高度3000メートルへ
高度一万フィート、つまり約3000メートルのところまでは道路がある。僕たちはワンボックスカーに乗り込み、うねうねと曲がった山道を走りつづけた。やがて終点にたどり着くと、テントを下ろしバックパックを準備し、車を離れた。
高度に慣れるため、この周辺で一週間、野宿をしながらハイキングする計画だった。空気は薄くなっているはずだったが高山病にかかるほどの高度でもない。寒さ以外は、特に地上との違いはなかった。
しばらく周辺を調査しているうちに、ちょろちょろと音を立てて流れる小川を見つけた。やった!これで水の心配はない。昼間の日光で溶けた雪が山肌をつたって集まり、透明な水の流れを作っていたのだ。僕たちはその近くのフラットな丘をベースキャンプ地と決め、テントを張ることにした。
メキシコとはいっても高度3000メートルになると、さすがに夜は冷え込む。日が暮れてくると、ダウンジャケットを着込んでも寒さが身に染むようになった。焚き火で身体を暖めながら夕食の準備をしたが、僕は一刻も早く暖かい寝袋にくるまりたかった。
麓の街Amecameca
悪臭に耐えながらの60時間の連続運転の末、僕たちは国境を越えた。
メキシコ領土に入ると周りの風景は大きく変わる。今にも崩れそうな民家が続き、車がその間を走り抜けると、未舗装の道路からは土埃がもうもうと舞い上がった。やがて僕たちはAmecamecaという小さな街にたどりついた。Mt. Popocatapetelへの入り口だ。文明との最後の接触となる。
この街で、10日分の食料を調達した。とは言っても、できうる限り重量を押さえて装備を軽くするため、必要最小限の物資に限定した。ディナー用には大豆を原料にした乾燥肉、ランチ用にはクッキーと干しぶどうとピーナッツ、野菜は日持ちのする人参のみという、なんとも淋しい食材だった。水は重量があるので運搬せず、山間の雪溶け水を利用しようとの方針だった。
メキシコでもこの時期になると涼しく、4000メートル以上の山には雪が積もっている。地上から見上げるMt. Popocatapetelの頂上はすっぽりと雪に覆われ、まるで富士山を円くしたような威容を呈していた。
メキシコへ出発
2週間後、僕たちはメキシコまで60時間のノンストップ・ドライブを開始した。
集まったメンバーはリーダーも含めて9人、女の子も3人含まれている。外国人は僕ひとりだった。車のメカに強いメンバーのひとりがワンボックスカーを提供してくれ、運転席と助手席で交代しながら運転を続け、残りの7人は後部のスペースで睡眠をとるという方法だった。
ところが、これが決して快適なものではなかった。
車の後部スペースで、7人が身体を伸ばして眠る、というのは相当な難題だったからだ。7人が横並びになると、肩幅の方が広いため、最後の2人ぐらいは車の後ろからはみ出してしまう。結局、隣どおしで頭と足を交互に配置して眠ることとなった。これでぎりぎり収まったが、自分の顔の両側に左右の人の足が来るので、慣れるまでは臭くて臭くて眠るどころの騒ぎではなかった。悪臭に満ちた車の後部スペースが宿だったとは、宿泊費がかからないのは当たり前だ!
僕は急に先行きが不安になった。
メキシコ登山ツアー
ダグによれば、登頂目標はメキシコにあるポポカタペテル(Popocatapetel)という休火山で、海抜5450メートル、傾斜が緩やかであるため、「歩いて登ることができる世界で最も高い山」だそうだ。往復はワンボックスカーによる無休憩の交代運転で、宿泊はすべてテントと寝袋、食事は現地調達の材料で自炊、9人のメンバーを募集中だという。
素人でも参加できるのか、という問いに対しては、「問題ない。自分ともうひとり、経験豊富なスタッフがいるので準備も含めて全面的にサポートする」とのことだった。彼の鋭い視線と、自信ありげな態度、そして正直な語り口調に安心感を覚え、僕は参加することを決めた。
実際、ダグとそのアシスタントは、登山に関してはかなりの経験があるようだった。
まず、雨に濡れて体温を奪うコットンは決して持参するな、すべてウール素材で固めろという指示が下された。僕は近くの古着屋に行って、ウール素材の衣類を買い集めた。古着屋はキャンパスの周辺にたくさんあり、1ドルから5ドルぐらいで何でも手に入った。
次の指示は、登山靴には金を惜しむな、最高級のものを買え。出発までに十分に履き慣らしておけ、ということだった。僕はFabianoというイタリアのメーカーのものを購入した。(後にスキーに行ったときに、この登山靴は盗まれてしまった!)
