Greenfield Villageの中にあるHenry Fordの生家の庭。
但し、この生家は後年、原形のままここに移したもの。
インディアナの気候は、日本とよく似ている。彼女は馬が好きで、子馬を買っては育てている。
迫水祥子氏提供
10年以上前、当ブログに載せたNHK番組(テレビ英会話)についての続編です。
あのテレビ講座が放映されていた1962年は映画“American Graffiti”の舞台設定の年に一致し、当時のアメリカの高校生の生態と我が身のそれとの違いを嫌が上にも意識させられます。
あの頃のNHKは現在のような悪評は一切なく、東京オリンピックを間近に控え、日本中が英会話に夢中でした。
その最中、大学入試再度挑戦の私も自分のスケジュールにテレビ英語会話を加えたのでした。
当時のテキストが全て揃っていますので掲載します。
永遠に楽園が続くと思われていた憧れのUSの姿をお楽しみください。
何も今に始まったことではない!
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以下引用です
2007年1月 8日 (月)
NHK紅白における「DJ OZMA 裸パフォーマンス事件」の本質
NHKが出場させ、NHKと打ち合わせたとおりの楽曲で行われた今回のDJ OZMAのパフォーマンスについて、同じプロデューサーによって紅白直前まで行われてきた状況をふまえ検討しましょう。なお、次回は、それと同じ番組にみられる、NHKの性癖ともいえる傾向と公共放送としての問題をより鮮明にするため、DJ OZMA以外に、私はこの番組をみるまで歌うのを見たことがない、インリン・オブ・ジョイトイを歌番組によんでスタジオでやらせた内容、視聴者を招待してみせた歌について、放送の画像をふくめて検討する予定です。
まず、今回の紅白歌合戦で、DJ OZMAのパフォーマンスは、大勢のダンサーたちきらびやかな衣装と出演し、NHKの求めた歌曲を実演し、その際、女性ダンサーたちは、男性ダンサーたちとともに、”淫らなチューをしよう”、”ヌゲ、ヌゲ”などと歌い踊りながら(その歌詞も画面に表示された)衣装を脱いでいき、男性たちがパンツ一枚の姿になる中で、衣装を脱いでブラとパンツ姿になり、さらにブラをとって踊りつつ、後半には、パンツ1枚着用するだけで、裸と見間違えるように、女性の裸体を精密に描いたボディースーツ姿で、”裸で踊ろう”などと歌い踊り、最後にはパンツをとって股間をキノコの装飾1本だけで隠す姿のポーズをとって見せた。
NHKは、この放映に対する視聴者からの抗議電話等に対して約30分後に、司会のアナウンサーが、お詫びをしたが、その内容は、ダンサーが裸ではなくボディースーツを着ていたが誤解を招いたとして、お詫びしただけである。
また、放送後一時期ホームページに掲載され、現在はなぜか消去されてたお詫びは、「DJ OZMAのバックダンサーが裸と見間違いかねないボディスーツを 着用して出演した件について、NHKではこのような姿になるということは 放送まで知りませんでした。 衣装の最終チェックであるリハーサルでは放送のような衣装ではありませんでした。 今回の紅白のテーマにふさわしくないパフォーマンスだったと考えます。」として、やはり、最後の姿が裸と見間違うようなボディースーツだったから申し訳ないとしか考えているにすぎない。
ひとつ聞きたいのは、これは公然わいせつではないのか、NHKがおうではないと思う理由はなにか、実際には全裸でなく、局部をみせなかったからと考えているのか、ということである。
また、リハーサルでは、男性はパンツ1枚で本番と同じだが、女性ダンサーたちはビキニ姿であったなったというのである。大勢の男女のダンサーたちが、上記のような歌を歌い踊りながら、衣装を脱いでいき、最後に女性ダンサーたちがビキニ、男性ダンサーたちはパンツ一枚であったら、放送倫理上も問題ないと考えるのはあまりにも悪質である。
そもそもNHKは、今回の紅白歌合戦で、DJ OZMA を視聴率稼ぎの目玉として宣伝していたと報じられていた。
真偽は承知しないが、DJ OZMAが過激なショーをやると多くのマスコミに報道されていたようであるし、一部マスコミでは、NHKプロデューサー自身が「全裸になるより喜んでもらえるサプライズがあります」とコメントしており、ライブでも披露した全裸に見えるタイツ姿でのパフォーマンスが有力だとの報道もある。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061230-00000012-dal-ent
NHKは、「このような姿になるということは 放送まで知りませんでした」とホームページに記載したが、リハーサルは記者を締め出して行われたとのことであり、では、NHKは、ダンサーたちがどのようなパフォーマンスをしてどんな姿になる予定だったのかを説明することが、責任の所在を検討するためにぜひとも必要である。また、仮に、打ち合わせと違う姿になったというなら、その時点でストップをかける、カメラを止める、等々の措置をとらないで最後までパフォーマンスを続けさせ、放映し続け、全国の視聴者を愚弄した責任はどこにあるのかを明確にする必要がある。
少なくとも、NHKは自身の紅白歌合戦のホームページで、DJ OZMAに次のように宣伝していたのであって、脱衣は当然のパフォーマンスとしていた。
すげぇ、なんて大きいんだ!
