windance の亜米利加放浪記 -12ページ目

日米の教育方法の違い

日本ではSAJ(全日本スキー連盟)という官公庁のような財団が、インストラクターなどの各種資格やバッジテストなどの合否条件を細かく決め、滑り方の「型」にまで口を出し、ルールを決めるようだ。


日本のスキー場で、コブコブ急斜面をしばらく眺めていると、上級者は皆、ロボットのように全く同じ滑りをするのに気づくはずだ。画一化された「正しい滑り方」に洗脳された結果だが、それはそれで美しい。問題は、世の中の流行が変わると急に方針転換し、今度は全く異なった滑りを奨励するようになることだ。大回転競技でも、昔はエッジを極端に立て、「斜面を切る」ような滑りが理想とされた。それがいつの間にか様変わりし、今では「エッジはなるべく立てず、スキーをフラットに保って滑らせろ」などと、正反対のことを言うようになった。


その昔、もしエッジを立てない滑りができる逸材がいたとしたら、だからお前は駄目なんだと教師から猛特訓を食らって矯正させられていたことだろう。若い才能はこうして潰されていく・・・


結論はこうだ。「これがあなたの目標です。最高の結果を出しなさい。そのためにはあなたの持つあらゆる能力を総動員しなさい。ここがあなたの優れたところです。こんなこともトライしてみたらどうでしょう」がアメリカ方式ならば、「これこれこうしないと最高の結果は出ない、お前はまだ修行が足りない。俺にはお前の悪い点が見える。ここを直せ」というのが日本方式だ。


こんな連中が取り仕切っている限り、いつまでたっても日本からスーパースターが生まれることはないだろう。

アメリカ流の教え方

このスキーのレッスンにおいて特長的だったのは、短いスキーから始めて段階的に長くするという独自のアイデアに加え、「細かいことはガタガタ言わないが自分で責任を持て」というアメリカ独特のポリシーだった。


スキーだけでなくゴルフでも何でもそうだが、アメリカではまず楽しむことを最優先する。気持ちよく滑れればいい、ボールがまっすぐに遠くまで飛べばいい、などと結果重視で、細かい「型」にはこだわらない。やれ親指の付け根に重心を置け、膝がどうのこうの、グリップはこうだ、などと、細部から入る日本の方式とは対極をなす。


日本のゴルフ雑誌などを読んでいると、信じられない程の様々な細部テクニック満載されているのに驚く。しかも各自が編み出した独自の些細な方法を、さも普遍的な宇宙的法則かのように理論展開し、だれひとり、本質を語っていないのだ。

段階的なスキルアップ

二回目のレッスンでは、45センチのスキーが90センチになる。


その日のゴールは単純だ。第一回目で到達したところまで、今度は90センチのスキーでやってみなさいということだ。一旦45センチのスキーで要領を把握している身体は、たとえスキーが90センチになったとしても迷うことはない。練習を重ねるうちに、いつのまにか何人かは90センチのスキーでもパラレルができるようになっていた。


スキルの定着を促すため、三回目も90センチによるレッスンを継続する。


4回目と5回目は120センチのスキーを履いて、90センチのスキーで到達したレベルに達するまで、同じことを練習する。


6回目からは150センチのスキーになり、以降、長さが増えることはない。内股が痛くなるようなカッコ悪い「ボーゲン」などは全く必要ないし、短いスキーでヒラリヒラリと宙を舞うような滑りができるため、5回目ぐらいからは全員、スキーが楽しくてしょうがない、という感じになってくる。あとは細かいテクニックを先生が個別に教えてくれるというわけだ。


実際、このGLM方式は、スキー技術の習得スピードを数倍に高めるという話をきいたことがある。

初日でパラレルをマスター

レッスン第一日目、僕たちは全員、45センチのスキーを履かされた。


横に一列に並ぶと、インストラクターは、その場で軽くジャンプして方向を変えるよう指示した。それを何度か繰り返し、膝を柔らかく利用した抜重による方向転換のコツを学ぶのだ。


平地で抜重による方向転換ができるようになると、緩やかな斜面に移動し、やはり同じ場所での方向転換を何度も練習する。膝を曲げては伸ばし、スキーの方向を変えてはまた膝を曲げて・・・の繰り返しだ。わずか45センチのスキーなので、スケート靴よりも操作は易しい。やがて、誰もがバタバタという音を立てずに、スムーズに方向を変えることができるようになる。


