
アカデミー賞作品賞を含む7部門を獲得した、クリストファー・ノーラン監督「オッペンハイマー」が少し前にかなり話題になりました。ご覧になられた人も多いと思いますが”原爆の父”と呼ばれたオッペンハイマーを題材にした物語です。日本でも数多く原爆を描いた秀作があります。関川秀雄監督の「ひろしま」、今村昌平監督の「黒い雨」、新藤兼人監督の「原爆の子」などで、ほかにもたくさんの作品があります
それらの映画とは一線を画した原爆を題材にした”ぶっ飛び映画”があるのをご存じでしょうか?それは1979年公開の伝説の長谷川和彦監督作品「太陽を盗んだ男」です
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「太陽を盗んだ男」
1979年/日本(147分)
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日本映画界の異端児と言われる長谷川和彦監督作品で、原爆を作って国家に挑戦していく姿を描くピカレスク・ロマン!

▲左から長谷川和彦監督、沢田研二、菅原文太
監督
長谷川和彦
音楽
井上堯之
キャスト
沢田研二/城戸誠
菅原文太/山下警部
池上季実子/沢井零子
北村和夫/検察庁長官
神山繁/総理秘書
佐藤慶/市川博士
風間杜夫/ラジオプロデューサー
水谷豊/交番の警官
監督は、30才で「青春の殺人者」(76)を撮り話題になった長谷川和彦監督で、本作が監督2作目になります。さまざまな伝説を残し”ニューシネマの旗手”と呼ばれた長谷川和彦監督もこの作品のあとは監督としての作品はなく、生涯2本しかメガホンを握っておりません。音楽は、グループサウンド全盛時に堺正章らと共にザ・スパイダースで活躍し、その後井上堯之バンドを率いて「太陽にほえろ」など数々の映画、ドラマを担当した井上堯之です。さらに「セーラー服と機関銃」「台風クラブ」の相米慎二、「ドッペルゲンガー」「散歩する侵略者」の黒澤清など、後に日本映画界を背負う人材がスタッフとして名を連ねています

▲沢田研二/城戸誠(犯人役)

▲菅原文太/山下警部

▲池上季実子/沢井零子
1970年代終盤の日本_
普段は冴えない中学の理科教師の城戸誠(沢田研二)。彼は東海村の原子力発電所からプルトニウムを盗みだし、たったひとりで自宅のアパートで原子爆弾を製造した。城戸は原爆を武器に、以前バスジャック事件に遭遇した時に知り合った山下刑事(菅原文太)を交渉相手に、国家に対して奇想天外なさまざまな要求をする。城戸の行き当たりばったりの要求を経て、やがて山下警部(菅原文太)らの警察に追い詰められていくのだが・・・
冒頭から閃光とともに原爆がさく裂する情景から始まり度肝を抜きます!


圧倒的パワーのエンタメ作品
主人公は中学の科学教師の城戸誠(沢田研二)。原子力発電所からプルトニュウムを盗みだし、ひとりで原爆を作り出した上に国を脅迫するというぶっ飛んだ物語です。よくありがちな核による戦争を描いたり、諜報部員が活躍して盗まれた核を取り戻すというような娯楽アクションではありません
この映画のことを「荒唐無稽なクソ映画」という人がいるのは事実です。公開時にはエンタメ映画としてかなり話題にはなったもののヒットはしませんでした。しかし、一部の熱烈のファンからは熱い支持を受け、長らくカルト映画の位置づけでしたが、近年見直されつつある作品です。従来、原爆を題材にした映画は圧倒的に被害者側に立った重い内容が多いのですが、この映画は加害者側に立ち、日本では珍しいエンタメ作品に仕上げています
この映画を初めて見た時の印象が、スコセッシ監督の名作「タクシードライバー」(76)と似ていると感じました。何かをしたいけど何をすればいいのかわからない若者の焦燥感、都会の闇を描いた「タクシードライバー」と心情的には似ています。決定的なのは”原爆”を据えたことです。その破壊力(映画のインパクト)たるは想像以上で、一度でもご覧になった方には判ると思いますが、映画からほとばしる熱量は見る者を圧倒します。まさに”ぶっとび映画”です!単なるエンタメから一歩も二歩も抜きん出ており、じっくり読み取れば超一級の社会派ドラマでもあります
物言わぬ群衆、つまり日本人の凋落ぶりを暗示しており、ある意味歴史を振り返る意義ある作品だと思います