外国人観光客が日本の年末に感動!
知恩院 除夜の鐘・試し撞きのニュースを見ていて色々なことを考えた。
人生、かなり永くやってきたが、現在 進行する地球上の大半の不快感を制止出来るのは日本人を置いて他にないであろうと確信している。
我が国を代表する実力者たちが本領を発揮できないのは、本人のせいもあるが、どうしようもない連中が世界の頂きでコントロールしているからである。
我々日本人の大半は大昔から西欧人を始めとして、見栄えがする民族に対して不必要なまでに引け目を抱え込んだまま今に至っているが、当の本人たちは総合点ではさほど優位に立っているとは思っていないだろう。
J-ポップ、アニメ、ノーベル賞、スポーツ、理工系の研究者はもとより、平均的な国民の優秀性も人間性も自信を持ってよいだろう。
世界の頂きの奴らは まるで自覚のない優れ者たちが(文字通り殺してやりたいほど)妬ましくて仕方がないのだ。
日本人の凄さを理解していただくために2016年の記事(日本人なら絶対観よう! 今年の「除夜の鐘」中継)を読んで下さい。
源氏物語の時代より350年前に大宰府を都とする九州王朝倭国があり、それは素晴らしい国で、我々が学校で習った本物の平安絵巻が展開されていました。
本物の紫式部、清少納言らの本当の世界がそこでは展開していたのです。
では 何故そんなすごい話を国民は知らないのだろうか?
現在の我々は、すでに征服された側です。
その昔、大和朝廷そのものが征服側だったのです。
しかし、征服した側が倭国並びにその国民にとてつもないコンプレックスがあったのでしょう。
すべての点(建築、文学作品、地名、衣装、生活習慣・・・)の総入れ替えを決行し自分たちが倭国民になりすまし、今日に至ります。
平安時代の京都は都、人物、等 すべてが成りすまし。
人工的に九州王朝時代の大宰府を演出していたわけで、住人の心理は如何なものだったでしょうね?
少々悪乗り気味だが、整理をしていたら色々なものがワンサカ出て来たので、ご披露します。
時代はドンドン遡り、以前 このブログに書いた高校1年の夏休み(懐かしの学習参考書 英語) に登場するサイド・リーダー“More Famous Stories”のお話です。
年が明けて昭和36年3学期、私がいたのは名古屋の町なかでは不良で有名な中学校。
英語の授業は能力別にABCの3段階に分かれていたにもかかわらず、Aクラスに於いてさえ 最後の3章が手つかずで卒業。
それでも、合格出来、あとで知ったことは、名門中学から来たO君は入学式前の春休みに 英語リーダーは読了と。
このショックは夏休みになっても引きずったままだった。
幸い、他教科は宿題一切なし。
唯一、英語は夏休み明けの定期テストに出題ということで、ひとまず命拾い。
さて、泣き泣き英和辞典を引きまくってから64年。
今読んでみると、ちんぷんかんぷんだったあの頃より遥かに言わんとすることが分かるではないか!
