接するチャンスを高校生に

 

 

両校の歴史研究の部活(筑紫丘には郷土研究部がある)がジョイントすれば、制約に縛られた“大人の”研究者たちを尻目に日本古代史は大いに解明が進むに違いありません。

 

 

と考えていた矢先、既に両校には接点がありました。

 

 

何だか良く分かりませんが、何らかの対抗戦で対戦しているのです。

 

 

両校へのメッセージ発信、両校の対戦記事、当ブログでの石山寺の話題、全て繋がる「ステキなタイミング」です。

 

 

https://ryoumablog.work/blog/good-timin-jimmy-jones/

 

 

 

 

大坂なおみさん優勝おめでとう。

 

 

https://twitter.com/naomiosaka

 

 

いつも思うことですが、表彰式での同時通訳はうるさいだけです。

 

 

特別むつかしい内容が話されるわけでもないし、決まり文句をしっかり捉えたいだけなんです。

 

 

それに、ボソボソと話されると会場の雰囲気に浸れません。

 

 

臨場感を楽しませてください。

 

 

  親切な方が動画で解説しています。

 

 

同じ思いの方の為にUPします。2019年全豪オープン

 

 

 

前回の続きです。

 

学校の歴史で曖昧だった(ワザとしっかり教えない)“白村江の戦い”が腑に落ちます。

 

 

白村江の戦いの裏には日本国・百済国・高句麗国を滅亡させるという、唐・新羅国・扶桑国の三国密約があり、日本国は用意周到で卑劣な罠に掛かったと思われる。

 

 

百済国と高句麗国は国情や滅亡が嘘でも一応は歴史書に記されるが、日本国は存在したことも、滅亡したことも記されていない。

 

 

そして密約は果たされる。

 

 

新羅国は統一新羅として朝鮮半島・済州島を領有し、扶桑国は日本国として日本列島を領有し、木造建築を中心とした日本文化を継承する。

 

 

宗主国である唐は統一新羅国との国境を確定し、日本王室の宝物と日本国の石造文化を略奪し、阿弥陀信仰は中国で栄え、日本列島に至ったとし、さらに筑紫占領の事実を歴史から消した。

 

 

日本国は、比較宗教学の中村 元 が東アジアに現れた普遍国家と表現した、稀有の文化を持つ仏教王国であったが、筑紫を中心とする全ての存在が消され、今日があることに歴史の真実はある。

 

 

封印されていた『源氏物語』に日本国の時間と空間が今蘇る。

 

 

人類最高の果実をもぎ取ったのは人間のひとりで、その欲望は仕方のないことと認めたのは倭国王 倭薈、後の阿弥陀如来である。

 

 

現代日本人は深層に阿弥陀の教えを共有していることを知らない。

                                (米田良三)

 

 

次回に続く!

 

 

 

 

 

 

 

立ち読みは いよいよ3冊目『東アジアの悲劇』です。

 

昔の本屋ですと、ハタキを使って追い出される頃でしょうか?

 

はじめてこの原稿に接した時は手こずったのですが、今では見事にクリアーカットに理解できます。

 

 

 

                     序

 

西暦2013年の日本は、米国の占領下に入った1945年から69年目を迎えている

 

 

日本各地に米軍基地が現存することから、未だ日本が米国の統治下にあることは否定できない。

 

 

そこで日本人の一人として日本を統治する米国の認識に注文を付けたい。

 

 

認識の基本は歴史の把握に尽きる。

 

 

ここに日本の歴史を正しく知る為の小冊子を提示する。

 

 

605年(光元元年)にそれまでの倭国を日本国に国名変更している。

 

 

首都は筑紫にあり北海道を除く日本列島と朝鮮半島南岸国を含めた連邦国家であった。

 

 

東北地方の連邦構成国は陸奥国、近畿地方の構成国は扶桑国(後の大和朝廷)である。

 

 

扶桑国は630年頃から国力が増し、645年に大化の改新を行う。

 

 

次に、その日本国軍はなぜか663年の白村江の戦いに赴き、唐軍に負ける。

 

 

664年から672年までの九年間、筑紫は唐軍により占領され、日本国は全滅亡する。

 

 

672年、唐軍に替わって筑紫に入るのは扶桑国軍(大和朝廷軍)で、王室寺院 観世音寺を解体移築し、他の日本国文化も丁寧に消し去った。

 

 

日本全体を天皇家が統治し、史上最長の1342年目を迎えるなか、現代日本人は米国と天皇家の二重の枷の下に在る。

 

次回に続く!