沢田研二VS菅原文太
公開時、菅原文太さん46才、沢田研二さん31才で、2人とも人気絶頂の時期で画面からも勢いがひしひし感じます。配役では、歌手としても絶大の人気を誇ったジュリーが反体制側の犯人を演じ、ヤクザ映画で一世を風靡した文太さんが体制側の警察と言うのも面白い。当時歌手として人気絶頂のジュリーのスケジュールが空くの1年以上待ち、対して「トラック野郎」シリーズがヒット中の菅原文太さんとの調整でさらに時間がかかり、難産の上に生まれた異色コンビでした。映画を見ればおわかりいただけますが、城戸(沢田研二)は無気力な70年代のシンボル、そして山下警部(菅原文太)は日本という国の象徴のように描かれています
ストーリーや展開は「ええ?」と首を傾げたくなるところも多いですし、45年も前の映画ですから古さや陳腐さは否めません。さらに主人公の二人以外の描き方が雑で、特に池上季実子のシーンは必要だったのでしょうか?それでも沢田研二と菅原文太の二人を軸に「中学教師が原爆を作り、国家を脅迫する」という荒唐無稽な物語を、それらを超える圧倒的な映画のパワーに満ち満ちている快作です
原爆をタテに政府に要求したことは
「プロ野球のナイター中継を最後まで見せろ!」
「ローリングストーンズの日本公演!」
そのほかにもいろいろ無茶な要求をするのですが一貫性がなく、主義主張がありません。もともと城戸は原爆を持つことが目的なので、要求は行き当たりばったりです。何かをしたいけど何をしていいかわからないというあの時代の若者の葛藤を浮き彫りにしています。さらに、電話の中で自分を”9番”を名乗っていたのが印象的です。当時の核保有国が非公式を合わせて8カ国でしたから、”9番目”というのは大きな意味を持ちます
やる事がすべて規格外で、今は無き渋谷東急百貨店のシーンや、札びらをビルから降らせるシーン、さらに今では絶対に出来ない首都高や皇居前、国会議事堂などのゲリラ撮影は、予め警察に自首する要員を何十人も用意されていたと言いますから、やることがケタ外れです。ただ、それによって臨場感あるエネルギッシュな映像も納得できます。個性的な2人を主役に据えたことでエンタメ色が強く、若干薄っぺらく感じるのは残念ですが、前半のポップな展開から後半は怒涛のアクションの連続。いわゆる反体制のピカレスクロマンで、未だに「日本映画史上最高の一本」に推すファンも多いと言います

「太陽を盗んだ男」(79年)/沢田研二、菅原文太

「青春の殺人者」(76年)/水谷豊、原田美枝子
伝説の長谷川和彦監督
長谷川和彦監督のデビュー作は、水谷豊主演の「青春の殺人者」で1976年度キネマ旬報年間ベストワンに輝き、2作目の本作が1979年度キネマ旬報年間ベスト2に輝いています。ちなみにその時の1位が今村昌平監督の「復讐するは我にあり」でした。監督デビューから2作品をキネマ旬報で1位と2位を取り華々しいスタートを切りながらその後の監督作品はありません。長谷川和彦監督には、酒、麻雀、女、喧嘩とさまざまな豪傑伝説があり、やんちゃなエピソードにはこと欠かない伝説の監督です。その背景には長谷川監督自身が広島生まれで「胎内被爆」しており、一般的に被爆二世は早死にすると言われており、わたしには人生を生き急いでいるように見えました。そしてそれは、物語の主人公である城戸誠とダブって見えます
そんな型破りの長谷川和彦監督が、生涯2本の映画しか撮れなかったのは不思議であり残念です。何度も新作映画の噂が流れたもののついに実現しませんでした。公開後十数年も経ったあと、この作品のメイキングビデオを見た長谷川監督自身が漏らした一言が
「こいつ(長谷川和彦)にもっと映画を撮らせてやりたかったなあ~」
自分の考える映画が撮れないのならば撮らないという生きざまは、当時の映画界では狭すぎたのかもしれません


