1960年正月撮影。
前年、天守閣・小天守は竣工したが、直後に伊勢湾台風の洗礼を受ける。
樹木が脱毛状態で見通しがよい。
屋根や破風は銅版張りであり、まだ赤い状態。当時、御婦人方は和服も多く戦前を思わせる風景である。
オリンピックを錦の御旗に、鉄筋コンクリート製の天守閣を矢鱈急いで壊したがる男がいた。
その後の展開は皆様御存知の通り。
私はこのブログで、天守閣は(最上階で一人権力者が悦に入るものではなく)外から仰ぐものであり、入館が許されないなら、最高級の映画セットと認識し、
そして敗戦後十数年、市民が力を結集して完成させた記念碑的建築物を躊躇無く破壊出来るメンタリティーは理解しがたい、と書いた。
“石垣のみの時代”を知る者にとって天守閣は神々しい存在である。
伝統的日本建築技術の継承と林業の発展を願うに吝かでないが、名古屋城なら、いきなり天守閣に挑戦するのではなく、櫓、門から始めるだけでも、かなりのボリュームである。
壊した挙句にオリンピックなし、コロナで外国人旅行者激減。
007なら“危機一発”であった。