 

 

 

 

 

 

 

 

                        

1960年正月撮影。

前年、天守閣・小天守は竣工したが、直後に伊勢湾台風の洗礼を受ける。

樹木が脱毛状態で見通しがよい。

屋根や破風は銅版張りであり、まだ赤い状態。当時、御婦人方は和服も多く戦前を思わせる風景である。

 

 

 

オリンピックを錦の御旗に、鉄筋コンクリート製の天守閣を矢鱈急いで壊したがる男がいた。

 

 

その後の展開は皆様御存知の通り。

 

 

私はこのブログで、天守閣は(最上階で一人権力者が悦に入るものではなく)外から仰ぐものであり、入館が許されないなら、最高級の映画セットと認識し、

 

 

そして敗戦後十数年、市民が力を結集して完成させた記念碑的建築物を躊躇無く破壊出来るメンタリティーは理解しがたい、と書いた。

                    

 

“石垣のみの時代”を知る者にとって天守閣は神々しい存在である。

 

 

伝統的日本建築技術の継承と林業の発展を願うに吝かでないが、名古屋城なら、いきなり天守閣に挑戦するのではなく、櫓、門から始めるだけでも、かなりのボリュームである。

 

 

壊した挙句にオリンピックなし、コロナで外国人旅行者激減。

 

 

007なら“危機一”であった。

 

 

著者 米田良三氏は『長谷寺考』の終わりの部分で「664年5月以降、672年5月までの唐軍の倭国占領期間を契機に変化したもので、現代まで本質を知られずにあることを記して置く」と濃い密度の箇条書きにサマライズして述べている。

 

 

① 解体という名の破壊は徹底的であり、土以外のものは残さないのが基本であったようだ。

 

その土が雨で流され、近江の海という内海や、高瀬の淀を埋めてしまう。

 

ミッシングリンクという徹底した文化破壊を想定することによって理解可能となる。

 

 

移築先は近畿地方と、中国の山東半島、長安、成都である。

水上交通が盛んで、人力と風というエネルギーが利用された。

地名も、人民も近畿地方に移動。

 

人民の一部は中国にも移動する。

 

京都の祗園祭は倭京(大宰府)の祭りが移ったものだ。

 

普遍的国家を壊され、日本国民は奴隷以外の何ものでもない生活を強いられる。

 

 

③ 日本(倭)国の国旗は日の丸であった。

 

倭薈が造った豊山(磐井の墓)に建つ瓊(けい)殿を見たイメージ(装飾古墳の壁画の日の丸)が国旗となる。

 

清明上河図に描かれる賀茂川を行く船に日の丸を掲げたものがある。

 

国外に出向く船であろう。

 

  また、日本(倭)国の国歌は君が代である。
 
  志賀海神社の山ほめ祭りは、対馬への島流しの刑を終えて帰還した倭薈を迎える祭りであるが、その場で倭国王を讃える君が代が歌われる。

 

 

④ 扶桑国の時代に造られた法隆寺の若草伽藍は678年の白鳳大地震で崩壊、焼失するテキスト ボックス: 。その地震により斑鳩の地面は二十度左回転している。

 

若草伽藍の伽藍軸は、回転しており、後に移築された西院伽藍軸と異なる。

 

西院伽藍は678年以降に敷地が整備され移築され、710年に完成する。

 

 

⑤ 延喜帝の奴隷解放令は無かったものとなり、宗教的差別である『無量寿経』の「唯除五逆誹謗正法」は復活し、被差別部落が再生される。

 

倭薈を殺した継体軍関係者が、再び天皇制の中で被差別部落として位置付けられ、日本国民の統治の道具とされる。

 

⑥ 継体の先祖は458年に朝鮮半島から現在の福井県に渡来した高句麗王朝の別れであり、継体は上陸前後に生まれていると考えられる。

 

江上波夫の騎馬民族征服王朝説は、部分的に誤りはあるが、正しい。

 

天皇家は日本に来て千五百五十二年目を迎える。(2010年1月3日 記す)

 

            次回をお楽しみに!


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

海岸線からすると、何となく九州北部らしいエリアに近畿地方の地名が散りばめられています。

 

 

事実はその逆で、大和朝廷になってから、これらの地名が、ごっそり近畿に移動・命名されたのです。

 

 

この中で現在残っている地名の痕跡は博多の住吉神社、三瀬村の初瀬川、吉野ヶ里の三つであり、“京”とは大宰府のことです。

 

 

「米田史学」を学ぶにつれ、この地図を初めて見た時の違和感はどんどん薄れ、むしろ、こちらの地図の方がまともに思え、知的興奮が膨らみます。

 

 

この地図は米田良三氏が建築、歴史、文学、絵画、地学、内外文献を入念・綿密に検討して作り上げたもので、この1枚だけでも卒論はおろか博士論文にも匹敵します。

 

 

半信半疑の方も、やがて分かる時が来ると思います。

 

 

 

アカデミズムの博多沿岸の海岸線認識は「博多古図」の存在を無視し、こんな感じです。(「月間 文化財」1968.8.