次の課題は、その斜面をゆっくりと、斜めに滑っていくことだ。斜面の端まで行ったら、さっきの要領で方向転換をする。そしてまた逆方向に斜めに滑っていく。最初はそれぞれの動きに連続性がないが、何度も練習していると次第にスムーズになり、いつの間にかパラレル・スキーと同じ動きになっている。


これで第一日目は終わり。全員、45センチのスキーを履いて、パラレル・スキーのテクニックをマスターしたということになる。

スキー・レッスン

感謝祭を過ぎると、五大湖に隣接した中西部のミシガン州は、さすがに寒くなってきた。近くの丘を利用した、10回のスキーのコースが発表されたのはそんな頃だった。


大学1年の時に一度だけ誘われ、友人から借りた2メートルのスキーに悪戦苦闘した苦い思い出のある僕は、絶好のチャンスだということでさっそく応募した。スキーが初めてという学生たちが10人ぐらい集まった。


このスキー・レッスンは、まさに異次元の体験だった。わずか10回のレッスンで、全くの初心者だったクラス全員の学生が、中程度の斜面を軽やかなウェーデルンで自由自在に滑ることができるようになったのだ。その秘密は、GLMと呼ばれるレッスン方式にあった。GLMとはGraduated Length Methodの略で、つまり長さを段階的に増やしていく手法のことだ。

親友のその後

何年か後、出張のついでに彼を訪ねた僕は、豪邸に愛妻と子供3人の平和な家庭を築き上げていた彼の豹変ぶりに驚嘆した。いや、変わったのは彼の境遇だけで、昔ながらの彼の人間的魅力と精神力が、その地位を築き上げたのは明らかだった。


彼の話によれば、大学を卒業してからはディーラーをきっぱりとやめ、大手の銀行に就職したそうだ。仕事をしながら夜間学校に通ってMBAを取得し、窓口を訪れたことがきっかけで知り合った女性と結婚した。


彼は、ミシガンの大手銀行のバイス・プレジデントにまで上り詰めていた。

盛大な感謝祭パーティー

翌日は、近くのカントリークラブで盛大な感謝祭パーティーが開かれた。


彼の妹さんはまだ14歳で、笑うと歯の矯正金具が顔を出し、170センチぐらいの背丈と非常にアンバランスな感じだった。彼女と一緒にパーティーに参加するボーイフレンドは彼女よりも背が低く、まるでお姉さんが弟を引き連れているような感じで可笑しかった。彼らはこうしてカップルで参加することにより、大人の社交礼儀を学び、雰囲気に慣れていく。アメリカでは基本の行動単位がカップルであり、子供も小さい頃から大人と同格に扱われ、小さい時からしっかりした考え方とマナーを身につける。


驚いたことに、僕の友人は、僕にもガールフレンドをアレンジしておいてくれたことだ。以前から時々口をきいたことのあるブロンドの巻き毛の女の子で、僕たちがお互いに好感を持ち合っていたことを彼は見抜いていたようだった。事前にそんなことを聞かされていなかった僕は、当然ひとりで参加するものと腹をくくっていたが、パーティーの数時間前に、正装して突如彼の実家に現れたその女の子を見て驚嘆した。


この頃から僕には、女性にはドアを開けてあげる、レストランでは軽く背中を押して席までエスコートしてあげる、女性が席を立った時や招待者が着席する時には自分も立ち上がる、などの動作が自然に身についた。いわゆるレディーファーストだ。西洋文化では、か弱い女性を守る、という単純な理念から生まれたこのようなマナーが社会的作法として普段から徹底されているからこそ、いざという時に女性を決死の覚悟で守ることができる。フィギュアスケートのアイスダンスなどを見ていると、女性パートナーをリードし支えながら、美しさを引き立てるように滑るヨーロッパ陣営の男性の表現力が素晴らしい。


