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民営文化センター

民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

 

                           ブラジル人なら 知っている歴史

 

 

 

   天海祐希がまだドラマに頻繁に出ていない頃、民放のDNAをテーマにした番組に出演し、本人自身がシルクロードの果てにどんどん分け入り、大昔の共通の先祖の末裔に面会する企画がありました。

 

 

番組の初め、どんな顔が現れるのか興味津々でしたが、普通のおばさんでした。

 

 

 

現在のポルトガルにキリシタン大名時代の混血由来の日系の子孫がかなり存在することが分かっていますが、日本人の面影に関して現地では話題になっているのでしょうか?

 

 

 

ひょっとしたら、と思わせる一例がクリスティーナ・ブランコで、彼女の表情に日本的な雰囲気を感じます。

 

 

 

彼女の3枚の写真を挙げてみました。

 

                 

 

 

 

ファドの起源は意外に新しいとされますが、戦国時代頃の九州の悲しげな民謡(あるとすればの話ですが、例えば「五木の子守唄」の原始的なバージョン)が九州の女の子らによって持ち込まれたと考えれば、ファドの原点は日本ということになります。

 

 

五木の子守唄 (歌詞つき) 鮫島有美子

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その証明は無理ですが、もしブランコさんが日本のライブでファド風に編曲された「五木の子守唄」を歌い、本人と聴衆が目に涙を浮かべるようなハプニングが起これば、世界的な話題になるかも。

 

 

 

九州ではないのですが「竹田の子守唄」(赤い鳥バージョン)の方が泣けるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

紀元前の大分県にソロモンの船団が寄港しているという説もありますので日本人のDNA問題は単純ではありません。

 


 

      AB&JC PRESSの HP が休止中ですので       このブログで御案内しています。

 

 

歴史の流れをすっきり学ぶことができたのは、建築家の米田良三氏が著した一連の「建築史学シリーズ」のおかげです。

 

 

 

氏の著作の前半は新泉社から出版されましたが、後半は断られたため私が編集を受け持ち、20年の歳月を経て4冊セットにまとめあげました。

 

 

書店で扱うことはなく、Netで注文を受け付けています。

 

 

20セット制作し、あと残り18セットです。御面倒ですがGメールでお問い合わせください。

 

 

 

ここをクリック

 「米田建築史学シリーズ」全4冊セットが出来上がりました。  

 

 

  この医者は今後の人生どんな気分で過ごすのだろうか?

 

 

 

  素晴らしいブログを紹介します。

https://ameblo.jp/kyasutaka1/entry-12694771278.html

 

 

 

.  最新ブログの中にある動画です。早晩消されるでしょうね。

 

 

  2021.8月アメリカのオハイオ州教育委員会でのショーン博士の発言(ワクチン接種に関して)

 

 

  最後に拍手が沸きおこります。アメリカのリアルな状況が伝わってきます。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm39227074

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  地上波では絶対扱うことのない内容ですが、 You Tubeだから実現しました。

 

 

 

 「建築史学シリーズ」買おうかどうか迷っている方、必見です。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=_5ZdCTgahOw&t=57s  

 FUKUOKA Vacation】モンスター福岡の周辺散策お勧めスポットVol.32:「観世音寺を古代九州王朝で辿ろう!」

 

 

 

 

 

  皆さん本当によ~く勉強されてます。

 

 

 

引用ブログ

https://suzutama369.exblog.jp/29339201/  

筑紫君磐井 聖地小倉山  2019 03 30

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「東大、京大、国医」は国内における偏差値競争の最高目標を表す言葉として定着した感がありますが、

 

 

 

 コロナ騒ぎの今、それらの大学の真価が問われていることに気付いている人はほとんどいないようです。

 

 

 

テレビ・マスコミに登場する有識者・専門家は殆どが私大系です。

 

 

 

国も放送局もかつての偏差値秀才は使い勝手が悪いのか、本当のことを話されては困るのか、何れにせよ遠慮気味であることは確かなようです。

 

 

 

当の高偏差値君たちも自らしゃしゃり出ることを潔しとしない風潮があるのでしょう。

 

 

 

それとも、もっと別のことを深く考えているのかもしれません。

 

 

 

ここまで情報が飛び交っている現在、「沈黙」は即ち現状を認めることであり、ひとつ間違えれば国の崩壊を招きかねません。

 

 

 

このままが続けば、高偏差値集団は「わがまま」、「弱虫」、「正義なし」の烙印を押されることは間違いないでしょう。

 

 

 

昭和40年代の国立大学の授業料は1ヶ月1000円でした。

 

 

1000円あれば学食で1週間分のランチが食べられた時代です。

 

 

 

国公立系は今こそ国民に恩返ししなければなりません。

 

https://twitter.com/i/status/1424581200765624321

 

