約30年前の生徒達によるオピニオン誌(A-POST の時代(旭丘高校))を読んでいたら、現在の高校教育の根幹に関わる意見を述べている女生徒の文章に出会った。
我が身に置き換えてみると、この意見にあるような高校生活を送ることが出来なかった分、言わんとすることが身に浸みる。
人格形成が不十分だったのは、目指す高校に“背伸び受験&運よく合格”したため ゆとりが無かったのだと自覚している。
幸いだったのは、現在と異なり 大学に入学して最初の2年間は教養部であったので、遅蒔きながら その時が人格形成のための期間となった。
SNS記事とか文化祭 ( 「鯱光祭」を見に 旭丘高校へ 2019 総集編 ) に訪れた印象では 現在の旭丘は昔の大学教養部の雰囲気に近いと思う。
前校長の杉山氏が言うトップ高(トップ高セミナー(ある予備校の開催するオンライン講演会)に参加しました。)のイメージはこれに近いと思われる。
旭丘では“プリント攻め”と呼ばれる宿題が一切無く、自分のペースが守れたのは本当に有り難かった。(懐かしの学習参考書 総集編)
もし“プリント責め”に遭っていたら、間違いなく沈没していた。
“プリント責め”は生徒から人柄を育む時間を奪い、無用なプレッシャーを与える 許し難い人権侵害である。
昭和30年代に比べれば現在の旭丘ブランドは滅茶苦茶強力である。
それに対する反作用も強く、最近出版された『「旧制第一中学」 の面目』(https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784140886694)にある全国的に戦後3回行われた“一中潰し”が再び試みられることはあり得る。
愛知県の新しい高校入試制度で、ライバルである明和高校が公立中高一貫校として選ばれたようだが、建前平等主義は捨て、本音で“打倒一中”が宣言されたのかもしれない。
さすがに“学校群制度復活”は口に出せなかったのだろう。
高校生活では勉学以外の“something else”として 人柄が大切である、と冒頭の女生徒は言いたかったのだろう。
先に触れた 教養部があった頃から現在も続く入試問題出題方式がこのまま続けば 人格形成は置き去りのまま不毛な競争が繰り返され、何かが足りない大学生~大人が誕生する。
結果として国の勢いは加速度的に低下する。
従って、今も これからも多才で多様性のある生徒が集まっている高校から いい人材を獲得出来る確率は高い、と判断されるのだ。
ペーパーテストの出来の良さの結果としての大学ブランドは必要条件ではあるものの、出身高校への注目度は今後益々高まっていくと思われる。
卒業してから気付いた母校に対する感謝と自らへの反省をひっくるめて このブログに旭丘の話題をUPし続ける背景はこのようなものです。
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