トップ高セミナー(ある予備校の開催するオンライン講演会)に参加しました。 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

 

 

講演会の対象は直近ではない高校入試を控えた子弟を持つ父兄なので、ただの野次馬である私は対象外、受講申し込みフォームに該当しないので、電話&GメールでURFをゲットした。

 

 

 

 

演者はこの春まで旭丘高校の校長であった杉山賢純氏で、この予備校のCMイベントであることは承知の上で参加した。

 

 

 

 

案の定というか、旭丘の話題が多く、関係者は“ふむふむ”でも、部外者には年代にもよるが耳障りな不快感があったかもしれない。

 

 

 

 

しかし、小学生を持つ教育熱心な お母様方には、刺激的な話が多く、夢と希望が限りなく膨らんだことであろう。

 

 

 

 

「天才、秀才、鈍才、凡才」、「見える学力、見えない学力」、「やっとこ東大、らくらく東大」等、能力評価は様々あるが、地頭のいい奴の存在は昭和30年代、嫌と言うほど知らされた。

 

 

 

 

自分がどのレベルであれ、そのような鋭い人間(一種の起爆剤)に至近距離で一度は接する機会が人生には欲しい

 

 

 

 

名門校に殺到する理由はこのひと言に尽きる。

 

 

 

 

即ち、教科学習は楽々、芸術、スポーツ等あらゆる分野で突出した未来の友を求め、受験生が目指すのがトップ高たる所以なのだ。

 

 

 

 

東大・京大・国医 に何名合格等は ただの目安に過ぎない。

 

 

 

 

コロナ騒ぎで明らかになったのは、大学に入ってから生涯の友を得ようとしても無理ということ。

 

 

 

 

多分野にまたがる人脈を得るのは高校時代しかない。

 

 

 

 

演者が言うようにトップ高は各地域に存在しており、個々の特徴をよく理解(大半が医学部を目指す高校の同窓会はつまらない?)した上で受験生は早期から目標に向かって勉強しなさい、と言うのが彼のメッセージなのだろう。

 

 

 

 

 

この期に及んで某県知事が学校群高校入試の復活を企んでいる、と言う記事を読んだことがあるが、「何でも公平、平等」と叫んでいるうちに国が滅びてしまっては元も子もない。

 

 

 

 

トップ高出身者諸君はこの国の発展と国民の幸せを常に考えるように心がけていただきたい。