冬休みの予定
冬休みになると、寮は3週間、クローズされる。
誰もが実家に帰って家族と共にクリスマス休暇を過ごすが、僕には行く当てが無かった。高校時代のホストファミリーやガールフレンドは新学期前の夏休みでお世話になったし、他に行きたい場所が特にある訳でもない。友人たちは皆実家に帰るので、どこか行くにしてもひとりぼっちだ。
そんなことをいろいろ考えあぐねていた時、キャンパスの掲示板でおもしろそうな募集案内を見つけた。
「メキシコに行って山登りにチャレンジしよう! 3週間、旅費・食費・宿泊費、全部込みで170ドルぽっきり! メンバー募集中!」とまあ、そんな調子のいい案内に、僕は半信半疑だった。たった170ドルでは旅費にすらならない、どこかにカラクリがあるに違いないと、さっそくツアーの責任者に連絡した。
ダグという名前のツアー・リーダーは、アメリカン・インディアンの血筋を持つ3年生だった。長身に端正な顔立ちで、真っ黒な髪をポニーテールに結い、シェイプアップされた筋肉質の身体で、まるで西部劇にでも出てきそうな風貌だった。
難題続き
翌朝、タウンまで買い物に行こうと車のエンジンをかけようとした時、僕は異常に気がついた。セルモーターが回らない。バッテリーが完全に駄目になっていたのだ。
友人に文句を言うと、いや、そんなことはない、オヤジは完璧に直したし、実家ではそんなことは一度もなかった。きっと昨夜の寒さで駄目になったのだろう、などとうそぶく。やむを得ず近くのオートショップに行き、僕は泣く泣く40ドル支払い、バッテリーを交換した。バッテリーが車の値段の4分の1もするなんて聞いたこともない!
もうひとつの難関は、保険料だった。保険会社と条件によって、大きく異なるが、いずれも200ドル以上で、僕の想像を遥かに超えた価格帯だった。車の値段よりも高くなってしまうのはあまりに馬鹿げている、と十数社の保険会社をあたり、ついに100ドルちょっとで契約できる会社を見つけた。
こうして一緒に苦労すると、ぼろぼろの車でも愛着は湧くものだ。いろいろな機会に乗り回した。驚くことに、このアメリカにおいても、「留学生が車を持つとは何事だ」などと非難する連中もいたが、僕はお構いなしに得意顔でデートや友人の送り迎えなどに使った。
マイカーの購入
勉強にも慣れてきた僕は、アルバイトに精を出した。冬休みの旅行費用を貯めたかったからだ。前述の物理のTutorがいちばん楽だったが、カフェテリアの料理人、給仕、掃除係りなど、何でもやった。
ある日、友人が僕に「耳寄りな情報」を持ってきた。
その話とは、デトロイトに住む彼のお父さんが車を入手し(実際はジャンクを拾ってきた)完璧に修理したので、それを150ドルという破格の値段で売りたいということだった。150ドルで車が買えるなんて夢みたいだと思った僕は、さっそくその週末に彼の実家へと同行した。僕たちを出迎えたお父さんは、庭先に鎮座する相当古い年式の錆だらけの白い車を指差して、「俺が直したんだ」とさも得意げの様子だった。アメリカでは珍しいマニュアル・トランスミッションのその車を少し運転してみて、僕は購入を決めた。
帰り道、反対側の車線を無意識に運転している僕に、一緒に来た車内の友人たちは悲鳴を上げ続けていた。それでも何とか大学に帰り着き、キャンパスの空いた場所に駐車した。
エクストリーム・スキーヤー
こんな連中のことを、エクストリーム・スキーヤー(Extreme Skiers)と呼ぶ。Extreme、つまり「極限」に好んでチャレンジする命知らずのフリークたちだ。
彼らは不可能を可能にするテクニックを考案し、それに磨きをかけ、ついに人間業とは思えないようなパフォーマンスを披露するようになる。
アメリカ人の本質を一言で表現するならば、この「命知らず」という言葉だろう。危険区域に飛び込み、むき出しの岩壁だらけの斜面をジャンプしながら滑ったり、立ち並ぶ木々の間を高速で滑りぬけるTree Skiなどという、命がけの狂気じみたジャンルまで確立してしまったりする。
驚異的なエッジ・コントロール
彼らは、エッジをはずさないようにスキーを正確にコントロールしながら、氷の斜面を舞う。エッジ・ウェーデルンやエア・ターンを駆使するので、文字どおりダンスをしながら舞い降りるように見える。
スキーの両端についたエッジをナイフとみなし、これで氷を「切って」いく彼らにとって、スキーは4枚の刃を備えた刀だ。刀で氷を切りつけるように、スキーのトップから斜めに氷の斜面に切り込み、そのまま刃の角度を一定に保つ。スキーのしなりとカービングで緩やかな弧を描いた次の瞬間、反対側のエッジに切り替えてスキーのトップからまた新たな切り口をつくるのだ。エッジという刀の扱いを完璧に習得すれば不可能ではないが、エッジが切り口から外れた途端、斜面の下まで真っ逆さまに転落する。
チリッ、チリッ、という独特の音を立てて彼らが舞い降りた後には、斜面にカミソリで切り刻んだような傷跡が残る。
コブコブの急斜面アイスバーン
このスキー・レッスンに通いながら、毎回、僕の心を奪う光景が見られた。
レッスンが行われる緩やかな斜面の隣には、斜度が40度以上はあると思われるコブコブの急斜面があった。丘を切り開いて作ったと思われるエキスパート用の急斜面だ。表面には不規則なコブがびっしりと並び、しかもその表面はテカテカに光っている。このレベルの斜度になると、雪が降っても積もらない。シーズン初期に降った後に滑り固められた雪が、午後の日差しで溶けては凍結を繰り返し、硬いアイスバーンとなった氷の壁だ。
アイススケートのリンクを波打たせて垂直に吊るしたようなその斜面を、なんと蝶が舞うように滑り降りるスキーヤーたちがいた。