この第2章で早くも理系歴史家の面目躍如。
山田寺と法隆寺の歴史に関するレベルの低い論争を一瞬でぶっ飛ばす理系人の痛快発言が心地よい。17頁を中心に味わっていただきたい。
To be continued
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https://president.jp/articles/-/75254?page=4
世界最古の小説は『源氏物語』である…イギリスの知識人たちが紫式部の天才ぶりに驚愕した理由 外国語に頼らず、大和言葉だけで文学を書き上げた・・・・
最近、UTubeで『源氏物語』関連の多くの記事に遭遇します。
高校時代のそれとの接点以上に 勉強はしていないのですが、外国人達の誉め言葉の多さに気分を良くしています。
外国勢が関係すると、いつも問題になるのが 物語の書かれた年代です。
この重要な件について、いつの時代も、アカデミズムは意図的に話題をそらしているように思われます。
この件は ひとえに文系の守備範囲と捉えられがちのようですが、理系の研究者の説にも耳を傾ける時代が到来したのではないかと考えます。
1991年、『法隆寺は移築された』を表した建築家(免振装置の研究で有名)米田良三氏が その人です。
当初、2才年上の彼と私は 著者と読者の関係でしたが、徐々に議論を交わすうちに、従来の出版社が新本の出版を拒否する分を私が引き受けることとなりました。
その後、ここで交友内容を公開すれば 楽しい裏話もたくさんありますが、ひとまず『源氏物語』に的を絞り お話を進めることにいたします。
Lately, I’ve been coming across a lot of content related to *The Tale of Genji* on YouTube.
I haven’t studied it any more deeply than I did in high school, but I’m heartened by the abundance of praise from foreign viewers.
Whenever foreigners are involved, the date the story was written always becomes an issue.
It seems to me that, throughout history, academia has consistently and deliberately sidestepped this crucial matter.
This issue tends to be viewed as solely within the purview of the humanities, but I believe the time has come to listen to theories put forward by researchers in the sciences as well.
One such person is architect Ryozo Yoneda (famous for his research on seismic isolation systems), who in 1991 published *Horyuji Was Relocated*.
Initially, he—who is two years my senior—and I were simply author and reader, but as we gradually engaged in discussion, I ended up taking on the publication of his new book, which conventional publishers had refused to publish.
Since then, there are many amusing behind-the-scenes stories I could share here, but for now, I will focus specifically on *The Tale of Genji* and proceed with my narrative.
Translated with DeepL.com (free version)
この調子で筆を進め、翻訳機のお世話にもなり、驚くべき日本の(主に九州王朝を中心とした)秘密を世界に発信しようと決心したところで、残り時間の少なさに気付きました。
一番の解決方法は米田建築史学 計4冊を僅かづつでも当ブログにて発信するのがベストと考えました。
少し読みづらい文面についてはお許し下さい。
To be continued
沢山拡散お願いします!
一昨年の11月末、AB&JC(あんじょう 骨と関節のクリニック)を閉院し、小図書館とオーディオ・ルームに改造して楽しんでいます。
2001年10月 米田良三氏を知り、その後のお付き合いの中で彼の出版物の編集を受け持つこととなり、真っ先に考えたことが見栄えのする表紙でした。
大急ぎで出来上がったのが黄色い正方形にAB&JC PRESSのロゴであり、以後 すべての冊子(4冊)に登場します。
建築史学入門シリーズにお付き合い頂いた方々には、AB&JC PRESSと名乗る割には出来栄えが貧弱である印象を持たれたかと思いますが、本業の合間に手作りで励んでいたことをご了解下さい。
郵送を始めとする諸々についても同様です。
特に初期の頃の方々には多大なご迷惑をおかけしましたことをお詫びいたします。
当時の方針として、個人情報の観点からも、ご利用の方々との交流は意図的に止めていました。
現段階では、以前よりは可能かと思います。
さしあったっては、今まで1冊でもお求め頂いた方に限定してGメール(abandjcclub@gmail.com)お待ちいたします。(渡辺しょうぞう)
併せてお読み下さい。
それでも 勝てる見込みはないが。
https://www.chunichi.co.jp/article/305843
)も、
今も 打って、打って、打ちまくる愛知県であることに変わりない。
本日(5月16日)の新聞の折り込み(図)を見て驚いた。愛知県は今も尚 凄いぞ!!!!(偏差値秀才はピンチには役に立たない)。
「熊を守れ」と抗議した愛護団体に、本当に熊を渡した結果…
熊愛護団体ショートストーリー総集編 【クマ被害】
クマ愛護活動・まとめ
全国で深刻化する熊被害に小野田が動いた!!田舎はクマと戦っとる!都会者は黙っとれ!
