浮遊家具

浮遊家具

映画 大好き また 始めたいと思います。黄斑変性、SLE、双極性障害で仕事ができなくなり、一人、家の中にいる自分、置き場所のない浮遊して漂う家具のよう。ただ、時間だけが進んだ、治癒は進み現在に至る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あらすじ

無実の罪で収監された男ディヴァイン G は、刑務所内更生プログラムである<舞台演劇>グループに所属し、収監者仲間たちと日々演劇に取り組むことで僅かながらの生きる希望をそこに見出していた。そんなある日、刑務所いちの悪人として恐れられている男クラレンス・マクリン通称“ディヴァイン・アイ“が演劇グループに参加することになる。更には次に控える新たな演目に向けての準備が始まり――。ニューヨーク、最重警備の刑務所で生まれた感動の実話。






製作国・地域:アメリカ上映時間:107分


監督

グレッグ・クウェダー

脚本

グレッグ・クウェダー

クリント・ベントレー

出演者

コールマン・ドミンゴ

クラレンス・マクリン

ポール・レイシー

ショーン・サン・ホセ






つぶやき

Sing Sing を観てまず驚いたのは、「刑務所映画なのに空気が優しい」ということだった。
もちろん舞台はニューヨーク州の厳重警備刑務所シンシン刑務所。そこにいるのは重い罪を背負った男たちばかりだし、閉塞感もある。なのにこの映画は、暴力や恐怖で観客を支配しようとしない。むしろ静かに、人が人らしさを取り戻していく過程を見つめ続ける。
中心になるのは、刑務所内で行われている演劇プログラム。
受刑者たちは舞台の稽古を通じて、普段は絶対に見せない感情を少しずつ外に出していく。
最初は正直、「よくある感動系かな」と思っていた。
芸術が人を救う、みたいな話は映画でも珍しくないし、下手をすると綺麗事だけで終わってしまう。
でもこの映画は全然違った。
一番大きいのは、“演技している感じ”がほとんどないこと。
セリフの間、視線の泳ぎ方、ちょっとした照れ笑い、急に感情的になる瞬間、その全部が異様にリアルだった。
その理由を知ってさらに衝撃を受けた。
出演者の多くが、実際に収監経験を持つ元受刑者たちだった。
しかも単なる話題作りではなく、実際にシンシン刑務所の更生プログラムに参加していた人たちが、自分たちに近い立場の人物を演じている。
だからこの映画、途中から“映画”というより、“人生の再現”みたいに見えてくる。
特にディヴァイン・アイの存在感が凄かった。
最初は荒っぽくて、周囲と衝突しそうな危うさを持った人物として登場する。でも演劇に参加していく中で、少しずつ感情を表現できるようになっていく。
その変化が、普通の脚本映画みたいに「ここで成長しますよ」とわかりやすく描かれないのが良い。
本人ですら、自分の感情をどう扱えばいいのかわかっていない感じがある。
怒り方も不器用。
褒められ方にも慣れていない。
誰かを信頼すること自体に戸惑っている。
でも舞台の上では、少しだけ別の人間になれる。
その瞬間だけ、受刑者番号ではなく、一人の役者として扱われる。
この映画が本当に凄いのは、その“ほんの少しの尊厳”を大げさに演出しないところだった。
感動音楽を流して泣かせに来るわけでもない。
人生逆転のサクセスストーリーにもならない。
冤罪問題も、刑務所制度の残酷さも、簡単には消えない。
それでも彼らは芝居を続ける。
なぜなら演じている間だけは、「犯罪者」というラベルから少し離れられるから。
そこがものすごく切なかった。
コールマン・ドミンゴの演技も圧巻だった。
静かで理性的で、仲間を支える存在なのに、内側にはずっと疲労と孤独を抱えている。
特に印象的だったのは、彼が“希望を信じ続けること”に疲れているように見える瞬間。
前向きな言葉を口にしながらも、「もし何も変わらなかったら」という恐怖を常に抱えている。
その繊細な揺れを、ものすごく静かな芝居で表現していた。
あと、この映画は「演劇」を特別な高尚芸術として描いていないのも良かった。
稽古中はみんな普通にふざけるし、笑うし、揉める。
くだらない冗談で盛り上がる。
でも、その“遊び”みたいな時間が、彼らにとっては社会との接続になっている。
刑務所という場所では、人間関係が基本的に“防御”になる。
弱さを見せれば危険だから。
だけど演劇は逆で、「感情を見せること」が必要になる。
泣く。
笑う。
怒る。
愛情を表現する。
普段の刑務所生活では封じ込めなければならない感情を、舞台の上では出さなければならない。
だから彼らは、演技を通して少しずつ“人間”に戻っていく。
終盤の舞台シーンは、本当に不思議な感動があった。
決して派手ではないし、劇的な展開でもない。
でも彼らが全力で芝居をしている姿を見ていると、「自由って外に出ることだけじゃないのかもしれない」と思えてくる。
刑務所映画なのに、暴力ではなく“対話”が中心にある。
怒鳴り合いではなく、“読み合わせ”にこんな熱量が宿る。
そして観終わったあと、出演者の多くが本当に収監経験者だと改めて思い出すと、映画の重みが一気に変わる。
これは単なるフィクションではなく、「表現することで生き延びようとした人たち」の映画だった。