しかし、今思うに、その後の英語にかけた莫大なエネルギーを考えると、その分を もっと多方面に用いたとしたら、結果は違っていたかもしれない。
入試制度に刃向ってはダメだったが・・・
いま、世界中の若者の間で日本語がブームだという。
わかる気がする。
日本語を操る場合、根本的に頭の使い方が違うということが知られている。
人類の言語の起源は日本語が元祖であり、平和な世界が開けていたのに横やりを入れる邪悪な奴らがいて現在の姿になった。
現在の日本語ブームは世界人類言語ルネッサンスと言えないだろうか?
無理か・・・・!
図書室の準備のため本棚をさばきまくっていたら昔の日記が出て来た。
前回( 60年前 の 大晦日 )より更に2年前(高校3年生)のお話です。前回の解放感に比べ決戦前の緊張感が感じられます。
1963年を終えるにあたって
今年も今日で終わり。
年頭の意気込みの6割位しか実地に移らなかったことを残念に思う。
思えば入学してこの方、クラブで息を抜いたものの、心に思うことは受験のことばかり(誰でもそうだろうが、口には出さない)、非常に息苦しい何者かに追っかけられているような3年間であった。
しかし、(旭丘は)秀才ぞろいで、欠点もあったが刺激もあり、色んなことにおいて不満はなかった。
今どきになって(志願)大学について、くよくよ考えることがあるが、勝手ながらこの時だけは旺文社(直前の模試の結果)を信頼し、名大は受かると信じよう。
何でも岐大は医のみ国立1期と同じ(試験日)だそうだから。
不幸にも浪人ということも考えられるが、この1年、毎日寝る前に反省することによって意義ある日々を繰り返した。
また1年受験勉強を繰り返すことになったら、それは高校時代のサボりの報いと考え、頑張ればよいのだ。
この忙しい受験期に日記なんて昔は考えも及ばなかったが、ここまで来るともう習慣で、つけないでいると気分が悪い。
折り目、切り目がついて大変生活が規則正しくなる。
休みが明けて模試、次に入試、当然のことだがしっかりやろう。
ベストを尽くさずしてあとで後悔してもむなしくなる。
やるだけはやろう。
又、来年も、ちょっとしたことでもよいから、思うこと、感じた事を少しずつ書こう。
忙しい時ではあるが・・・・
62年前の集中する自分に圧倒される。
1965年を終えるにあたって
紅白歌合戦が終わり、やっと大晦日という感じがしてきた。
あと8分で1966年となる。
今年は今までになく充実(?)した年であった。
入学試験 ― これは本当に受かって良かった、と思っている。
しかも在名(名古屋)校である。
入学してから、クラスは軽視したものの、クラブに於いては、かつてない経験をした。
ほゞ2つ年下のクラス、クラブ共通の友であるS.T.に巡り合ったのは幸運というべきか・・・
大學ではガリ勉は不必要としても、遊ぶことばかりやってもおられぬ。
これからは少し苦労するだろう。
落第は格好悪いが、学生時代をいつまでもやっていたいものだ。
少し酔ってきて、ろくなことしか書けない。
オヤッ! 年が明けたようだ。
図書室の準備のため本棚をさばきまくっていたら昔の日記が出て来た。
https://x.com/i/status/1999414793451831636
ジェイソン・モーガンさん:
『日本では縄文時代から文化と伝統と歴史がある。
外国人がこの国(日本)に来てすごいとほとんどの人が思うんです。
しかし、大勢外国人が入って来ると日本は壊れてしまう。』
自分の国の凄さに気付かない人のために
『YONEDA’S 建築史学入門』から抜粋しました。
お楽しみください!