日本では、偉そうに風を切りながら女性の先を歩いたり、同僚と酔っ払いながら「XXXちゃん」などと大声で馴れ合い言葉を発するオジサン連中の何と多いことか! 街中で見かけるたび、どうしようもないガキなんだなあと、悲しくなってしまう。今や、我慢しながら半歩下がって男性の後ろをついていくような女性は皆無なのに、未だに昔の男尊女卑の頃の甘えとだらしなさを引きずっていたのでは、軽蔑されて当たり前だ。


力のない者ほど、虚栄を張って偉ぶるものだ。陰で人の悪口や不平を言うものだ。弱者を守るために、すべての苦難を抱え込んでその重みに耐え抜いてこそ、真の強さがにじみ出てくるはずだと思う。

感謝祭

Thanks Giving Day(感謝祭)が近づくと、僕がどこにも行くところがなく悩んでいるだろうと推察してくれたこの親友は、彼の実家で休日を過ごすよう誘ってくれた。


感謝祭、クリスマス、バレンタイン、イースターなど、アメリカの祭日は家族が中心となる。街中が人でごったがえす日本のクリスマスや、製菓会社の陰謀とも思えるような日本のバレンタインなどとは、大きく違うところだ。休暇を利用した独身旅行もいいが、家族の暖かさに勝るものはない。そんな暖かさを僕にも味合わせてあげようという、彼の配慮だった。


彼の家庭は非常に裕福で、一番上のお姉さん夫婦、婚約中のお兄さんとそのフィアンセ、幼い頃に養子として迎えた弟さん、そして一番下の妹さんとその彼氏など、豪華なリビングに全員が正装で勢ぞろいし、僕を笑顔で出迎えてくれた。大きな食卓に並ぶ銀の食器に盛り付けられたターキーやご馳走の数々を眺めながら、家族の絆というのユニバーサルなものだということを体感した。


僕は久々に、家族がこうして集う喜びの中に浸ることができ、日本の親のことを少し懐かしく思い出していた。

キャンパス・ディーラー

こういった癖のある女の子たちや落ちこぼれの男子学生、その他、キャンパス中のほとんどの学生とその人間関係に精通していた友人が僕には2人いた。


彼らは共に、ある種の植物から生産される嗜好品のキャンパス・ディーラーをしていた。一応「ヤバイ」仕事のようなので、彼らは極めて鋭い人間観察力を持っている。大学中で知らない者はいない程の豊富な人脈を持ち、しかもそのひとりひとりについて、どの程度信頼できるかなどのリスク・ファクターを正確に把握している。


僕と特に親しかったそのうちのひとりは、異なる文化圏から来て事情が分からないだろうと、何かにつけて僕に目をかけてくれた。健全な友人ができるよう、パーティーの種類を選んでは僕にも声をかけてくれ、どういった連中は避けるべきか、どこに行ってはいけないか、何がヤバイのか、何が大切なのかなどを教えてくれ、いつも相談にのってくれた。


もうひとりのディーラーとはそれほど親しくなかったが、よくいろいろなパーティーに誘ってくれた。ある日、毒キノコ(笑い茸)を食べる会に誘われたが、僕は断った。ある量を超えて食べると死んでしまうので、少しだけ食べる、ということのようだったが、わざわざそんな危険を冒す理由が僕にはよく分からなかったし、知りたいとも思わなかった。彼はかなりイッてしまっていた部類のディーラーに属すると言える。

ブロンド・ティーザー

仮装パーティーの晩でなくとも、本能的にそういった分野に長けた女の子もいる。


ブロンドで派手な顔立ちをしたシェリーもそんなひとりだった。ブロンドと言ってもさまざまで、貴金属のような重い輝きを放つブロンドや、太陽に光り輝くような明るい色のものまである。シェリーのブロンドは、両者の高貴な美しさを併せ持ったような明るい色の美しい髪で、大学の女子学生の中でもひときわ目立った。


そのせいか彼女は男子学生に非常に人気があったが、なぜか僕に対してはとりわけフレンドリーだった。僕に話しかけては、どぎまぎする僕の反応を確認してから、近くの男子学生と冗談を楽しみ始めるのが彼女の常套手段だった。


こちらから話しかけた時は、満面の笑顔とオーバーなリアクションでしばらく会話を楽しみながらも、同時に何かを企んでいるような、どうにも掴み所がないという印象がいつも残った。