片仮名は韓半島から伝わったそうです。 | 民営文化センター

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民営の文化センターを開設するのが夢。このブログを書いているうちに何かヒントが掴めると思ってやっています。不器用で華やかさに欠ける画面ですが、少しでも世の為人の為になればとwrite everything forever

https://www.nicovideo.jp/watch/sm21747823

 

 

 

いかに国営放送と言えども、教科書と異なる新説を公表するには かなり覚悟が要ると思うのですが、お気楽にやっています。

 

 

 

歴史アカデミズムの防御ラインを易々突破する様は日本人離れしています。

 

 

 

“片仮名”朝鮮半島由来説が放映されるなら「法隆寺移築説」もやって欲しいものです。

 

 

 

ハッキリ“仮説”扱いでも構いませんので・・・

 

 

 

因みに、米田良三氏の「建築史学シリーズ」のNo.日本国王室全滅亡 東アジアの悲劇に以下の文章があります。

 

 

 

ところで、韓国の忠清道青陽郡に長谷寺がある。

 

 

百済の都が置かれた扶余の地である。

 

 

現在韓国の長谷寺と呼ばれ、850年に普照法師により創建されたと説明されるが、長谷寺の麓には長谷里という里が在り、倭国の地に造られた諸国長谷寺と同じ配置を持つ。

 

 

520年から540年の韓半島の倭国の地に造られた長谷寺であることを否定できないのである。

 

         

 

 

 

倭国時代の517年、佐賀県三瀬村に倭薈(ゐわい)と柿本人麿によって長谷寺が創建されて以来、爆発的な観音信仰の広がりにともなう長谷寺ブームが起こり、日本全土に多くの諸国長谷寺が造られ、その勢いは現在の中国(大唐国宋州岩山新長谷寺)、韓国(忠清道青陽郡)にまで及びました。

 

 

 

現在の大和長谷寺本堂、三門はオリジナルで721年九州から移築されたものです。

 

 

 

つまり、最古の木造建築は法隆寺ではなく長谷寺です。

 

 

 

 

 

さて、このニュースで取り上げる文献は、この倭国の時代より随分後のものですので、文化・文明の流れの法則に逆らうような解釈(低い側の用いたメモの方法が高い側で大いに普及する)には無理があり、見ていて辛いニュースです。

 

 

 

まあ、皆さん色々立場がおありとは思いますが、

 

 

歴史、とりわけ古代史はすべて仮説の塊です。

 

 

重鎮が「うん!」と言えば定説となるのが現状です。