海岸線からすると、何となく九州北部らしいエリアに近畿地方の地名が散りばめられています。
事実はその逆で、大和朝廷になってから、これらの地名が、ごっそり近畿に移動・命名されたのです。
この中で現在残っている地名の痕跡は博多の住吉神社、三瀬村の初瀬川、吉野ヶ里の三つであり、“京”とは大宰府のことです。
「米田史学」を学ぶにつれ、この地図を初めて見た時の違和感はどんどん薄れ、むしろ、こちらの地図の方がまともに思え、知的興奮が膨らみます。
この地図は米田良三氏が建築、歴史、文学、絵画、地学、内外文献を入念・綿密に検討して作り上げたもので、この1枚だけでも卒論はおろか博士論文にも匹敵します。
半信半疑の方も、やがて分かる時が来ると思います。
アカデミズムの博多沿岸の海岸線認識は「博多古図」の存在を無視し、こんな感じです。(「月間 文化財」1968.8.)