 

 

 

 

 

 

米田良三氏の『逆賊磐井は国父倭薈だ』に載っている移築前の大和長谷寺の所在地を見つけたい気持ちは募るばかりで、

 

 

 

2002年8月三瀬村の観光案内所に問い合わせたところ、そこの女性職員がとても親切で『三瀬村誌』等のコピーを送ってくれ、その中にある長谷山観音寺に強く惹かれました。

 

 

 

2007年11月、名古屋駅発一番列車で日帰り弾丸ツアーを試みました。

 

 

 

特記すべき収穫は無かったので、一先ず観音寺跡周辺を手当たり次第に撮影しました。

 

 

 

冒頭の写真はその時の一枚ですが、後になって、その写真に長谷寺跡の一部が写っていることが判明したのです。

 

 

 

このような活動で米田氏の背中を押し続けていた頃のある晩「倭国長谷寺の所在地が分かった」との電話が入り、それ以来、三瀬村の地図の見え方がガラリと変わりました。

 

 

 

現在の地図上の寺院が かつての長谷寺のパーツの跡地であり、それらをまとめて巨大な敷地を形成していた倭国長谷寺の全貌を把握した米田氏の建築のプロとしての眼力には脱帽です。

 

 

 

現地でのディスカッションは大正解でした。

 

 

 

一人で出かけていたら何も分からないままだったことでしょう。

 

 

 

通説に縛られないと歴史はこんなにも楽しい、と実感しました。

 

 

 

以下の地図を頼りに倭国時代の長谷寺の境内に佇んでみませんか。

 

 

 

 

 

 

 

「米田建築史学シリーズ」全4冊セットが出来上がりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

.24日「中日新聞」夕刊のコラムです。

 

 

「この記事読んだっ」と勝ち誇ったように突っ込まれました。

 

 

時は止まり、世界は凍り付いています。

 

 

残りの時間が限られているのにこのザマ。

 

 

何とかならないものか?

 

 

人生の価値がどんどん目減りしている。

 

 

1年前の自分のブログを見て驚いた。

 

 

人類はこの1年間 何をしていたのだろうか? 

 

 

 

再掲します。

 

 

 

「幸せなら手をたたこう」

 

 

御存知、坂本 九 の歌で有名です。

 

 

最近のこの国の雰囲気からすると、わざわざ“幸せなら態度で示そう”とする人はいないでしょう。

 

 

そんな事をしようものなら袋叩きに会うのが関の山。

 

 

総中流だった時代は今は昔、東南アジアより貧乏な東朝鮮と言うのが実態ですので、今は“不幸せなら”とか“不満があるなら”態度で示す段階です。

 

 

インチキっぽいコロナ騒ぎの現在、国民の大半が糞真面目にマスクを着けているようでは今後も政権はやりたい放題が続きます。

 

 

“マスクなし”が極悪人扱いされる世の中は明らかにおかしく、他人に迷惑をかけないためのワクチン理論と発想は同じです。

 

 

PCR検査信仰とマスク必装着はまだ続きそうです。

 

 

猫の首に鈴を付けるのは誰でしょう。

 

 

そろそろ国民が態度で示さないとこの国はお終いです。

 

 

高知大学の名誉教授の動画は“科学理論の大切さ”を教えてくれます。

      

     

 

https://www.youtube.com/watch?time_continue=383&v=UNUPdLAAmPI&feature=emb_logo

 

 

 

 

 

「米田建築史学シリーズ」二人の方から注文があり、さっそく発送しました。計20セットです、お早めにどうぞ。

「米田建築史学シリーズ」全4冊セットが出来上がりました。

 

 

 

 

 

 

「米田建築史学シリーズ」全4冊セット(限定20セット)が出来上がりましたので、興味のある方はお問い合わせください。

 

 

 

日本を巻き込んだ世界激変の今、この国の本当の姿を知るべきであり、海外にもアピールする時がやって来ました。

 

 

 

制作実費以下に抑えた価格設定にしますので、今まで発展途上本をお求め頂いた方々には買い替えの良い機会だと思います。

 

 

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先ずはGメールをお寄せ下さり、それから考えてください。

    (abandjcclub@gmail.com

 

 

 

「かごに入れる」方式でなくアナログ的ですが、Faxの時代よりは進化していることを御評価願います。

 

 

 

尚、個人情報厳守お約束します。

 

 

 

 

 

  現在、多くの日本人が自分の好みで神社やお寺を選んで初詣することは不思議でもなんでもないし、信仰について聞かれると「無宗教」と答える理由は大和朝廷の始まりから、ひとえに神でも仏でもある国父倭薈の存在が隠されているためである。

 

 