                                             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『現代を解く・長谷寺考』の「目次」です。

 

‟立ち読み”で目次のチェックは欠かせません。

 

 

目 次

はじめに

「源氏物語画帖」玉鬘より

 

第一部  泊瀬の御寺

1.序論

2.『住吉物語』

近畿の地理では物語は成立しない

3.「源氏物語画帖」

4.『枕草子』

5.奈良登

6.『大和物語』

7.『古今集』・『万葉集』

8.柿本人麿の百人一首の歌

9.片桐洋一『柿本人麿異聞』から

10.梵鐘に関する考察

11.移築論的考察

第一部のおわりに

 

第二部  隠国

隠国の図

隠国の現況地図 (昭和四十年代)

1.序

2.柿本人麿の巻向歌群 

地名が近畿に移動

3.人麿の妻の死

4.再度、長谷寺を考える

5.石上布留

6.謡曲「布留」における検証

7.布留のいろいろ

8.謡曲「井筒」における検証

9.時代を記録する『伊勢物語』

第二部のおわりに

 

 

第三部  阿弥陀信仰

500600年代日本史関連年表

〔復原文〕倭武の上表文 

1.磐井の墓(豊山)

2.霊山(倭薈終焉の地 ― 小倉山)

3.浄土三部経

4.聖徳太子の「唯除五逆誹謗正法」

5.中国浄土教の担い手・道綽

6.法然の『選択集』と日蓮の

『立正安国論』

観音信仰について

.『七大寺年表』について

学者が避けて通る文献

.『枕草子』と阿弥陀信仰

おわりに ―解説風に―

倭国長谷寺跡発見記(編集後記)

図、表、写真 出典一覧

 

次回をお楽しみに!

 


 


 

 

『現代を解く・長谷寺考』前書きの終わりの部分です。

‟立ち読み”はまだまだ続きます。

 

400年前後の日本は筑紫首都圏の骨格が出来上がり、日本列島が倭国に統一された時期である。

 

仁徳帝の後、珍・済・興・武と四人の倭王が宋に貢献し、都も現在の太宰府都城の位置に戻っている。

 

本論で取り上げる倭王武の息子倭薈は広開土王の活躍から百年後の500年に生まれており、『逆賊磐井は国父倭薈だ』(1999年)で大略取り上げたが、今回は異なる方面からのアプローチを試み、合わせて500年代から600年代の日本に光を当てたいと思う。

 

第一部で扱うのは約千五百年前に造られた広大な施設(長谷寺)の遺跡である。

 

もちろん過去誰も取り上げていないし、ほとんど無傷のまま今に残っている。

 

当時の建物は(現地には)無いが、当時を復元できる諸々があることを示したい。

 

施設消滅後の姿を残そうとする千三百余年間の努力のたまものである。

 

おそらく数えきれない人々の力と時間が注がれていることは疑えない。

 

そのような見えない部分を想像で補って読まれることを期待したい。

 

私はその全体が人類の誇りと言える宝物と思うのである。

 

第一部を書き終わって現地を訪れる機会があり、故郷に戻ったような感覚を味わい、さらにその周囲の山容や自然と接することとなった。

 

第一部の主人公の一人である柿本人麿の歌が、それらの自然と次々と結びつくこととなる。

 

その情景の広がりをまとめたのが第二部である。

 

第三部は阿弥陀信仰の対象である阿弥陀如来が、ここで取り上げる倭国王倭薈の存在を置き換えたものである ことを、経典等から明らかにしようとする試みである。

 

                      次回(前書きの続き)をお楽しみに!

 

以前、テレビ番組で見たことのある、山本潤子さんが「500Miles」を歌う動画がUPされています。

 

 

 

 

 

 

プロの歌手が英語の曲を歌う場合、nativeにはどのように聞こえるのかな? と常々思っていたのですが、書き込みを見ると、発音(私見ではフランソワーズ・アルディーより上?)に就いて、ひと言加えている輩もいますが、概ね好意的な批評が多く、日本人として嬉しくなります。

 

 

バックの二人も日本のフォーク界では大物ですから曲の構成も申し分ありません。

 

 

P,P&Mはファッション・センスと教則本的な曲のラインナップのためか、我が国においても全国至る所でコピーバンドが生まれました。

 

 

 

山本潤子さんも高校時代、文化祭でP,P&Mを演っていたようです。

 

 

その頃の若者が後期高齢者になっても、まだ活動を続け、ライブハウスで競演しています。

 

 

競うのは如何に本物のP,P&Mに近づくかですが、nativeが本気でコピーしている動画を見つけてビックリです。

 

 

Mary Traversの追悼イベントらしく、気合の入れ方が違い、ギターとハモリは忠実に再現されております。

 

 

でも、今の私には編曲も含め潤子さんたちのグループの方がいいですね。