70年代の日本への警鐘
この映画が恐ろしいところは、舞台が唯一の被爆国である日本だということです。そして、その恐怖を感じないままに見ていることです。つまり、被爆の記憶が歴史のかなたへ置いていかれていることです。物語の最初の方に、戦争の悲しみを知る老人が「天皇陛下に合わせろ」と言ってバスジャック事件を起こし、射殺されたことで犯人の城戸誠のスイッチが入ります。城戸の口癖は「この世の中はクソだ!」で、無気力に過ごす自分や世の中に苛立ちがあったことは間違いありません。この映画の題名になっている「太陽」は原爆のことを指していますが、もっと掘り下げれば”希望”や”悲しみ”そして”警告”というような意味があった気がしてなりません。つまり、バスジャックの老人も城戸も同じで、その「太陽」を手に入れたかったのではないでしょうか
何度も言いますが、45年も前の映画ですから古さや陳腐さは否めません。今の映画を見慣れた人たちには本作のような70年代の映画は安っぽく映ることでしょう。今の邦画は技術も大幅に進歩していることもありますが、音楽と画像で魅せる優等生の映画が多いです。それ自体はいいことに違いないのですが、ある一定の枠からはみ出せない印象です。本作は、かなり脚本が大雑把で娯楽映画としての完成度が高いわりに、大事なメッセージ性が弱く残念に思います。いい意味でも悪い意味でも長谷川監督のワンマンの映画で、もっと練られた脚本と製作費が加わっていれば日本映画史上最高の映画に成り得たに違いありません。それでも、じっくり長谷川ワールドを味わっていただきたい。この70年代の熱い思いを味わっていただきたい。たかがエンタメ映画と思うなかれ!高度成長の70年代に作られたこの作品に、日本人としてこの歴史とどう向き合うか問うていると感じました
この時代(70年代)と今では核に対する認識もかなり違ってきています。しかし、2023年のG7広島サミットで「核のない世界」を目標に掲げていたにも関わらず、先ごろアメリカの臨界前核実験(核兵器の新たな開発や性能維持のため)が行われ、核の恐怖は相変わらずです
ラスト近くに、争い合った山下警部(菅原文太)が城戸(沢田研二)に向かっていうセリフが印象的です
「俺にはお前が死にたがっているように見える」
「お前が殺したかったのはお前自身だ!」
公開当時、日本はアメリカに次ぐ世界の経済大国でした。過去を顧みずまっすぐ成長だけを目指し続けることへの警告のように聞こえます