出身が有名校(*伝統、名門、一流等と言うから話がややこしくなる)同士ならば気兼ねなくお喋りが可能ですが、私は たとえ他校出身者に対してでも旭丘を お構いなく讃える傾向があり、案の定 嫌われています。
その昔、 校内模試で3桁であったにもかかわらず国公医に恵まれたのですから、それくらいは許されてもよいでしょう。
2023年、旭丘の学校祭(3年振りの鯱光祭(旭丘の学校祭))を訪れ203の H君 と意気投合しました。
私とは61年の隔たりがあり、孫と同じ年齢の素晴らしいジェントルマンです。
普段が爺さん・婆さん相手の仕事でしたので、彼との付き合いは爽やかそのもので、自らの老化現象を停止させる作用があるのではないかと真顔で期待を弾ませていました。
いくら塾や予備校が煽っても あの学校の半分は実質4年制です。
経済的に無理が効かない家庭では3年計画も止むを得ませんが、あれ程の人材(の卵or変わり者)が集う中に放り込まれる価値はお金に換算できません。
一日一日が宝物のようなものです。思い切り学校祭に打ち込んでいたH君も この春 4年制のカリキュラムを見事消化し、先日、我がAB&JC CLUBに報告に来てくれました。
テーブルに秘蔵の愛知一中、旭丘関連の資料を積み上げ、5時間にわたり・超スピードで話は弾みました。時間が惜しくて、昼ご飯は無印のレトルト・カレー以外は喋りまくり、という激しさでした。
実は、昨年暮れの当ブログ(62年前 の 大晦日 )は彼の背水の陣に向けてのエールでした。
彼は薄々承知していたようで、私もジーンと来ました。
1年待たされるという経験・試練は今後の人生にきっと役立つ事でしょう。
旭丘卒業生にはすぐれた医師が数多くいらっしゃいます。
福島雅典氏はワクチンのペテンを暴き不幸な日本人を救おうと尽力されています(https://genkimaru1.livedoor.blog/archives/cat_47919.html)。
私が3年生の時、入学してきたように覚えています。
いつまでも“○✕大学医学部に何名!”と騒いでいる場合ではありません。富、名誉、権力、良縁談なる連想ゲームはもうお終いです。
高校生諸君は真に自分の適正をしっかり考え日々を過ごそう。
H 君! 私は残り時間との戦いですが、もう1度 会えるといいね。
危機的な世界情勢の最中、国政に関心を持たない者が“法隆寺移築説”などに興味を示すとは とても思えませんが、四半世紀前にスタートした“りょうぞう&しょうぞう”コンビによる“建築史学入門(4冊セット)”の売り尽くしセールに やっと持ち込めそうです。
と言うのは、今までに本を買っていただいた方の中から、自らのブログに このテーマについて、かなり突っ込んだ記事を掲載して下さる方が現れたのです。
米田氏が「自説が認められるのは200年先!」とぼやいておられたことを思い出します。
先ずはこの反応に感謝を込め、全文を掲載し、喜びの茶々を入れさせていただきます。
引用
https://tennkataihei.hatenablog.com/entry/2023/02/27/230255
黒、赤字(私が着色)は“天下泰平”氏の文、緑字は私の追加コメント
法隆寺は移築された―太宰府から斑鳩へ 1991米田 良三 (著) 新泉社 世界最古の木造建築、法隆寺の五重塔や金堂は九州大宰府から移築された。
法隆寺の資材帳や昭和の解体修理工事報告書などを詳細に検討、三十三間堂・観世音寺の謎も解明。倭国の文化と聖徳太子の原像を描き出す。
建築家である著者の結論は、法隆寺は九州大宰府から移築されたというもの。
名高い法隆寺の再建・非再建論争のことは知っている人も多いと思うが、それを圧倒する結論、それが法隆寺移築説である。
現法隆寺金堂、五重塔、夢殿、その他は、太宰府観世音寺を解体移築した建物であり、その時期は710年である。
また太宰府観世音寺そのものは中国正史「隋書」に記載されるイ妥国の王者、多利思北孤により607年太宰府に創建され618年落成した。
現存する主要な仏像も又観世音寺からの移設である。
