風来坊家「とし」の写真集ー「一日一写」

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そこにそれがあるのは、「桶狭間」が由来かもしれないと、ちらっと、感じた。



駅前の風景は、至って普通の私鉄駅前。

でも、少し、進んでいくと、、、







「前後」の隣駅と言えば、、、



中京競馬場前 駅





今回は、レースがやっていなかったが、、、

ここに有る事自体が、桶狭間に由来するんじゃないか???

なんて、思ってしまいました〜

30日は、やっていなかったので、中には、入れませんでしたが、、、^^;




ここから、名鉄さんに乗りました〜


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日本史上、世紀の一戦の地に着いた。

あれ、すげー 谷間だと思っていたのに、、、^^;










ここは、日本 戦国史 一の戦場の地












桶狭間

駿河国の今川義元の大軍を、三河の小国の「織田信長」が、勝った地。

ここで、歴史は、動き出したようだ。

今川義元の陣は、「2万5千人」に対して、、、、

織田信長は、「2千人」で奇襲したそうだ。

それも、5月19日 梅雨の時期。

ここで、それまでの「駿河国」、「三河国」を統治していた「今川義元」は、討ち死に。。。

そして、その勢いで、織田信長は、今川方の三河国の諸城を攻めていき、勝ち進んでいったそうだ。

ちなみに、「駿河国」の「松平元康」(後の「徳川家康」)も、、、、

今川軍側の武将であったそうだが、この時は、食料等の調達のために、後方であったそうだ。。。



桶狭間と言われると、この時代史を詳しくない私は、ついつい、大きな谷間だと思っていたのだが、

意外と、平原であったことには、驚きでした。


「桶狭間 古戦場観光案内所」
https://www.nagoya-info.jp/useful/guide_detail/23/


今回は、夕方に着いたので、観光案内所は、やっていなかったのだが、、、
世紀の一戦場と、織田信長・徳川家康の存在が、戦国史に出てくる大いなる一戦の地が、ここだったことには、ちょっと、驚かされてしまった。




「前後」と言う地名がこのことから来ているかどうかは、わからないが、、、、

この地に、今も、「馬が走っている」ことは、この「桶狭間の戦い」がためなのかもしれないと、感じてしまいました。

それは、明日にでも



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岡崎 味噌樽が江戸などへ運ばれた「矢作川」を東海道で渡り、、、、

名鉄の各駅停車の駅「矢作駅」より、、、






新安城で、特急に乗り換えて、、、



前後駅へ

この前後駅のある「豊明市」は、、、、

あの日本史上、歴史がひっくり返る地であったことを、降りてみて、初めて気付かされました〜

こんなところだったんだねぇ〜

その話は、後ほど




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関東人には、徳川家康と言えば、、、

浜松・静岡・水戸のイメージが、なぜか、強い。

徳川・御三家と言えば、「紀伊藩」「水戸藩」、、、、

そして、「尾張藩」でした。


でも、、、「三河国」で、「家康」に遭遇するとは、、、

それも、あの中京圏を代表する「味の町」で、、、








私は、今まで、徳川家康と言えば、「駿河国」、あるいは、「遠州国」の生まれだと、思い込んでおりました。

なんせ、「静岡市」も「浜松市」も、やたらめったら、「徳川家康の街」と名乗っているので、、、、

でも、今回、東岡崎駅で降りたら、、、、^^;


「徳川家康 と 八丁味噌 は、
岡崎 生まれだ!!」


と、大々的に、自慢しておりました、、、^^;

















確かに、名古屋などの中京圏においては、「みそカツ」などの「味噌食文化権」であることは、重々、承知しておりましたが、、、

その由来は、、、「徳川家康」の出身地である「岡崎市」の、、、

「八丁味噌は 愛知県岡崎市八帖町・八丁町が発祥。
同市同町の製造業者は大田弥治右衛門家を由来とする「まるや八丁味噌」と、早川久右衛門家を由来とする「合資会社八丁味噌」(カクキュー)の2社が有名。」
(Wikipedia「八丁味噌」)


実は、私も、「八丁味噌」と言うモノは、知っていました。
名古屋駅で降りると、必ずや、八丁味噌の味噌カツやらが、売られているし、中京圏のどこに行っても、味噌カツが売られているし、、、

ただ、八丁味噌の由来については、今回、東海道「岡崎宿」に着いてみて、初めて、知りました、、、^^;

ちなみに、一応、岡崎市の八丁味噌と正式に名乗れるのは、
「カクキュウ(□久)」と、「まるや」の二社だけだそうです。


「八丁味噌協同組合 オフィシャルサイト」
https://www.hatcho.jp/


みそ樽を抑える、石ころが、、、ごろごろと転がっていたのも、見どころでした〜





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江戸時代の徳川幕府が、作り上げた「宿場町」と「松並木」





東海道五十三次

「御油宿」と 御油の「東海道・松並木」

一応、調べた限りは、平安時代も、一応、愛知県については、「東海道」は、このルートであったようです。


ただし、国鉄が、「東海道本線」を作る際には、勾配がきつかったからなのか、、、

海寄りの「蒲郡」を通るルートになってしまいました。

そのために、この愛知県内の国道1号線と、東海道線は、かなり、離れた場所を走っております。



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ちょっと、来て頂けていなかった方もおりましたが、これからも、よろしくお願い致します。

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