移 築 説 のまとめ
# 『七大寺年表』 は法隆寺など移築された建物が記録された唯一の文書である。『逆賊磐井は国父倭薈だ』「長谷寺」参照。
# 観世音寺の中心伽藍の中門・金堂・五重塔・講堂・回廊と鐘楼・経蔵が移築され、斑鳩に配置を変えて法隆寺西院伽藍として、710年頃作られている。外観からは異なる寺院としか見えない。『法隆寺は移築された』参照。
# 観世音寺伽藍の一条通りに面した長大な北面堂(三十三間堂)は千体仏を安置しており、阿弥陀信仰が復活した平安末期に、平忠盛により移築され京都三十三間堂となった。『建築から古代を解く』「三十三間堂の謎」参照。
# 『源氏物語』玉鬘の巻で、三條が夕顔の女房の右近と再会した時の会話で、「あなかま、たまえ。大臣・公卿も、暫し待て。大貮の御舘の上の、清水の御寺の、観世音寺に詣で給ひしいきほひは、帝の御幸にやは劣れる。あな、むくつけ」と反論する。清水寺と観世音寺は同語反復されており、清水寺が観世音寺の別称であることが分かる。現在の観世音寺の正式名称は清水山 観世音寺である。京都の清水寺は『源氏物語』における筑紫の京の観世音寺の役割を荷負わされている。
# 東院伽藍は上宮王の住居を寺院に造り変え、創建観世音寺金堂の脇士である救世観音像、百済観音像を主仏として安置した観世音寺東院を移築したものである。
# 佐賀県三瀬村の谷にあったと考えられる長谷寺は日本(倭)国滅亡(672年)の後、解体し奈良に移築される。銅板法華説相図の作製は銘文から686年であり、このころ移築が行われたことが考えられる。『七大寺年表』には721年に「建長谷寺」とあり、一応の移築完成を見たのであろう。創建以来、本堂が6回焼け、現在の観音像は7代目と説明されるが、真実ではない。517年作の巨大木造彫刻 十一面観音像が現存するのである。
# 奈良東大寺は宇佐市小倉山東大寺から移築されており、大仏の下半身、大仏殿の部分、南大門などに移築が確認できる。『逆賊倭薈は国父倭薈だ』参照。
# 倭薈の終焉の地は宇佐市小倉山である。法域として整備され塔が建った。移築されたのが薬師寺東塔であり、移動した倭薈像、王子像は薬師如来像、日光月光菩薩像と呼ばれている。『逆賊倭薈は国父倭薈だ』参照。
# 福岡市街地の過去は近江の海であったが、現在の大橋の奥、井尻の対岸にあたる場所に三宅廃寺遺跡がある。それが日本(倭)国時代の石山寺である。石造文化の粋である石山寺の建物と石刻像は唐軍が中国に運び去り、山東省などに埋納した。古典籍などは名称とともに滋賀県の現在地に移った。
今まで4冊シリーズをお求め頂いた方に限り
20~30年前“陰謀学”にハマり関連書籍を買い漁っていました。
途中から米田良三氏の原稿を書籍化することに時間を奪られるようになっても、それは続き、本の山を見上げながら“引退後に読むことにしよう”と自分に言い聞かせていました。
いざ 毎日が日曜日になってみると、予想以上のパワー低下に見舞われ、当初の目標達成は無理と分かり、地域の人々に読んでもらおう、と考えました。
参考までにリストアップします。
タイトルが並ぶと一寸刺激が強くなりますので、著者名のみ列記します。
松本善之助、池田 満、
鳥居 礼、林 秀彦、
太田 龍、副島隆彦、
武田了円、広瀬 隆、
中丸 薫、馬野周二、
宇野正美、鬼塚英昭、
高橋良典、川崎真治、
高橋五郎、飛鳥昭雄、
佐治芳彦、米田良三、
久慈 力、古田武彦、
岩田 明、松重揚江、
加治将一、鹿島 曻、
鬼塚五十一、角田忠信、
安保 徹、近藤 誠,
八切止夫、
ヤコブ・モルガン、
ジョン・コールマン、
ユースタス・マリンズ、
ベンジャミン・フルフォード、
ケン・ジョセフ、
リチャード・コシミズ
刺激的なタイトルは“知る人ぞ知る”ですね。
かなりの時が流れましたので、当時 囁かれた予言が当たっているかどうかの採点もお楽しみ下さい。