名前を二つ持っている日本人(?)は阿弥陀=八幡大菩薩を拝む立場ではないので初詣には出掛けない筈だ。

 

 

周りを観察してみよう。

 

 

前回の続き

 

倭讃の時代、418年に火火出見(ほほでみ)(神武)は近畿地方の狗奴国を征服する。

 

 

これによって日本列島は統一されたが、その後、458年に若狭、福井辺に(南朝鮮を経由して)上陸した天皇家が勢力を増し、やがて近畿地方を勢力下に置いた。

 

 

531年の磐井の乱の継体軍6万は、天皇家の直属軍と主に元の狗奴国の人びとによって構成されていた。

 

 

倭薈を殺された倭国民は怒り、悲しみ、継体軍関係者を畜生にも劣る者と差別した。

 

 

当時のアジアからは倭薈のもとに多くの僧が集まっていた。

 

 

そして彼らも同様に継体軍関係者を許せないと思い、自分の国に戻ったようである。

 

 

  しかし時間が過ぎれば彼等は許される。

 

 

倭薈の教えが、たとえどのような人でも極楽に行きたいと思えば行けるというものであったからだ。

 

 

乱後復興に始まる140年間が倭国文化の高潮期である。

 

 

のちに大和の地に移築される薬師寺、東大寺及び法隆寺はこの期に造られるし、風土記、万葉集、源氏物語も出来上がる。

 

 

乱の罪を許された天皇家は再び勢力を盛り返し、扶桑(ふそう)国を造り、672年に壬申の乱によって慈悲の倭国王家を滅ぼす。

 

 

そして倭国王の地位に代わって座り、倭国民を統治する。

 

 

統治の手段として磐井の乱後に行われた怒りの差別を復活し、被差別部落民を顕在化させた。

 

旧倭国民の統治に対する不満を被差別部落民を置くことで解消させたのである。

 

 

被差別部落民は672年の壬申の乱までは公式の天皇家の家来であったのだ。

 

 

この入り組んだ差別の構造を理解しない限り、この問題の解決はない。

 

 

  また天皇家の大陸から行動を共にした直属軍は国外に移動した記録はなく、日本の中に配置されたことは明らかである。

 

 

  磐井の乱の時点と太平洋戦争敗戦時の日本の構成を図示すれば次のようになる。 

 

 

 

  理系ならではの集合論的表現は見事。

 

 

この図でさえ、始めのころは良く理解できなかった。

 

 

右の大ピラミッド内のドットは さしずめ工作員諸君といったところでしょうか

 

 

 お知らせ

 

「米田建築史学シリーズ」全4冊セット(限定20セット)が出来上がりました。

 

発送準備中ですので、しばらくお待ち下さい。

 

 

 

倭国九州王朝の存在を否定すると、その後の権力構造の説明が難しい。

 

 

米田氏の説は分かりやすいのだが、それでも始めの頃は理解できず、苦しめられた。

 

 

前回の続き

 

中国の正史『宋書』に遣使した倭国王の名が記される。

 

 

421年の倭讃に始まり、珍、済、興そして武の5人の王で「倭の五王」と呼ばれる。

 

 

倭薈は最後の倭武(いぶ)の息子として500年に生れ、11歳で倭国王となる。

 

 

そして32歳の531年に大和朝廷の先祖である継体(けいたい)に殺害される。

 

 

生前すでに大聖人であったと思われ、日の丸のイメージを具現化していた。

 

 

  因みに君が代は倭国王家を讃える歌として500年頃にはすでに一般に歌われていた。

 

 

  倭薈は死後、仏教徒から阿弥陀如来と呼ばれ、神徒からは八幡大神と呼ばれ親しまれた。

 

 

  入れ墨をした特異な王であったからか、ヤクザも八幡大神を祭った。

 

 

 また大和朝廷は継体天皇の先祖に倭薈をモデルとした応神天皇を置いている。

 

 

  倭薈を殺した張本人であることを悟られないための組み立てなのであろうか。

 

 

 『列島合体から倭国を論ず』で述べたように、『日本書紀』の編集に携わった元倭国文化人はこの組み立てを利用して、倭薈の生まれた年、王となった年などを正確に記録した。

 

 

  そして『日本書紀』後の日本人は応神天皇の名前を利用し、倭薈の業績を語り継ぎ、記録してきたのである。

 

 

 つまり国父倭薈は阿弥陀如来と八幡大神と応神天皇を足した存在である。

 

 

  生前の20年間は国王であり、大聖人として生きたであろう人物である。

 

 

  大和朝廷はこの人物の存在を日本人が知ることがないようにしてきたのである。(続く)

 

 

お知らせ

 

「米田建築史学シリーズ」全4冊セット(限定20セット)が出来上がりました。

 

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