核の原点は何を語ったのか?
2023年に公開され、アカデミー賞7部門を獲得した「オッペンハイマー」にも少しだけ触れておきます。歴史に残る傑作と言われる反面、世紀の駄作という声もあり賛否のある作品です。どんな映画にも賛否はつきものですからそれについて何か言うつもりはありませんし、私自身も一度見ただけで十分に理解できたとは思っていません。ただ、好き嫌いは別にして単純に映画として評価するのならば登場人物が多すぎる上に専門知識が求められ、さらにノーラン監督得意の時間軸を組み替えているので分かりにくいということででしょうか
「オッペンハイマー」は”何を語った”のか?
そして、”何を語らなかった”のか?
重厚でいい作品であることは認めますが、今ひとつテーマが見えてきません。科学者としての苦悩、人としての倫理観を問うているのだと思いますが、それにしては被爆国の惨状が全くといっていいほど描かれておらず、絶対的に説得力に欠けます。どう見ても戦争に勝った国の論理で作られているように見えます。敗戦が確実視された日本へ、あの時点で投下する必要があったのでしょうか?科学者のエゴ、国の威信etc・・・そのほかにも個人的にいろいろ思うところがありましたが、今の私の頭では整理しきれていないというのが本音です。もう少し事前準備をして、あと何度か見なければわからないと感じました。ただ、この映画はある意味秀作だろうとは思いますがレビューする気にはなれません。クリストファー・ノーラン監督は今まですばらしい映画をたくさん残しており素晴らしい監督であることに異論はありません。ただ、彼がなにを言いたかったか私の頭では最後まで理解できませんでした
クリストファー・ノーラン監督は好きな映画監督の一人なのですが、彼にこの微妙なテーマは向いてないように感じてなりません。「メメント」「TENETテネット」「インセプション」は面白い映画だと認めますが、「ダンケルク」を見てわかるように抒情的な作品にふさわしい監督だとは思えません。「オッペンハイマー」は何を語ったかというより、なにを語らなかったのかだと思います。科学者としての好奇心なのか、愛国心なのかわたしには最後まで理解出来ませんでした。あのアメリカが”原爆”をとり上げる以上、全世界に認められる(賞の有無やヒット)映画でなければなりません。今一番稼げる監督の一人というのが、理由のひとつであったと推測します。ただ、多くの人に核というものに対して向き合う機会を作ってくれた映画であったことは間違いないです


忘れられない叔母の白い手
ラストシーン_大量の放射能を浴びた上に屋上から落ち、ひん死の状態で城戸(沢田研二)は原爆を持ちながら街を歩きます。城戸もまわりの人間もお互いのことなどまるで無関心で、いつものようにガムを噛みながら抜けかけた髪をむしり、うつろな目で街をさまよい続けます。繁栄し続ける街、ネオン、楽しそうに歩く人々・・そんな景色をバックに響く爆弾のカウントダウンの音を聞いて背筋が凍る思いでし死
個人的な話しになりますが昭和20年8月、まだ小さかった叔母(母の妹)は広島で被爆し20年近くの闘病生活の末、若くして亡くなりました。わたしがまだ小学校に上がる前に一度だけ広島の病院に連れていかれたことがあります。初めて私と対面した叔母は「あなたが〇〇クン?鼻筋と目が亡くなった○○姉さん(私の母の名)そっくりね。負けん気が強そうないい顔してるわ」「わたしね、もうずいぶん長いこと外を歩いたことがないの。可笑しいでしょ?いつか病気が治ったら一緒に歩てくれる?」そう問われて、私は「うん!」とだけ返事をしたのをうっすらと覚えています。その時の叔母は、ガリガリに痩せてはいるものの、色白で怖ろしいくらい美しい人でした。そのころは病状も悪化して”外を一緒に歩きたい”という儚い願いは叶うことなく、その後すぐ亡くなったそうです。被爆の事実も病名もずっとあとで一番上の叔母に聞かされました。わずか30分ほどの短い時間でしたが、わたしに会うことを何年も前から強く望んでいたと聞きました。最初で最後に見た叔母の若く美しい顔と、透き通るような真っ白な手を今だに忘れることはできません
目ざましい科学の進歩で私たちは便利さと快適さを手に入れました。ただ、それと引き換えに温暖化という途方もない化け物に襲われています。そもそもの発端は、この映画でも訴えている人間の無関心さです、想像力のなさです。対岸の火事と思っている戦争や核の恐怖はずっと終わりません。どんな正論を聞かされようと戦争や核使用が許されるべきではありません
相変わらず世界のどこかで争い続き、いまだに核の恐怖、いや日本に関してはその恐怖さえ希薄になりつつあります。映画はエンタメであると同時に未来へのメッセージです。わたしたちは”試されている”のだろうと思います
レンタルなどで見るには難しいとは思いますが、45年前の熱き思いを是非感じていただけたらと思います