ただ、著者の説は無視されているが、1962年に宮大工の棟梁の家系に生まれた11世伊藤平左衛門もまた、建築に使われる尺度の歴史的違いに着目することで、法隆寺は後世の再建で、別の場所から移築されたと結論付けた。
古建築秘話 / 伊藤平左エ門∥著 / 鳳山社 , 1962
両者の移築説は無視されているが、法隆寺がどこかよそから移築されたのは間違いないと思う。
文系の歴史学者は物差しの違いに触れたがらない。
最近の研究で、五重塔の心柱の用材は年輪年代測定によって確認できる最も外側の年輪が594年のものであり、この年が伐採年に極めて近いと発表されている。
伐採年が『日本書紀』における法隆寺の焼失の年(670年)を遡ることから、九州から解体されて運ばれた用材が40~80年余りも現・法隆寺の近辺に置かれていたという推察が成り立つ。
現在のJR法隆寺駅の南方の川岸周辺に寺院資材が大量に積み上げられて置かれた。
そこの地名が「置留(おきどめ)」→「興留」として残ったのではないか著者は推察する。
他にも法隆寺金堂の「昭和大修理」で解体された際、「六月、肺出」という落書きが残っているのが発見された。
肺とはハレー彗星のことで、617年6月に地球に大接近したときに符号する。金堂建築中に目撃した大工が、稀に見る自然現象を書き留めたものと推定される。
心柱の伐採年が594年で、617年6月に九州観世音寺(現・法隆寺)を組み立てていたとすればつじつまが合う。
著者略歴・米田良三 建築家、古代史研究家。1943年三重県松阪市に生まれる。1968年東京工業大学建築学科卒業。
建築から日本古代史を見直す研究をつづける一方、古代建築の基礎構造をヒントに耐震技術の開発を行っている。
著者は残念ながら近年がんを患って亡くなった。闘病のアドバイスと編集の打ち合わせで電話ディスカションは修羅場と化した。
ただ著者の友人(不肖私です)が思いを継いで遺稿集をまとめている(残りあと9セット)。4冊で8000円くらい(本業閉院。レターパック値上などの理由で15000円に変更させていただきます)。分冊売買可能(古い版のみ1冊1000円で。送料別)。興味のある方は問い合わせてください。
全冊購入して熟読したが、さすがに柿本人麻呂や源氏物語も舞台が九州であったという部分にはまだついていけていない。(もう1度TRYしてみて下さい)
米田建築史学シリーズ 全4冊最新データ
情報収集はここを押す→AB&JC PRESS
関連動画
人類史にとって重要な年になる2026年を大事に生きるために
https://youtu.be/sW2pEgD8rZc(29:00~)
明治政府を打ち立てたフルベッキ46人衆の中の一人の孫が日本史学会のトップでしたので、法隆寺移築説なんてトンデモ話扱いされるのは当たり前。
史学に進む学生も臆病者ばかりだし・・・
日本一の棟梁は米田氏に“移築論”を認める手紙を書いています(第1書参照)。
私の好きな現在のナンバーワン棟梁にメールしましたが反応なし。
メールを思い立った理由?
飯より好きな法隆寺なのに、現地でテレビ出演する彼の表情が冴えません。
もっと明るく真実を述べて下さい。
文字通り命がけで悪と戦って来られたお姿に感動です。
この度の落選は残念ではありますが、ここ何年かの闘いの疲れを取るチャンスと捉えて下さい。
お忙しい中のひととき、以下に御案内する神埼郡の古代史を読み、人類の危機を乗り越える意気込みを養っていただきたいのです。
世界的に拡散する日本ブーム(言語、生活、文化、平和・等々)の原点が大宰府を都とし、三瀬~吉野ヶ里を副都とする従来の学者達が知らぬ振りを通してきた歴史を世界に知らしめる時がやって来ました。
テーマは山ほどあるのですが、1例のみ記し、*『源氏物語』の舞台の中心は大宰府であり、定説より350年昔に書かれています。現在のものは関西に舞台を移した成りすまし小説と言えます。
後は以下のHP・ブログを読んで頂くことにしましょう。
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